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科学技術研究の課題設定を産官学エリートだけにまかせられない。ではどうするか?

(疑問にぶつかったのでそれを表題にしたが、明確な答えがあるわけではない。)

科学技術(ここでは仮に「科学」で代表させる)研究のうちには、科学者が自発的に研究を進め、それが結果として社会の役にたつものもある。税金に由来する公的資金の一部を、そういう科学研究に向けることは、今後も必要だと思う。

しかしそれだけでは、科学が社会の期待にこたえる方向に進んでくれるとは限らない。公的資金による科学研究の大きな部分が、政策的に研究課題を設定したものであることは当然だろう。ただし、科学研究は計画通りに進むとは限らない。研究の過程で課題を見なおすことも必要であり、それが公正にできるような運営組織を作っておく必要がある。

三権分立の制度のもとではふつう、政策的に研究を推進することの基本は国会で法律として決められ、具体的な課題を設定することは、行政府の役割となるだろう。

そうすると、とくに日本の官庁の制度のもとでは、各省がそれぞれに重点課題を考える。複数の省にまたがる問題は課題として設定されにくい。また、もしある省が積極的に他の省も関心をもつ課題を設定しても他の省の協力が得られずうまくいかないことがある。

したがって、国全体の立場で課題を設定しそれに対応する研究組織をつくることが必要だ。日本には総合科学技術会議があるので、その業務範囲内のことは、その下に組織を作ることになる。その組織のものごとを決める会議は、課題ごとそれぞれ数人のグループで構成されることになりそうだ。短期間に細かい意思決定をしなければならないので、あまり人数の多い会議にすることはできないというのはもっともだと思う。

この組織は官僚だけでなく「産官学」の人々によって構成されるべきだとされている。

「学」としてはおもに大学教員、ただし暗黙のうちに研究拠点とされる少数のエリート大学の教員が想定されているように思われる。必ずしも旧制帝国大学(および東工大など)に限るというわけではなく、課題ごとに地方大学が拠点となることはありそうだが、並みの大学教員ではなく専門の研究で一流の仕事ができるうえに大型事業の運営という特殊能力をもった教員に集中的に権限を与えよう(そして酷使しよう)という選別意識のにおいがする(そうするしかないのかもしれない)。独立行政法人の研究機関が「官」と「学」のどちらにはいるかはよくわからないが、どちらかにはいる。

「産」のうちで研究を担当するところは企業の研究所が想定されており、専門分科にまたがって「産」の意向をまとめるのは経団連などの産業界団体が想定されている。(「産」の人は中小企業の役割も重要であると言っているので、「大企業の利害代表」とみなすのは必ずしも適当ではない。しかし中小企業の人が運営組織にはいるのはむずかしいだろうとも言っている。確かにもともと人数の少ない会社では一時的にせよ運営組織の専業になれる人を出すのはむずかしいだろう。)

産業界がかかわること自体にはわたしは反対しない。社会の科学技術への期待の全部ではないと思うが多くは、産業で使われることが期待されるものだ。研究の目標を設定するときにも、研究の進展に伴ってそれを修正するときにも、使う側の人に参画してもらったほうがよいだろう。また、日本は国(政府)は赤字だがその貸し主はおもに日本国内の民間だし、研究開発支出を見ても企業によるものの割合が高い。国(政府)の支出による研究だけでなく企業内の研究まで含めた社会の期待にこたえる研究戦略がたてられるならばそのほうが望ましい。

しかし、一般国民の立場に立ってみれば、税金を払ったあとは、それがどう使われるかは産官学エリートに決められ、研究が進んで製品化の段階になって、運よく関連企業の社員ならば製造の労働者としてかかわるかもしれないが、大部分の人は消費者として製品を買って使うだけのかかわりとなる。

社会にとって、ある新種のものがふえたほうがよいかは自明でない。そのとき、そのものを作りたい人と、なんでもよいが新しいものを作りたい人とだけが集まって相談すれば、ものを作るほうが優先されてしまう。ものが作られれば消費者や廃物処理者などとしてかかわりそうな立場の人も加わって、そのものがふえることが望ましいかどうかを考えることが必要だ。

また、「産官学」では代表されない人々がいる。

少なくとも失業者はどれにも含まれない(失業した学者に限れば「学」に含めることが可能かもしれないが)。

農業・漁業も産業であるはずだが、「産」と言ったときに農民・漁民の期待を代表する人が含まれることは少なかったと思う。農業・漁業で使われる技術を研究するならば意識的に含める必要がある。農協・漁協の代表と新しい方法を試みる意欲のある農民・漁民とでは利害が対立するかもしれないので、簡単ではないのだが。

医療技術に関しては、患者という利害関係者集団が抽出可能だ。病気の種類によっては、患者自身のうちに、科学研究まではできないとしても、研究の知見を理解し、研究への期待を明確化する能力をもった人がいることもあると思う。病気の種類によってはそれは不可能だろうが、患者を助ける立場、あるいは患者を客観的に観察する立場の人が、研究課題設定の段階からかかわったほうがよいのではないだろうか。

最終的に一般国民の消費財を作るのに使われる技術に関しては、消費者という利害関係の立場から課題設定にかかわる人がいるべきなのだが、その能力をもつ人を見つけるのがむずかしい。

環境問題に関しては、利害関係者が明確な場合もあるが、おそらく地方でなく国の課題では、それほど明確ではないことが多いだろう。環境NPOがかかわれる可能性もあると思う。ただし、ここは対決型の弁論の場ではなく、具体的な科学研究計画に関する合意を得る場だ。その議論に参加できる能力をもった人はあまり多くないかもしれない。しかし、IPCC(これは研究推進組織ではなく既存の研究成果をまとめる組織だが)の報告書の著者に(日本からではないが)環境NPOの人が加わっている例もある。このような参画機会があるとなれば、それに向けて能力をみがく人も出てくると思う。