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1970年代の気候変動の学説は「地球寒冷化」ばかりだったか (2)

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このブログの [2024-01-19 1970年代の気候変動の学説は「地球寒冷化」ばかりだったか] の記事に、田家 康 (たんげ やすし) さんからコメントをいただいた。

ご指摘のおもな論点は、1970年代の前半と後半では、気候変化についての人びとの認識がかなりかわっていた、ということだった (と、わたしはうけとめた)。

残念ながら、わたしはこれについて、そうだ とも ちがう ともいえない。(それを確認するには1970年代の出版物をいろいろ読まないといけないとおもうが、ほかにも読むべきものがあり、1970年代のことの優先順位をあげるのがむずかしい。)

ここでは、まず 2節で、わたしが1970年代の議論を時期をわけて認識していない事情をのべる。3節で、専門家の見解にとって 1975年ごろにふしめがあったかもしれないとおもっている件についてのべる。4節では、1月19日の記事でもふれた Peterson ほか (2008) の論説についておもうことをのべる。5節では、田家さんがコメントのなかでふれていた気象庁の報告書について (その内容にたちいることができないが、周辺の情報を) のべる。

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1970年代の人びとが気候についてどうかんがえていたかについてのわたしの知識のおもな源は、つぎのようなものである。

  • 1970年代に中学生・高校生・大学生として読んできた一般向けの本、
  • 1980年代、気象学を専門とする大学院生・大学「助手」として読んできた専門書のうち発行年が1970年代であるもの、
  • 2003年以後、Weart 『温暖化の《発見》発見とは何か』 (原書 2003年、日本語版 2005年) [読書ノート]の翻訳にかかわるあいだに読んだ本。

中学・高校のころ、わたしは、書名、著者名、出版年などを意識する習慣がなく、いろいろな本で読んだ知識がまざってしまった。気候関係の本を読むことは 1970年代後半の大学生のころにふえたが、読んだ本の出版年は1970年代前半のものもあったし1960年代のものもまざっていた。1970年代当時の報道からは、氷期関連の話題は興味深く見聞きしてたしかに影響をうけたが、数十年間の気候がどう変化したか・どう変化する見こみであるかの報道の論点はよくつかめなかったのであまり影響をうけなかったとおもう。だから、わたしの認識には、1970年代の前半と後半を区別する時間分解能がない。

1980年代前半の大学院生のころ、わたしは氷期・間氷期に関する学術文献を多く読んだ。そのうちでも、地球の軌道要素の万年・十万年の周期帯の変動を原因と考える、1970年代の文献を読んだ。1972年の会議で、それまでよりも明確な因果関係が示唆され、もしそれがただしければ気候は数千年の時間スケールで氷期にむかっていると考えられたらしいのだが、わたしはその議論の理屈を追って理解することができなかった。1976年の Hays, Imbrie & Shackleton の論文をきっかけとして、理論的研究も活発になり、それによれば、現在は北半球の夏の日射量が小さいので、それだけがきくならば氷期にむかうだろうと理解できる。だから、この線での寒冷化論は、1970年代前半よりもむしろ後半につよまったといえるとおもう。

わたしは、エーロゾルの気候におよぼす効果にも、観測データにもとづく気温の数十年間の変化傾向にも、あまりつよい関心をもっていなかった。1983年に真鍋さんの講義をきいてから、(温室効果関係と氷期関係にくらべればすこしだが) その二つの話題の論文もいくつか読んだが、それは1980年ごろ以後のものだった。だから、エーロゾルの効果と、観測された変化傾向についての、1970年代の議論については、わたしは論評できるほど知らない。

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Weart さんの本やその関連の文献を読んで、英語の論文を読み書きする気候研究の専門家のあいだで、1975年がひとつのふしめかもしれないとおもったことがある。この年にはつぎの3つの論文が出た。

  • Syukuro Manabe and Richard T. Wetherald, 1975: The effects of doubling CO2 concentration on the climate of a general circulation model. Journal of the Atmospheric Sciences, 32: 3-15.
  • Stephen H. Schneider, 1975: On the carbon dioxide - climate confusion. Journal of the Atmospheric Sciences, 32: 2060-2066.
  • Wallace S. Broecker, 1975: Climatic change: Are we on the brink of a pronounced global warming? Science, 189: 460-464.

Manabe & Wetherald (1975) は、3次元の大気大循環モデル (海洋の表面付近の混合層の熱容量をふくむ) で、大気中の二酸化炭素濃度を標準値のばあいとその2倍のばあいの比較実験をして気温などの差をとるという方法で、二酸化炭素濃度の変化に対する気温の変化の感度をみつもったものである。この意味での気候感度の研究として画期的だったのは、同じ著者たちの1967年の論文で鉛直1次元モデルでしめしたものであるし、大循環モデル開発者としての真鍋さんの偉業を代表するのは1969年の論文だろう。1975年の論文は、できあがった道具を適用した通常科学のパズルときにすぎないともいえる。だから純粋科学者はそれほど重視しなかったとおもう。しかし、二酸化炭素が気温にどのように影響するかという問いに対して、広い意味で同類のシミュレーションではあるものの、鉛直1次元モデルと3次元モデルというちがった道具をつかって、えられた答えはおおすじで同じだったことは、この問いに対する人類の知の頑健さ (robustness) を高めたといえる。

Schneider (1975) は、二酸化炭素濃度の変化に対する気温の変化の感度について、Manabe & Wetherald (1967, 1975) をふくむ、当時えられるかぎり多数の研究成果をレビューし、研究が進むにつれて数値の範囲がいくらかしぼられてきたことをしめした。レビュー対象に Rasool & Schneider (1971) がふくまれている。そのおもな主張は、エーロゾルが太陽放射を反射することによって寒冷化にはたらくことで、人為起源のエーロゾルがふえているので気候は寒冷化にむかうだろうという主張をふくんでいた (Rasool の意見だったらしいが)。そこでは二酸化炭素の温室効果も評価したうえでその効果は小さいとしていた。Schneider はその論文に対してうけた批判を参考に、その論文の成層圏の気温についての仮定がまずかったと判断し、二酸化炭素の効果を論じるうえではその論文を重視しないことにした。このような多数の研究をレビューする仕事は、1979年のNational Research Council 報告書 (いわゆる Charney Report) や、1990年以後の IPCC 報告書の方法のさきがけとなったともいえるだろう。

Broecker (1975) は研究論文ではなく「論じる文」なので「論説」といったほうがよいかもしれない。上の2つの論文をうけて、全地球の気候は温暖化にむかっているのだろうか、という主観的みとおしをのべた。1990年以後の世界からみると、Broecker は予言に成功した、先見の明があった、という評判もある。しかし、Broecker はほかの研究者からみて意外な仮説をとなえることがおおい人であり、それははずれることもあったから、この論説を発表当時に重視した人はそれほどおおくなかっただろう。

このようなわけで、1975年は、あとからみればふしめだったかもしれないが、その中で生きていた人にとっては、ゆるやかな連続的な変化のなかのひとつの時刻とみるべきだろうと、わたしはおもっている。

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1月19日の記事でふれた Peterson, Connolley, Fleck (2008, Bulletin of the American Meteorological Society) の論文について、わたしは、まちがってはいないとおもうが、研究方法の面から、主張がにぶいものになってしまったとおもうことがある。

ひとつは、この論文が、「気候の専門家は、1970年代には気候は寒冷化すると言っていたのに、いまは温暖化すると言っている。どちらも同じぐらいあやしい。」 という言説に反論したいという意図があって企画されたものだということだ。わたしは、この論文が出るまえに、Connolley さんのブログ、Fleck さんのブログ、RealClimate という Gavin Schmidt さんたちがやっているブログなどを見ていたので、そういう事情をいくらか知っている。意図があってもその影響が出ないように調査方法を注意深くすればよいのだが、著者たちはいずれも社会科学の専門家ではないので、そこまで配慮ができていなかったとおもう。

もうひとつは、気候が温暖化するという見通しをのべたものと、気候を温暖化させる原因やメカニズムを論じたものを「温暖化論」としてくくってかぞえてしまったことだ。両者を区別する必要があるとおもう。寒冷化論についても同様だ。たとえば、「科学的に確信をもって言えるのは温暖化させるメカニズムがあることだが、将来の見通しを問われれば不確かながら相対的には寒冷化のほうがありそうだ」という考えをもつ人もいるかもしれない。区別をこまかくするとそれぞれの件数がすくなくなって統計による主張がむずかしくなるかもしれないが。

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気象庁のもとに「気候変動調査会」という有識者会議のようなものがつくられ、1974年に『近年における世界の異常気象の実態調査とその長期見通しについて』 という報告書をだした。同じ名まえの報告書は、1979, 1984, 1989, 1994, 1999, 2005, 2014 年に出されている。

1984年から1999年までの報告書は、『異常気象レポート』という題名がつけられ、大蔵省印刷局から出版されて市販されていた。(わたしは、東京の大手町 (当時の気象庁のとなりだが気象庁ととくに関係はない) にあった「政府刊行物サービスセンター」の店頭で売られていたのを見たことがある。) CiNii Books を見ると、多数の大学の図書としても登録されている。

ところが 1974年と1979年の報告書は、気象庁から非売品で出ただけで、発行部数はすくなかった。わたしは1980年代に東京大学理学部の気象研究室にあったのを見ているが、いま CiNii Books をみても東大の蔵書にはなっていない。残念ながら、そこに何が書いてあったかわたしはおぼえていない。(それに関連するだろう情報として、わたしは、当時 気象庁 長期予報課 (いまの気候情報課にあたる) につとめていた 朝倉 正 さんが個人名で出した著書をいくつか見ていた。)

ともかく書名でウェブ検索をかけてみたら、「国立国会図書館デジタルコレクション」 に、1974年の本 https://dl.ndl.go.jp/pid/9669252 があることがわかった。ユーザー登録すれば個人送信してもらうことも可能らしい。1979年の本の要旨 https://dl.ndl.go.jp/pid/9502594 もあり、これは登録しなくても読める。1979年の本の本体は まだみつけていない (1974年の本よりはだいぶ薄い本だったという記憶がある)。

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この1974年の報告書を引用している本として田家さんがあげている 大後 (1976) の本は、わたしの家にもあった。新刊だったころに買ったはずなのだが、よく読まなかったようだ。題名になっている議論は Ellsworth Huntington の影響をうけたところがあったが、そこに興味を感じなかったのだ。いま見てみると、健康と気候、食料・農業と気候、衣服と気候、住居と気候、産業と気候という観点はおもしろいが、資料としてつかうならば専門文献にあたりなおす必要があるとおもう。

大後 (1976) で、気候変動調査会の1974年の報告書にふれているところは、第10章「未来の気候」のうち「未来の気候見通し」の節 (200-204ページ)だ。

「結論だけ先に紹介しておこう」として 5項目の箇条書きでのべられている話題は、「1940年ごろから起っている北半球の極地方を中心とする寒冷化の傾向」で、「予測は . . . 困難なことではあるが、もし十数年以上にわたった場合は . . .」「今後の気候変動の推移に充分関心を持ち、その対策を考慮しておく必要があろう。」としている。寒冷化傾向がつづく因果的必然性はないのだが、仮説的にその線でいくらか考えてみたということらしい。

つづいて「気象庁は世界各国の気象関係にアンケート調査を行なっているが、その回答のうちでアメリカのNOAAの回答」をとりあげているが、その回答の話題は氷期サイクルの件で、「今後千年から数千年のうちに . . . 氷期の気候状態に急速に移行する時期があると想像できる。しかし . . . 現在差し迫った危険としての意味で取り上げられるべきでないであろう。」とある。調査会は、氷期サイクルの件は今後数十年の変化を考えるばあいには重要ではない、と判断したわけだ。

それから「... 多くの研究や調査の結果を総合してみると、今後の気候に対しては次のようにみることができる。」として、やや長い5項目の箇条書きがある。氷期サイクルと1940年ごろからの傾向のほかに「小氷期」の話題もでてくるが、予測のような形の結論にはいたっていない。最後の第5項目としては「人類のエネルギー消費の増大 . . . が異常気象を誘発するということも考えられる。」と言っている。温室効果によるグローバルな温暖化ではなく、人工廃熱による不均一な気候変動を心配している。「東大竹内均研究室の見積り」を参照しているがこれはおそらく 竹内・長谷川 (1974) の本の (1984年発行の文庫本でいえば) 第1章 第4節 46-48ページにでてくる議論だろう。

大後さんの本をはなれるが、ソ連の Budyko の1974年の『気候の変化』でも、人工廃熱の影響を心配していて、こちらは百年ぐらいさきのグローバルな温暖化の可能性を考えていた。(エーロゾルによる寒冷化のほうがさしせまった課題とされていたが。) その議論は内嶋善兵衛さんを介して気候変動調査会にもとどいていたかもしれない。Budyko の議論の重点は 1980年の『気候の過去と未来』では二酸化炭素による温暖化にかわった。

気候変動調査会の1974年の報告書を確認しておいたほうがよさそうだが、いつまでにと約束はしない。

文献

  • 大後 美保 (だいご よしやす), 1976: 気候と文明。日本放送出版協会。
  • 竹内 均, 長谷川 洋作 (ひろさく), 1974, 文庫版 1984: 地球生態学 -- エネルギー・物質の循環と人間活動 (講談社 学術文庫 667)。講談社。
  • Mikhail I. Budyko (ブディコ), 1974: Izmeniya Klimata. Leningrad: Gidrometeoizdat. [日本語版] 内嶋 善兵衛, 岩切 敏 訳 (1976): 気候の変化。日本イリゲーションクラブ。[英語版] (1977): Climatic Changes. Washington DC: American Geophysical Union. (わたしは日本語版を読んだ。)
  • Mikhail I. Budyko, 1980: Klimat v Proshlom i Budyshchem. Leningrad: Gidrometeoizdat. [英語版] (1982): The Earth’s Climate: Past and Future. Academic Press. [日本語版] 内嶋 善兵衛 訳 (1983): 気候と環境 -- 過去・未来 (上・下)。古今書院。(わたしは英語版と日本語版を読んだ。)