macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

近い対象をあつかう複数の学会が設立されるという現象

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかをかならずしも明示しません。】

- 1 -
[まえの記事]に書いたように、学会の整理統合が必要になっている状況になっている。そのことを、個別のふたつの学会の組に即して考えはじめたとき、両学会がほぼ同時に設立されたことを思いだした。ところが、学会設立という観点で、それと同じ構造だと思われることを、あわせて 3つ経験していた。これは、学者の社会でありがちなことなのだろう。

- 2 -
一般化していうと、つぎのようになる。

  • これまでに存在した学術ディシプリンにまたがる課題が認識され、それをあつかうための学会が必要だと考えられる。これまで別々の学会に属して活動してきた人が話し合って、幅広いメンバーからなる学会が発足する。
  • その課題の核心ともいえる部分を、まえから研究してきた、比較的小さい集団がある。それは研究集会を開いたり学術雑誌を発行したりしてきたが、学会とはなのっていなかった。そのメンバーのうちには、幅広い学会では学問の質を保証できないと考える人もいる。そこで、その集団は、幅広い学会とは別に、学会としての体制をととのえる。

- 3 -
水文・水資源学会 (略称「水水」) は、1988年に発足した。これは上にのべた「幅広い学会」であり、工学系 (とくに土木工学のうちの河川工学) や、農学系 (林学や農業土木など) 、理学系 (気象学など) の人たちが参加した。社会学や法学の人も参加した。

他方、1967年から『ハイドロロジー』(かたかなでこの表記) という学術雑誌を出してきた「水文学研究会」 (初期には「ハイドロロジー談話会」) という団体があった。ある大学図書館の目録によれば、初期の発行もとは「東京教育大学 理学部 地理学教室内 ハイドロロジー談話会」となっている。「内」は連絡先という意味であって大学内の組織ではなかったと思うが、このスクールの出身者を中心としてその周辺をふくめてできた団体にちがいない。この団体は、水文・水資源学会への統合をさそわれたらしいが、水水の設立より早い1987年に「日本水文科学会」という学会になった。「水文科学」という表現には、国際学会 International Association of Hydrological Sciences にあわせた面もあると思われるが、工学や農学ではなく自然科学としての水文学をやるという意識もあったと思われる。

(わたしは、水水のほうは、設立メンバーではないが、設立大会で入会したメンバーである。水文科学会のほうは、1995年ごろ入会して大会に1回出席したが、その後は雑誌を購読するだけのメンバーだった。今年、両学会の合同大会があったのでひさしぶりに出席した。)

- 4 -
地理情報システム学会 (通称「GIS学会」) は、1991年に発足した。地理学、情報工学など多数のディシプリンから人びとが集まった「幅広い学会」だったが、とくに都市工学 (都市計画およびインフラストラクチャー管理) を専門とする人がリードしていたと思う。地理学者のうちではどちらかというと人間社会現象をあつかう人文地理学者が積極的だったと思うが、地形などの自然現象をあつかう自然地理学者もいた。

自然地理の隣接分野として地質学がある。地質学への応用をねらって情報処理技術を開発したり普及したりしている「情報地質研究会」という集団があって、1977年から『情報地質』という雑誌を出していた。1980年代にはパソコンBASICによるプログラムの共有がおもな活動だったが、1990年ごろには GRASS というフリーのラスター型GISソフトウェアの活用に熱心だった。研究会のときには、本拠地は 大阪市立大学 理学部 地球学教室にあって、弘原海 [わだつみ] 清 教授を中心に集まった集団だった。1990年に「日本情報地質学会」になり『情報地質』は学会誌になった。

(わたしは1980年代後半から情報地質研究会のメンバーだったが、活発なメンバーではなく雑誌やプログラムディスクの読者だった。学会になるという提案には反対意見 (地質に関する情報処理をする人を公平に網羅する学会をめざすよりも、弘原海先生に共感する人びとの集団であったほうがよい) を書いたおぼえがある。しかし学会になってから、共著論文を投稿したことがある (それはあきらかに地質に関する情報処理の論文で、GIS学会誌よりも『情報地質』に適した内容だった)。GIS学会には 1993年ごろ入会した。いまは両方とも脱退してしまった。)

- 5 -
科学技術社会論学会 (通称「STS学会」) は、2001年に発足した。人文・社会・自然にわたるさまざまなディシプリンの人びとが集まった「幅広い学会」である。

他方、1988年に設立され、1992年から『年報 科学・技術・社会』という論文雑誌を出していた「科学・技術と社会の会」という団体があった。ウェブサイトは、東京大学 文学部 社会学教室 の 松本 三和夫 教授の研究室のサイトにあったので、おそらく、松本教授のまわりに集まった人びとの集団だったのだと思う。この集団がもとになって、2012年に「科学社会学会」が設立され、『年報 科学・技術・社会』はその学会誌となった。

(わたしは STS学会には、何年に入会したかわすれてしまったが、2011年に出版された論文を投稿してから出版されるまえだったことはたしかだ。2012-14年ごろには積極的に活動していたのだが、その後は会員ではあるもののほぼ雑誌購読者になっている。科学社会学会の会員になったことはないが、『年報 科学・技術・社会』の論文を読んだり、学会の研究集会を聴講したことはある。)

STS学会の中でいくらか活動した経験からみて、科学社会学会が別にできたことは納得できる面がある。STS学会は、メンバーのディシプリンがあまりに多様なので、学術論文の査読の基準が査読者ごとにばらばらになってしまう。学術論文の質を保証するためには、査読者をあるていどディシプリンの近い人でかためる必要があるのかもしれないと思う。