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ラグランジュ(Lagrange)型とオイラー(Euler)型

これは気象だけでなく、流体力学の分野に共通なのだが、力学でも流体以外の人には通用しないと思うので、いわば「流体地方の方言」だと思う。

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流体の運動、とくに運動方程式をどう記述するかについて、大きく分けて二つの態度がある。

ラグランジュ型というのは、流体の小さな部分(「流体素分」とか「流体粒子」とかいう)に注目して、それの運動を追いかける形で記述することだ。質点や剛体(変形しない固体)の運動の記述を知っていれば、そこからの自然な発展と考えられるだろう。ただし、流体素分が小さいとはいえ有限の大きさをもつとすると、その形は流れていくうちに変形していき、しだいに非常に細長いものになって、長さの尺度では小さいとは言えないものになってしまうだろう。流体素分は無限に小さいものとすれば理屈はすっきりする。ただし現実の気体や液体は分子からなっており、無限に小さい素分というのは理想化だ。

オイラー型は、一定の座標値の位置に注目対象を固定して、そこに存在する流体素分が入れかわっていくことは承知のうえで、各時刻にそこに存在する流体素分についての運動方程式を記述する。流速は位置座標の関数であり、それが時間とともに変化する、というような形の式になる。

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数値計算の場合もこれに準じた用語を使う。

ラグランジュ型は、流体を粒子の集まりとみなし、それぞれの粒子の位置が変わっていくのを追いかけるような計算の方法だ。流体の運動そのものを有限個の粒子を追いかけることによって計算するような方法もありうるが、あまり使われない。流体に含まれる微量成分のふるまいをシミュレートするときにはよく使われる。

オイラー型は、空間を升目に分け、それぞれの升の中の物理量が時間とともにどう変わっていくか計算するような方法だ。升にどちらからどれだけの流体がはいってきて、どちらへどれだけ出ていくかも計算する。時間刻みは、流れによって流体が隣の升目に行くことはあってもよいが隣よりも遠い升目までは行かないくらい細かくする必要がある。

セミラグランジュ型と呼ばれる方法も使われる。この用語の意味は専門分野によって違っていると思う。わたしの知っている方言では、毎ステップ格子状の升目の位置から出発した粒子の移動を追いかけ、その結果を整理しなおして次のステップの升目での量を求めるという手順をさす。上に述べたオイラー型よりも長い時間刻みを使うことができる。

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さて、このラグランジュ型とオイラー型という用語は、それぞれLagrangeとEulerの著作に出てくる論述にちなんだものだと思われる。しかし、流体力学の教科書を見ても(わたしが知っている限り)、どの著作のどういう論述から来ているかは見あたらない。

[ここから2014-01-24改訂] 科学史家の有賀暢迪(ありが のぶみち)さんから、Darrigol (2005)の科学史の本があるという情報をいただいたので、すぐ注文したのだが、2年近くたってようやく読んだ。その本の第1章によれば、「オイラー型」はEulerの1755年の論文、「ラグランジュ型」はLagrangeの1761年の論文と1788年の『解析力学』の本が代表的出典と言えるようだ。しかしEulerは1751年に書かれ1760年に出版された川の流れの論文では今でいう「ラグランジュ型」の扱い、Lagrangeは1781年の論文では「オイラー型」の扱いもしている。つまり、実はLagrangeもEulerも両方の考えかたをしていたのだ、ということなのだが、方法論上の概念につけたラベルとしては使い続けられるだろう。

文献

  • Olivier DARRIGOL, 2005; paperback 2009: Worlds of Flow: A history of hydrodynamics from Bernoullis to Prandtl. Oxford: Oxford University Press, 356 pp. ISBN 978-0-19-955911-4 (pbk.) [読書メモ]

- 4 [2016-05-29補足] -
ここで「ラグランジュ型」としたところの英語表現はLagrangianという形容詞であることが多い。他方、解析力学にはLagrangianという名詞が現われ、日本語でも「ラグランジアン」という。いずれもLagrangeという学者の仕事にちなんだ用語ではあるが、そのさす対象に直接の関連はない。ここでいう「ラグランジュ型」は「ラグランジアンを使った力学の定式化」とは違う話である。

- 5 [2016-11-29補足] -
数値計算で「オイラー型の方法」(「オイラー法」)のような表現は、この記事で述べたのとは別の、微分方程式を差分方程式で近似する方法をさして使われることもある。少なくとも気象の分野の時間発展型の計算の場合は、[数値計算の教材: 時間発展問題の差分計算]のうちの「差分法」のページに書いた「前方差分」と同じものをさす。

- 6 [2021-04-09 補足] -
「オイラーの運動方程式」ということばは、流体の文脈では、オイラー型の表現による流体の運動方程式をさすことがあるが、ほかの文脈ではほかのものをさす。おそらく、この表現がいちばんよくつかわれるのは、剛体の回転運動を記述する方程式についてだろう。

話はかわるが、実は、いわゆる「ニュートンの運動方程式」はニュートンの著作には出てこない。ニュートンが幾何学の形で記述した運動法則を、のちの人が微分方程式の形に書きなおしたのだ。「のちの人」の代表者をひとりあげるとすればオイラーである (山本, 1997)。したがって、基本的な運動方程式そのものを「オイラーの運動方程式」とよぶべきだという理屈もなりたつのだが、そう主張することは有用ではないだろう。

  • 山本 義隆, 1997: 古典力学の形成 -- ニュートンからラグランジュへ。日本評論社。[読書メモ]