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「バベルの塔の職人長屋」 シリーズ趣旨説明

人々の主張が一致しない理由が、同じ用語を使っているがその意味が違っていて、それに気がつかないか、あるいはそれぞれが自分の使いかたが正しく相手の使いかたがまちがっていると考えているという事情によることがある。

こういうときは、自分と相手が違う言語を使っていて、その間では翻訳が必要なのだと考えたほうがよいと思う。

「気象むらの方言」シリーズでは、気象学や気象事業で使われる用語が、ほかの専門の人がすなおに解釈すると違った意味になりうることに注目して述べるようにしている。

「気象学 対 他の専門」以外の構造での意味のくいちがいを論じるために、別の見出しを立てることにした。

[ここから2012-11-10追記]
「バベルの塔」はもちろん旧約聖書に出てくる話だが、ここではユダヤ教やキリスト教の信仰につなげるつもりはなく、「ことばが通じなくなる」ことに関する古い伝説としてとりあげた。とくに、近代科学は、宇宙のものごとを統一的に理解することをめざす動機をもっている(唯一の動機だというつもりはない)。だから科学の言語も普遍性をめざしているはずなのだ。しかし他方、科学の内容が詳しくなるとともに科学者集団が専門ごとに分かれその言語も分化して互いに違うものになっていくことも、科学といういとなみの構造上当然のことらしい。これをなげいていても始まらないので、ことばのくいちがいがあることを自覚したうえで克服する努力をするべきだと思う。

「職人長屋」という表現は別に考えていたのだが、「バベルの塔」とつなげようと思ったのは、ピーテル・ブリューゲル(父)によるバベルの塔の絵(複数あるうち、ウィーン美術史美術館にあり1563年にかかれたとされているもの、Wikipediaに採用されている画像http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_%28Vienna%29_-_Google_Art_Project_-_edited.jpg )について、テレビ番組を見て、建設中の塔の外壁にへばりついた形で建設労働者の住居が描かれていることを知ったからだった。

(気候屋としては、Pieter Bruegelといえば、(どちらかというと息子のほうだが)雪景色をえがいた絵が多く、「当時の気候が今[現代の温暖化が明確になる前の20世紀なかばをさす]よりも寒かったことが示唆される」という議論がよくあるのだが、そういう主張は科学的に裏づけられているだろうか、という関心の対象である。ただしこの問題についてわたしは具体的検討をしていない。)