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社会を経済成長に依存しないように改造することが必要だ

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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ある人(A氏とする)の主張に対して別の人(B氏とする)から批判があった。B氏の議論のうち、専門的概念を使ったところは理解できていないが、理解できたかぎりではわたしはB氏の主張に賛成する。ただし、B氏の文章の表題に「脱成長派」ということばが使われていて、文脈から直接にはA氏の主張をさすもののようだが、B氏は脱成長論全般に反対しようとしているようにも見える(それがB氏の意図でないとしてもそのように使われそうだ)。脱成長が必要だと考えているわたしとしては、A氏とはちがった脱成長論の主張を組み立てておかないといけない。

ここでいう脱成長論とは、経済成長をめざすのをやめることだ。経済成長をしていけないというわけではないが、経済が成長しなくても困らないようにすることだ。

わたしはこのブログでたびたび自分の脱成長論について書いている。近ごろでは[2016-10-09「日本社会が縮むことへの適応を考えよう (学術研究体制についても)」]で述べた。ただしこの2016年10月の記事は、大学・研究機関の人件費減らしが進んでいるという話題に応じて、それは避けられそうもないからどう適応するか考えようという議論だった。あらためて、国民経済全体の成長や縮小の件を主題にした記事を書いておく必要がありそうだ。

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有限の地球上で、人間活動が限りなく成長を続けることは不可能だ。

ただし、ここでいう成長は、物質やエネルギーを動かす量がふえることをさしている。物理量としての質量やエネルギーは不生不滅だ。しかし、具体的な物質やエネルギーの形は変化し、人間にとっての資源としての価値も変化する。物質資源やエネルギー資源の消費とは、資源価値のある物質やエネルギーを資源価値のないものに変えることなのだ。人間活動による資源消費量は、20世紀のあいだに大きくふえた。人間社会が今後も持続可能であるためには、資源消費量をふやさず、むしろ減らすことが必要だ。現在の世界のひとりあたり資源消費量が、国や社会階層によって大きく偏っていることを考えると、とくに現在ひとりあたりの消費量が大きくなっている社会では、消費量を減らすことが必要だ。

経済の規模の成長は、資源消費量の成長とは、いちおう別の問題だ。しかし(これが代表的文献かどうかわたしはよく知らないが)、Ayres & Warr (2009)によれば、20世紀のアメリカ合衆国や日本のGDP成長はエネルギー資源消費量の成長(といくらかのエネルギー利用効率向上)が主要因だったと見られる。今後は資源消費量の成長を伴わない経済成長が可能かもしれないが、それは前例の乏しい新しい挑戦なのだ。それが成功することをあてにして政策をたててはいけない。

これまでの経験で、経済が成長しない時期には失業や貧困が多いという傾向があったのはたぶん事実だろう。これから必要なのは、社会を、経済が成長しなくても失業や貧困が拡大しないような構造に変えていくことだ。富の総量がふえるとは限らないのだから、富の集中を防ぎしっかり再分配することが重要であることはあきらかだ。

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(相対的に)年寄りの世代が脱成長論をとなえることは、若い世代に自分たちよりも貧しい生活をおしつけることになり、倫理的によくない、という批判があることは承知している。

しかし、限りない成長論をとなえることも、若い世代に資源枯渇や環境悪化による破滅の危険をおしつけることになり、倫理的によくないのだ。

また、成長する社会に代わるものとして定常的社会を提唱すると、代々同じ仕事をすることしか許されないような構造の社会を望んでいるのか(そんな社会が望ましいはずはない)という批判を受ける。(わたし自身、1970年代に「成長の限界」が論じられたとき、この件をどうとらえるか悩んだ。) しかし、必要なのは、資源消費の規模が定常であるか縮小することであり、社会のありかたの変化を止めることではない。ただし、社会全体が「成長し続けなければ不幸になる」あるいは「変わり続けなければ行き詰まる」ようなものでは、全体が倒れる危険があって、まずい。望ましい社会の状態としては、その状態が準定常的に長く続くことが最善ではなくても悪くはない状態を想定しないといけないと思う。

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移民受け入れの件について。わたしの2016-10-09の記事では、日本国内の5年から10年の計画をたてる際には、移民をあてにせず、人口減少を前提として考えよう、という主張をした。そこでは説明不足でわかりにくかったかもしれないが、わたしは、30年ぐらい以上の時間規模では、日本列島が移民を受け入れ多民族がともに住む土地となることはほぼ必然だと思っている。そのときにどのような国家体制がありうるか複数の形を想定してみて、そのうちでどのような体制が望ましいか、まず大まかな議論を始めるべきだと思う。

文献

  • Robert U. Ayres & Benjamin Warr, 2009: The Economic Growth Engine: How Energy and Work Drive Material Prosperity. Cheltenham Glos. UK: Edward Elgar, 411 pp. [読書ノート]