macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

わたしの教材の、とくに気象観測点名の、ローマ字表記について

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事は、大学の気象学の教員として、教材ウェブページから「もっとくわしく知りたい人はここを参照」としてリンクされるさきとなることを想定して書いています。わたしなりの当面の結論は、2節の最後の部分にあり、あとは補足的なものです。】

- 1 -
日本語の語をローマ字で書きたいことがある。とくに、気象学をやっていると、日本の地名を、英語のなかにまぜたり、漢字や かな を処理できない計算機プログラムで処理するために、ローマ字で書きたいことがある。

ローマ字 も かな も、発音の要素をしめすことによって語をあらわす、いわゆる表音文字だ。日本語の語の (標準的な) ローマ字表記と、(標準的な) かな表記との相互変換は、だいたいは一定の規則によってできるのだが、重要な例外があり、こまかい変換規則を設定したり、個別に点検したりする必要がある。

そうなったのには歴史的事情がある。ローマ字のつづりかたは、近代のはじめ (幕末・明治期) から、同時代の発音にもとづいて考えられていた。かな書きのほうは、近代のはじめに、「歴史的かなづかい」という、復元推定された平安時代初期の発音にもとづく方式が標準として採用された。1946年に標準は現代の発音にもとづく「現代かなづかい」にかわったが、その規則のうちには、歴史的かなづかいとの対応を重視して現代の発音とはちがえたところがいくつかある (助詞の「は、へ、を」や、「ぢ、づ」を「じ、ず」と区別してつかうこと)。

いまでは、パソコンなどの情報機器への日本語 (漢字・かな) 入力の手段として、かなキー入力と並列にローマ字入力が可能になっているが、そのローマ字入力の方式は、かな表記をよびだすためのものなので、かなづかいの標準のほうに対応しており、ローマ字のつづりかたの標準とはちがっているところがある。

(情報機器の入力むけではなく) 日本語をローマ字で書くためのローマ字のつづりかたの方式として、いまひろくつかわれているものに「ヘボン式」と「訓令式」がある。

  • ヘボン式は、1867年に最初の和英辞典を出したアメリカ人 Hepburn がつかった方式に由来する (ただし、その後にいくらかの変更をへている)。

明治期に「日本式」という方式がつくられた。

1937年に日本の内閣が標準をさだめる「訓令」をだした。1954年にあらたな「訓令」がだされた。(正確には「告示」と「訓令」からなるのだが、便宜上、両方まとめて 訓令 とよぶことにする。)

1954年の訓令には「第1表」と「第2表」がある。いま「訓令式」といえば、1954年の訓令の第1表の方式をさす。これは「日本式」にちかいものだが、いくらかちがう。訓令の第2表の後半に (そう明示してはいないが) 日本式の訓令式とちがうおもなところをあげている。

訓令の第2表の前半には (そう明示してはいないが) ヘボン式の訓令式とちがうおもなところをあげている。それを少し整理しなおして下の表にあげた。訓令の第2表の前半を採用することは、ほぼヘボン式を採用することになる。(「ほぼ」と書いたのは、世間でつかわれるヘボン式にはこの表以外のちがいもあるからだ。その内容はあとでのべる。)

シ, シャ, シュ, ショチ, チャ, チュ, チョジ, ジャ, ジュ, ジョ
訓令式si, sya, syu, syoti, tya, tyu, tyotuhuzi, zya, zyu, zyo
ヘボン式shi, sha, shu, shochi, cha, chu, chotsufuji, ja, ju, jo

のばす音 (長音) は、1954年の訓令では (第1表・第2表の選択には関係なく) i の長音は ii とするが、そのほかは、母音字のうえに山形 (フランス語でいうアクサン シルコンフレクス accent circonflexe) をのせた形でしめすことになっている。しかし、実際に世間でみられる形は、訓令式でもヘボン式でも、母音字のうえに横棒 (ラテン語由来の用語で マクロン macron) をのせた形のほうが多い。わたしは確認できていないが、1937年の訓令では横棒だったらしい。

かなでは小さい「ツ」であらわされる促音は、子音字をかさねることによってあらわされる。訓令での規定はそれだけだが、世間でのヘボン式では「ッチ」は「cchi」ではなく「tchi」と書かれるのがふつうである。

かなでは「ン」であらわされる撥音は、「n」であらわされる。訓令での規定はそれだけであり、ヘボン式でも、そのようになっていることもあるが、たとえば、JRの駅名表示などでは、つぎに「m, b, p」がくるときには「m」にかえている。

「ン」のつぎに母音または「y」がくると、ナ行と区別がつかない。訓令では「n」のあとに「'」 (アポストロフ) をいれて音の分離をしめすことにしている。世間ではこれはあまりまもられておらず、むしろ、「-」 (ハイフン) をいれていることがおおい。ハイフンは複合語の要素をわけるのにもつかわれる。実際、「ン」のあとに母音や「y」がくるのは語を構成する要素のきれめでもあるのですじはとおっているのだが、要素のくぎりにすべてハイフンをいれるのではなく、読むてがかりとして必要なところにだけいれていることがおおい。

長音のかなとの対応にはややこしいところがある。五十音図の「オ」の段の音 (「オ」で代表させる) の長音は、漢字音起源のばあい、かなでは「オウ」のようにかかれるが、ローマ字では「o」のうえに山形 (または横棒) をのせることになっており、「ou」ではないのだ。他方、多くの人が「エの長音」と認識する漢字音は、かなで「エイ」であり、ローマ字でも長音とみなされておらず「ei」である。

- 2 -
気象学の作業でローマ字表記が必要になる場面としては、まず地名、とくに気象観測地点名がある。そして、日本の気象をあつかうばあい、(他の機関による観測地点もつかうとしても) 気象庁による観測地点をつかうことがおおい。

気象庁は、観測地点名をローマ字であらわすときは、ヘボン式によっている。そして、(ちかごろは) 山形や上線のような補助記号をつかわないようにしている。したがって、長音と短音の区別ができず、たとえば「Oshima」がオシマかオオシマかは個別に確認しないとわからない。

気象庁が1950年代から1970年代に印刷出版していた資料でも、ヘボン式がつかわれていたが、(計算機のプリンタから打ち出されたものをそのまま印刷したばあいを別として、活字が組まれたばあいは)、長音はかならず上線で明示されていた。計算機処理で上線をあつかうのがむずかしかったので省略されてしまったにちがいない [注]。

  • [注] 1970年代ごろまで、計算機で利用可能な文字はアルファベットの大文字だけだった。1980年代ごろに小文字をふくむ 7ビットの ASCII コードが採用された。西ヨーロッパで採用された 8ビットの「Latin 1」コード表では アクサン シルコンフレクス をつけたアルファベットも利用可能だったのだが、日本ではカタカナをふくむ8ビットコード、さらに、漢字をふくむ2バイトの「シフトJIS」コードが採用され、Latin 1 はつかえなかった。いまの Unicode ならばアクセント記号をつけたアルファベットと日本語文字の共存も可能なのだが、日本のパソコンではまだシフトJISの利用がおおく、気象庁のウェブサイトの日本語ページでダウンロードできるCSVファイルの文字コードもシフトJISなので (そこにはローマ字の地点名はふくまれていないようだが)、まだ全面的に Unicode にきりかえるわけにはいかないのだろう。

【なお、気象庁になるまえの気象台がどのようにローマ字をつかっていたか、わたしはよくしらべていないが、東京気象台ではじめてかかれた 1883年 3月 1日の天気図では、ヘボン式がつかわれている。ただし「東京」を「Tokio」とするなど、標準的なヘボン式とちがうところがある。同じころの気象観測原簿の画像をいくつかみたところでも、おおすじ同様である。その後ずっとヘボン式が採用されていたのか、訓令式を採用していた時期あるいは部署もあったのかは、わたしはまだ知らない。】

この状況をふまえて、わたしの教材では、気象観測地点に関するかぎり「ヘボン式、長音短音の区別なし」を採用することにした。

ただし、いま説明を書きながら、「ン」について問題がのこっていることに気づいた。気象庁が「m, b, p」のまえにくる「ン」をどうあつかっているか、わたしはまだ確認していなかったが、すくなくとも国際地点番号表では「b」のまえでは「m」をつかっている。わたしが手入力したところでは「n」にしてしまっていた。これから、つぎにのべる国土地理院の方針とあわせて、わたしなりの標準をきめたいとおもっている。

- 3 -
気象観測点以外の地名については、日本の基本的な地図をつくっている国土地理院にあわせようとおもっている。

わたしは国土地理院がローマ字の標準として訓令式を採用し、実際に地名を訓令式でいれた地図をつくっていたことをおぼえている。しかし、それがつづいていないようだ。ウェブ検索してみると、つぎの報文がみつかった。

これによると、国土地理院は 1984年に訓令式を標準ときめたのだが、あまり徹底できず、その後のみなおしで、2004年にあたらしい標準をつくり、ヘボン式を採用した。ただし「ン」はつねに「n」でしめす。「ン」と母音や「y」とのくぎりはハイフンでしめす。長音記号は原則として省略するが、必要なときは山形をつかう。

- 4 -
ローマ字が必要になる場面には、英語など外国語の文章のなかに日本語の語句をふくめるばあいもある。たとえば、文献の題名が日本語で書かれているとき、そのままローマ字表記したうえで、かっこ内に英語訳をつける。そのときのローマ字表記は、出版者、編者あるいは共著者の方針にあわせることもあるが、わたしがきめるならば、訓令式を採用したい。ただし、この記事の2・3節に書いた「地名は (気象庁や国土地理院にあわせて) ヘボン式を採用する」という方針とくいちがうので、まよっている。

また、人名がある。これはむずかしい。本人がつかったローマ字つづりがわかればそれにあわせるのがよいとおもうのだが、わかるとはかぎらないし、本人のつかいかたが変遷しているばあいもある。手がかりのないときは、賭けのようなものだが、わたしは、現代の人はヘボン式、第二次世界大戦までの人は訓令式で書くことがある。(日本式の提案者が物理学者だったからだとおもうが、物理関連分野の学者は日本式をつかっていたことがわりあいおおい。しかし、わたしは日本式のルールを細部まで理解していないので、わかっている訓令式で代用する。)