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しろうとはどの専門家が信頼できるかをどう判断するか: ひとつの分類整理

伊藤憲二さんのブログの2012年04月19日の記事「[読書]「素人」はどの「専門家」を信用すべきか判断できるか(Novice/2-Expert problem)http://d.hatena.ne.jp/kenjiito/20120419/p1 では、この主題についてGoldmanによる分類が紹介されている。わたしはこの論文が収録された本を読むべきだと思ったが、いつ読めるかまだわからない。ひとまず、伊藤さんの紹介をもとにわたしなりに表現しなおしてみる。[2012-05-05: 原論文を見て補足。]

  • 1. [原論文「(A)」] 討論に基づいた証拠 (Argument based evidence) ... 専門家どうしの討論を見て判断する
    • 1a. 討論に直接基づいた正当化 ... 討論の内容を理解して判断する
    • 1b. 討論に間接的に基づいた正当化 ... 討論行動を見て判断する
  • 2. 他の専門家の同意 (Agreement from other experts)
    • 2a.[原論文「(B)」] 他の多くの専門家が賛成している判断は信頼できるだろう。(ただし、賛成が多いのは専門家間の相互影響による可能性がある。独立に同じ見解に達したのならば根拠としての価値が高い。したがって、いつも見解が一致しているわけではない他の多くの専門家が賛成していることに意味がある。) 複数の専門家の間の優劣の判断は独立と思われる支持者の人数が圧倒的に違う場合にだけ可能。
    • 2b.[原論文「(C)」] 専門性についての専門家(メタ専門家)の判断による。
  • 3. [原論文「(D)」] 利害関係と偏見からの証拠 (Evidence from interests and biases)
    • 3a. 利害関係(専門家としての権威、権力、金銭的利害など)を見る。
      • 3a1. 判断が利害に左右されそうならば信頼できない。両方の専門家が利害の影響を受けていると思われる場合でも、その度合いの違いを評価できる可能性がある。
      • 3a2 [伊藤氏追加]. しろうと自身と同様な利害関係をもつ専門家の判断は信頼できそうだ。
    • 3b. 偏見を見る。判断が偏見に左右されそうならば信頼できない。ただし、次のように、ある専門家集団全体に及ぶ偏見がある場合は、しろうとによる判断はむずかしくなる。
      • 3b1. 専門家集団メンバーの多くが重なって属する社会集団のもつ偏見 (例、白人、男性)
      • 3b2. 専門家集団の政治・経済的立場によって発生する偏見 (例、その専門家集団の成長につながる考えが優勢になる)
  • 4. [原論文「(E)」] 過去の実績の使用 (Using past track records) ... その専門家の過去の判断が成功していれば信頼できるだろう。
    • 4a. [(事態の進展により)専門的知識なしでも実績を評価できる場合] たとえば、故障や病気の診断には専門的知識を必要とするが、その診断に基づいた修理や治療がされたあとそれがうまくいったかは専門的知識がなくても判断できることが多い。
    • 4b. [実績を評価するには専門的知識を必要とする場合] 他の同分野の専門家あるいはメタ専門家に実績を判断してもらう。

伊藤さんのコメントの中にも、専門家としろうとという二分法が有効かどうかに疑問が示されている。それと重なるが、わたしが気になるのはむしろ、同じ問題についても、それの解決にどの専門が必要とされるかについて、人々の判断が分かれることもあることだ。

文献

  • Alvin I. Goldman, 2006: Experts: Which Ones Should You Trust? In: The Philosophy of Expertise (Evan Selinger and Robert P. Crease, eds., New York: Columbia University Press), 14-38.