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日本語のラ行の子音と L と R

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

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2020年11月ごろ、 L と R の音を日本語の中でどう表現するかという話題にすこし参加した。そこから連想して考えたことを書きとめておく。

【Lの小文字が読みにくいので、LとRについてはおもに大文字をつかうことにする。】

y_mizuno (水野 義之) さんによるツイートのまとめがつぎのところにある。

  • https://togetter.com/li/1620027「LとR、特に米国大統領選でも話題の「ラストベルト」について 〜日本語のラ行はなぜLでなくRと習うのか〜」(2020年11月8日)

その話題の発端は、「ラストベルト」は rust belt なのだが、まちがって last belt だと思われがちだ、ということだった。(lust にされるともっとまずいという話をした人もいた。)

日本語には L と R の区別がないが、英語からの外来語を英語にもどすときは、どちらだったのか知る必要がある。日本語のなかでも、その区別をのこした表記をしたいときはできたほうがよい、という議論は、もっともだと思った。

しかし、水野さんは、〈日本語のラ行の子音は L のほうに近いのだから、ローマ字で書くときは、Lで書くべきだ〉という趣旨の議論もしていた。〈Lで書くべきだ〉という意見にはわたしは反対だ。〈Lのほうに近い〉という事実認識も条件つきだと思った。

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日本語のラ行音についてのわたしの認識はつぎのようなものだ。ラ行の子音は、発音のばらつきをあまくみとめれば「RでもLでもありうる」。このことを「日本語にはLとRの区別がない」ともいえる。しかし、もし標準的とされる発音にかぎれば「ラ行音の子音は英語のRともLともちがう」というのが適切だと思っている。

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わたしは子どものころ、わたしの発音のラ行音が L だといわれたことがある。日本語で標準とされるラ行音の発音からは、だいぶ ずれていたのだと思う。そういう指摘をした人は、日本語で標準とされるラ行音と、おそらく英語で標準とされる L の発音とのちがいを認識していたことになる。

わたしは、中学・高校生のころ、日本語学と英語学の入門書で、日本語のラ行音の子音、英語の L と R の音がそれぞれどういうものかをしらべて、ラ行音の標準とされる発音は、LとRのどちらともちがう、という認識にいたった。ただし、情報の出典を記録する習慣がなかった。

このブログ記事を書く参考に、Wikipedia 日本語版の「調音部位」「歯茎音」などの記事を見た [2021-01-11]。音声学の専門家はつぎのような音を区別している。IPA (国際音声字母)を [ ] 内に、音声学的な分類名を「 」内に書いておく。( ) 内はかならずしも記事どおりでなく、わたしが理解したことのメモである。

  • [l]「歯茎側面接近音」(多くの言語の L はこれがふつう)
  • [ɺ]「歯茎側面はじき音」(日本語のラ行子音はこれがふつう)
  • [r]「歯茎ふるえ音」 (いわゆる〈巻き舌の音〉、多くの言語の R でこれがふつう)
  • [ɹ]「歯茎接近音」(英語の R はこれがふつう)

(IPAの字形は相互に区別しにくい。わざと微妙なちがいをつかっているのだと思う。)

わたしはつぎのように理解した。

  • 英語のRの音[ɹ] (英語学習用の発音記号では[r]と書かれる)は、「後部歯茎接近音」で、舌を歯茎よりはやや奥のほうにもっていって、その上の 口蓋 とのあいだに いくらかすきまを残して声を出す。
  • Lの音 [l]は、舌を上の歯茎につけたままにして、舌の横から息をだしながら声を出す。
  • 日本語のラ行子音[ɺ]は、舌を上の歯茎につけるところは L と同様だが、(母音にうつるまえに) 舌を離すところがちがう。

なお、英語の標準とはされないが、わりあいひろく聞かれる方言音として、日本語のラ行の子音に近い音がある。たとえば water が「ワラ」ときこえるときの t の発音だ。IPAで[ɺ]とされる音を説明したWikipedia 日本語版「有声歯・歯茎たたき音およびはじき音」の記事中の表の「英語」のところに記述がある。母音ではさまれた t がこの発音になることがあるのだ。(なお、R がこの発音になる方言もあるそうだ。) だからといって、日本語のラ行音を t で書くわけにはいかない。それではタ行音との区別がわからなくなる。

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日本語の断片ではなく文章全体を ローマ字 で書いたはじまりは、16世紀のイエズス会だと思うが、彼らはラ行音を R で書いた。たとえば、いわゆる「天草本 (あまくさぼん)」の『平家物語』の「ものがたり」は「monogatari」と書かれている。その後、(個人の文字づかいとして L をつかった人は おおぜいいるだろうが)、日本語ローマ字表記の方式として体系的につくられたものでは、ヘボン式、日本式、訓令式のいずれも R なのだ。その実績があるので、L に変えるのは損だ、と、わたしは思う。

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韓国語にも、LとRの区別がない。韓国の標準的なローマ字表記では、音節のはじめでは R、音節のおわりでは L がつかわれる。【ただし、韓国の「李」さんは、family name の発音はおそらく i (標準的ローマ字表記では Yi )なのだが、それをローマ字で書くとき (むしろ〈英語で書く〉という意識なのだろう)、Lee とする人が多い。Lee が 英語圏の family name にすでにあるからにちがいない。】

中国語では、日本語の字音がラ行になる語の子音は1種類で、標準的なローマ字(ピンイン)では L がつかわれる。ピンインで R というつづりはあるのだが、これは、そり舌の有声摩擦音である。英語などLとRの区別のある言語からの外来語では、もとが L でも R でも、中国語の L の音でうけている。

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日本語のローマ字で、R がつかわれているのは、たまたまかもしれないが、つぎのように考えると合理的だともいえる。

西洋の言語 (英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語など) をあわせてみると、 R のほうが、L よりも、可能な発音のばらつきが大きい。日本語のラ行の子音は、Rの分布の中央よりは Lの分布の中央に近い ということはありそうだが、もしそうであっても、Rの分布のひろがりにはふくまれるが、Lの分布のひろがりにはふくまれないのだと思う。

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日本語のローマ字表記については、つぎの事情もある。ローマ字から かな に変換するソフトウェアをつくる人たちが、小さくかく かな文字をしめす記号として、〈あいていた〉 L を流用してしまった。「la」は「ぁ」と変換される。【L をつかう流儀のほかに X をつかう流儀もある。わたしは、日本語のローマ字表記で標準的な拗音や促音の書きかたで入力できればそれをつかうし、個別に〈小さい かな〉を出す必要があるときは X をつかうので、この目的で L をつかう習慣はない。】 これは偶然のなりゆきなのだが、これを見なれた人が多くなってしまった いま、ラ行音を L であらわすのは、うけいれられにくくなってしまったと思う。

- 7X -
もしこれから状況がかわるとすれば、ありそうなのは、日本に中国語がもっとたくさんはいってくるばあいだろう。町の看板にある漢字には いつもピンインがそえられているとか、機械に漢字まじりのテキストを入力するとき日本語の部分も中国語ピンインをつかうのがあたりまえになるとかいうことになれば、ラ行音と L とのあいだには密接な連想がはたらくにちがいない。

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日本語のなかで、外来語を かたかな で書くとき、L と R をかならず区別するのは、現実的でないと思う。しかし、区別したくなったときに区別する表記はあったほうがよいと思う。

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1970年代に見た、英語の学習のための本で、英語の発音を かたかな で近似するとき、ひらがな をまぜて発音を区別しているものがいくつもあった。そういうものは、R を「ラリルレロ」であらわすのに対して、L を「らりるれろ」であらわしていた。その逆にしていたものは見たおぼえがない。この表記の背景には、どちらかといえば R のほうが日本語のラ行音に近く、L はそれに似ているがちょっと注意を必要とする音、という意識があったように思われる。しかし、だれかが たまたま そういう表記をして、他の人は〈わざわざその逆にするのはまぎらわしい〉と考えて同じにした、というだけのことかもしれない。

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水野さんが、R のばあいは ラ行の かたかな のまえに 小さい まる をつける、という案をだした。半濁点からの類推だったらしい。

わたしも、その方式がよいかもしれないと思ったが、理由はちょっとちがっていて、まるを「o」 (オ段の母音) だと思うことによって、R は L よりも舌が奥のほうにむかっていることをあらわせると思ったからだった。標準的な母音の体系では、a よりも o、o よりも u が奥舌なのだが、日本語の東京型の発音では、ウの母音は中舌になってしまう。奥舌であることが確実なのは、オなのだ。

また、江戸時代末期ごろにロシアのことを「オロシャ」という表現があったのを思いだした。これも、r の音をだすための準備としてオがはいったのではないかと思う。ただし、中国語ではロシアのことを「俄罗斯 (é luó sī 、オ ルオ ス)」という。モンゴル語では「Орос (オロス)」という。日本語の「オロシャ」が中国語またはモンゴル語の形をとりいれたものならば、日本語話者が r に奥舌の特徴をとらえたとはいえないかもしれない。

【[2021-03-29 補足] 書評 (高木, 2021) で知って、まだ原本でたしかめていないのだが、人文地理学者の 田邉 裕 さんが『地名の政治地理学』という本のなかで、L のほうを「ラo」のようにあとにまるをつけてしめす方式を提案したそうだ。これを知ってわたしは、まるをつける方式で合意をえるのはむずかしいと感じる。

  • 高木 彰彦, 2021: 書評 田邉 裕: 地名の政治地理学 -- 地名は誰のものか。地理学評論, 94 (2): 103-104.
  • 田邉 裕, 2020: 地名の政治地理学 -- 地名は誰のものか。古今書院。】

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もうすこし考えたら、〈小さい まる〉などを導入するよりも、ラ行音の かな のまえに、アルファベットの R または L をそのまま (直接は読まない記号として) まぜるほうが、いまの文字セットですぐできるし、明確だろうと思うようになった。英語からの外来語の「ライト」が「右」(または「権利」) か「光」(または「軽い」) かは、「Rライト」と「Lライト」で区別できる。

- 9 [2021-01-13 追加] 余談。 -
わたしの家とかかわりのある団体に、「ロイヤル」ということばがはいった名まえのものがある。

現代日本語のなかで「ロイヤル」「ロイアル」「ローヤル」とあれば、たいてい、王さま に関係のあるものごとだろうと思う。英語の royal だと思うのだ。

ところが、うちのかかわる団体のばあいは、loyal なのだ。8c 節の表現をすれば「Lロイヤル」なのだ。これは「忠実な」というような意味で、語源は 法律 と関係がある。

ついでながら、royal も loyal も、英語にフランス語からはいったことばで、フランス語の音の変化の前後の両方のかたちがはいっている。royal と regal は 意味がかさなっている。legal は 語源どおり「法律の」という意味で、loyal はそこからいくらか意味がはなれている。