macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

使命感に燃えた科学者と、中立であるべき科学者と

[4月2日の記事]でふれたPlanet under Pressure会議について、オランダのJan Paul van Soest (ファン・スースト)さんが「Cassandra Science at Planet under Pressure」という題でコメントしている。http://planet3.org/ というサイトで見たのだが、もとはvan Soest さんの個人ブログ記事http://www.gemeynt.nl/en/blog/2012/04/02/cassandra-science-at-planet-under-pressure/ だ。

会議の主催者の論調は、人間社会が持続するためには、地球環境保全のための行動をとらなければならないと、政策決定者に対して訴えるものになっていた。

van Soest氏は、この会議主催者を含むかなりおおぜいの地球環境科学者が「自分たちは問題点を認識しているのに政治が動かない」ことにあせっていることに同情しながらも、これでは世の中に聞き入れられない、と論じる。

まず、科学者が政策に対する意見をおもてに出して述べると、聞き手は、科学者の言うことを、科学的知見を述べたところも含めて、政治的おもわくのある発言だと思ってしまいがちだ。

さらに(van Soest氏の第3の論点だが)、とくに政治家は、意志決定は自分たちの役割だと思っているので、科学者がその領分にはいりこむ発言をすると反発する。

また(van Soest氏の第2の論点)、科学者は、政治家を含む一般の人々に対するコミュニケーションの努力を、科学的知見を含む情報を伝えることに集中しがちだが、欠けているのは情報よりもむしろ信頼だ。信頼を育てるには、[会議の分科会で心理学者や社会学者が論じていたように、] 共同で行動することが有効だ。

科学者は政策決定者に助言をすべきだが、それは決定の代行ではない。複数の選択肢を示すこと、そして、どんな条件の場合にはどんな帰結があるかという形で予測を述べる役割だ。

- - -
科学者の役割のスジ論として、このようなvan Soest氏の主張はもっともだと思う。

しかし現実問題として、特定の政策提案が実現するためには、その提唱者として働く人が必要だし、その提案に地球環境科学の基礎知識が必要な場合には、地球環境科学者として働いてきた人が提唱者になるのも自然なことだろう。

助言者として働く科学者も必要なので、地球環境科学者がみんなその提唱者に同調してはならない。助言者として働く科学者は、提唱者として働く人と、意識的に距離をおくことが必要なのだろう。ただし、この「距離をおく」というのは、全くコミュニケーションがないという意味ではない。助言者は、提唱者の提案を理解して評価しなければならないのだから、対話が必要になる。同じ場に現われること(たとえば同じ本の分担執筆者になること)もあるだろう。その場合に立場の違いを明確にするということだ。