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ツイッターの混雑

いま(2012年7月1日日本時間14時ごろ)、twitter.com につなぐと動作はしていていくつかの記事を返してはくれるのだが、さらにその前の記事を見ようとしたり、検索をしようとしても、動作中のしるしは出るものの先に進まない。わたしは2011年末からTwitterを読むようになり、2012年4月から書きこみもしているのだが、このような症状は、5月までは出会わなかったが6月にはいってからときどき出会っている。これまでの経験では、症状が半日くらい続いて回復した。ただし、自然に回復したのか、Twitter社あるいは通信経路の他の部分で働いているかたによる対策のおかげなのかは知らない。したがって根拠はないが、今回も同様に回復するだろうと予想している。

想像を含む主観的判断だが、この症状を、わたしは「混雑」だと思っている。サーバーの能力に比べてアクセス数が多いためにサーバーの処理が追いつかないのだろうと思うのだ。(サーバー用計算機ではなく通信にかかわる装置かもしれないが、それがサーバー機といっしょに管理されているものならば「サーバー」に含めておく。もし途中の通信経路ならば別に考える必要が出てくるがひとまず議論からはずしておく。)

いったん混雑が始まると、それを知らないで不調を自分の側の失敗かと思ってやりなおす人、混雑状況を確認したい人、混雑を承知のうえで成功の可能性に賭けて何度も読み書きを試みる人などによって、混雑は強まるだろう。

混雑だとしてその原因は、サーバーを混雑させることを直接の目的とした (その先の目的が、Twitter利用者間の情報交換を妨害することなのか、Twitter社に損をさせることなのか、ひそかに通信妨害能力を誇ることなのかはさておき) 攻撃(いわゆるDoS)であるという可能性もある。しかし、どちらかというと、Twitterを読み書きする利用者(そのうちには利用者が自動発信のしかけをした「bot」類を含むが)のアクセスが多くてサーバーが追いつかなくなった、という事態のほうがありそうだと思う。Twitterの利用は無料であり、Twitter社の収入はおもに広告によるにちがいない。(Twitterの記事リストにはときどき「プロモーション」というのがまざっている。「表示しない」という選択肢がついている。わたしはすぐにそれを使うので広告主にとってはあまりありがたくない利用者にちがいない。) 需要がふえていてもそれが持続することが確実でないので、サーバーの設備投資をする決断は需要ののびよりは遅れがちになり、混雑はますます頻繁に起こるだろうと予想する。

Twitterのサーバーでは多くの言語をいっしょに扱っているので、混雑の原因が日本語圏にあるとは限らない。しかし、わたしの想像だが、日本語圏の需要が、英語圏Twitterのしくみを設計した人の予想をうわまわってふえていて、混雑の起きやすさを高める要因になっているだろうと思う。詳しく比べたわけではないが、英語圏に比べて(相対的に)日本語圏のほうがTwitter上に詳しい(複雑な)情報があると思う。その理由は、1つの記事は140字以内という制限のしかたで、日本語では英語の約2倍の情報をのせることができることだ[3月22日の記事参照]。中国語は1文字あたりの情報量がさらに多いが、中華人民共和国では政府の情報規制によってTwitter社のサービスが使われておらず、それを除いた中国語圏の利用者人口は(まだ)日本語圏ほど多くないだろうと思う。

Twitter利用者には大学教員がわりあい多く、授業にTwitterを使う試みの話題もときどき見られる。学生にアカウントを作らせることには、個人情報保護、言論の自由、プライバシーなどいくつかの要因がからんだ問題があり、授業専用アカウントならば問題を避けられそうだと考えている人が(試みている人のうちでは)多いようだ。また公共部門の情報発信に関しても、Twitterのような応答・コメント可能な通信メディアをもっと使うべきだという議論があり、大筋ではわたしも賛同したいと思った。

しかし公共的なメッセージ交換をTwitterのような企業の事業に頼るといくつかの問題がある。そのひとつが混雑で明らかになったサービスのavailability (「可用性」、需要があるときに供給があること)の不確実さだ。公共目的で必要な機能ならばその機能の代価として公共部門から資金を提供することも考えられるが、そうすると、媒体の国家権力からの独立性がそこなわれる。また公共サービスと商業サービスが同じ媒体を共有すると、その媒体の管理者に両方の情報をあわせて使う事実上の権力が生じてしまう。このことは公共図書館業務を(本にも対象を広げている)レンタルビデオ会社に委託することをめぐって5月に議論になったばかりだ。この場合は公共サービスの商業資本からの独立性がそこなわれるというすぐ前に述べたのとは逆向きの問題になる。

ときには、税金を使って、公共的なメッセージ交換用の媒体をつくることも必要なのだと思う。しかし、それを汎用にすると大規模な費用がかかってしまうし、目的を限定すると機能の割に高い費用がかかってしまうにちがいない。公共部門の支出を減らすことも求められているいま、出口を見つけるのはむずかしい。