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エコ

「エコなになに」という形の表現を、1970年代に聞いたような記憶があるのだが定かでない。ただし、あったとすれば、それは「エコノミー」の略だった。「エコノミー」とは、「経済的」と言ってもよいのだが、経済学とはあまり関係がなくて、前からあった日本語で言えば「お徳用」、つまり値段が安いということだった。ただし安いのに見合っただけ、同類の高い商品に比べて何かが削られているのがふつうだった。

1970年代には「エコロジー」ということばも聞かれるようになったが、それは「生態学」という当時新しい学問(生物の集団のふるまいや相互関係を扱う自然科学の分野)の名まえが、英語ではecologyというのだ、ということだった。セイタイガクでは「生体学」(という学問はないのだが)とまちがえることがあったので、わざと英語の形を持ち出したこともあったと思う。

しかしecologyは、自然科学の学問分野の名前であるだけでなく、大ざっぱに言えば他の生物とのかかわりを大事にしようという趣旨の社会思想をさすこともあった。Rachel Carsonの『沈黙の春』は生態学の本だと言ってもよいと思うが、社会思想としてのエコロジーの本として読まれた。1970年代終わりごろに、生物学者でない人が日本語の中で「エコロジー」と言ったら社会思想のほうをさすのがふつうになったと思う。「エコロジーなになに」とか「エコロジカルなになに」という表現もあったが、覚えている限りで「エコなになに」と略されていたことはなかった。

「エコなになに」という表現をたびたび聞くようになったのは1990年代からだと思う。それは「エコロジー的」と解釈できなくはないのだが、「エコロジー」よりも前から「エコノミー」を知っている者としてはなんとなく気持ちが悪くて、自分では使わないように注意していた。

(なお「エコ」はeconomyとecologyに共通する語源のギリシャ語oikosだとも考えられるけれども、もとの意味は「家」だそうなので、現代日本での意味との対応はよくない。)

ところが今年になってどこかで、「エコ」は英語でいえばenvironment consciousである、という記述を見た。残念ながらだれがどこに書いたものだったか思い出せない。英語から日本語に直訳すれば「環境に配慮した」というような意味の形容詞だ。確かに近ごろ日本のマスメディアで使われている「エコ」の意味はこう解釈すればつじつまが合う。しかし、この英語をこう略すだろうか? (日本語の略語の単位は2拍という原則によれば、「エンコン」になるが、これでは「怨恨」とぶつかってしまう、ということはあるが。) まだわたしの作文用辞書に入れたい単語ではない。