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学会はなんらかの整理統合が必要

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかをかならずしも明示しません。】

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ある学会の総会に出席した。その学会の存亡が問題になっている。その学会にかぎらず日本語圏の学会に共通の課題だと思うので、なるべく一般的にのべてみる。

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まず、学問にはつねにあたらしい観点が生じ、従来とはちがった人のあつまりが必要になることがある。あたらしい学会をつくりたいという動機があるとき、それは実現しやすいだろう。しかし、学会活動にかかわる時間と意欲のある人口はかぎられているだろう。それが変わらないとすれば、あたらしい学会ができるぶんだけ、従来からある学会の活動は縮小しないといけないだろう。

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また、このごろ、大学院、とくに博士課程に進学する人がへっている。日本の人口がへっているせいもあるが、経済規模が停滞しているうえにおおくの分野で博士をとっても就職に有利にならない状況がつづいているので、進学の魅力がなくなっている面もある。したがって、学会活動をになうという意味でも、会費をはらうという意味でも、学会をささえる人口はとうぶんへっていくだろう。

分野によっては、外国からの留学生はおおぜいいるところもある。そのうちには、日本に住みついて日本語で学術活動をするようになる人もいくらかはいるだろう。しかし留学生の大部分は本国に帰ったり他の国に移っていくだろうし、たとえ日本に本拠をおくとしても、英語などで国際的に活動する人が多いだろう。うまくいけば日本国の学術活動は活発でありつづけるかもしれないが、日本語で会議の運営や雑誌の編集をする学会の労働力はへるだろう。

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また、学者・研究者の人数はへらなくても、学会活動にさける時間がへる傾向もある。ひとつは、大学の授業時間の確保をきびしくいわれるようになって、学会に参加することを理由に授業を休講にすることがむずかしくなった。また、大学をふくむ研究機関の研究費のうちで、無条件につくものが減り、研究の実績か提案かのすくなくともどちらかを評価してつけられるものがほとんどになった。研究者の時間は、評価される材料を記述することと、同僚の実績あるいは提案を評価する業務の分担とにとられ、自由につかえる時間はすくなくなっている。

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はたらける人にくらべて、日本語圏の学会の数は多すぎる状況になっていると思う。学会の数をへらすような変化が必要だと思う。

変化の形は、なんとおりかある。

  • (1) 従来の学会をいくつもふくむ連合学会をつくって、各学会はその傘下にはいる。そのうえで、学会の事業を連合学会にうつしていき、個別の学会でやることをへらしていく。
  • (2) 似た対象をあつかう学会どうしで合併する。
  • (3) 個別の学会が、学会としての形をたもつのをあきらめ、インフォーマルな集団に移行する。学会としての評価をえる活動をしたいメンバーは、存続するどこかの学会に活動の場を移す。( ここで移るさきがみんな同じならば、むしろ (2) の合併の形をとったほうがよいだろうが、メンバーごとに合併したいあいてがちがうばあいは、(3) のかたちをとったほうがよいこともあるだろう。)

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国際的な学会活動をどうするかは、それぞれの分野ごとに、たよりになる国際学会があるか、日本の学会と外国の学会とのあいだの組織どうしの関係が重要か、国をこえた学者集団ができているか、などの事情のちがいがあって、一般化してのべるのがむずかしい。ひとまず、ここまでにしておく。