「これはペンです」という題名の小説が話題になっているが、わたしはそれを読んでいないし、これから読む予定もない。ここに書くのはその小説とは関係なく、「これはペンです」という文について思い出したことだ。
1970年に中学生になったわたしは「This is a pen.」という文をなんとなく知っていた。それまでおそらく10年以上にわたって中学の英語の教科書の最初の例文として使われていたはずだ。
ただし、わたしの使った教科書の最初の例文は「I have a book.」だったと思う。少なくとも「have」は確かだ。生徒のだれかが、なぜ「This is a pen.」で始まる教科書にしなかったのか、ときいたのに対して、先生が、「isはbe動詞といって英語の動詞のうちでは特殊なものだ。多くの動詞と同じ構文をつくる have から習ったほうが応用がきくのだ」というような説明をしてくれたような記憶がある。もしかするとそれは英語の先生から聞いたことではなく、小学校の算数に関する「水道方式」について説明した本を読んでわたしが考えたことだったかもしれない。ただし、ここで have がふつうの動詞だというのは、たとえば疑問文の作りかたをイギリス式の「Have you ...?」ではなくアメリカ式の「Do you have ...?」によることが前提だ。
学校の授業の例文として「This is a pen.」を使うことについては(この点では「I have a book.」でも同じだと思うが)批判がある。この文は実地に使われない、というものだ。
実際、人に会ったとき最初に話しかけることばとしては、たとえば「Hello.」が適当であって、もし1つの文しか知らなかったからだとしても、「This is a pen.」と話しかけたら、コミュニケーションが成り立たないだろう。(そういえば、日本語圏のテレビのコメディーで、ある人が決まり文句として「This is a pen.」を使ったそうだが、どういう文脈で使われたかわたしは知らないので論評できない。) しかし、英語で会話するのであればあいさつの表現はいずれにせよ覚える必要があるが、それは特殊な定型で、あいさつ以外の表現との間で類推がきかないのがふつうだ。会話が成り立つためには、あいさつの次に何を話すかが問題だ。それに備えて、何か持っているものを見せながら「This is ...」あるいは「I have ...」ということができるようにしておくのは、よい教育方針ではないだろうか。
わたしよりも少し下の人たちが使った教科書では、また違う例文で始まるものがあった。記憶が確かでないが、「I like English.」だったかもしれない。この文は他動詞による構文の一般的な例と言えるので、文法を理解するうえでの水道方式流の「一般から特殊へ」の方針のためにはhaveよりもよいかもしれない。また、ひとつ覚えで口にするとしたら、「This is a pen.」よりも「Hello.」よりもよさそうだ。しかし、これを否定文、疑問文の練習材料にはしたくないと思う。形式的練習と割り切って操作している間はよいが、意味のある会話にしようと思うと、正直に言うべきか、英語を職業にしている先生に遠慮するべきか、迷ってしまうのではないだろうか。「I speak English」ならば、内心ではなく事実で真偽がわかるのでこの欠点は避けられ、しかもひとつ覚えになってもよい文だろう。ただし、生徒に正直に話させようとすると、「今話している」と「ふだん話す」の区別が必要になる。この例文による練習は進行形を習ってからにしたほうがよいだろう。
「これはペンです」という会話は教室の外ではめったにしないかもしれないが、教室の中で、真であることを確認しながら会話ができるという意味で、よい例文なのだと思う。しかし「これはペンですか?」「いいえ、本です」という会話は現実的でない。いくらかペンと似たところのあるものとの比較でなければならないだろう。そして、何がペンに含まれ、何は含まれないかについて、生徒たちと先生の間で根本的なくいちがいがないことが前提だ。
1970年の中学生が持ち歩く筆箱には、鉛筆ははいっていたが、それはペンとみなされていなかった。筆箱にペンがあることは珍しかったと思う。(3年以内には事情は変わっていたのだが。)
1970年の中学生にとって、単にペンと言えば、金属製の小さな先の割れた板(ペン先)が木か何かでできた棒(ペン軸)の先についていて、ペン先をインクびんにひたしてインクをつけて文字を書くものだった。生徒はそれを学校では使わず、家で持っているかどうかはまちまちだった。昔のペンは鳥の羽だったという話は聞いていたがその実物は見ていなかった。万年筆は親の世代の人が使うのを見ていた。万年筆はペンかと問われればペンに含まれるとしたと思うが、単にペンといったときは万年筆を思いうかべなかった。商品名「マジックインキ」というものはあったが普通名詞「フェルトペン」は使われておらず、「マジック」はペンの一種とは認識されていなかった。
そして「ボールペン」がしだいに普及してきた。これも問われればペンに含まれるとしただろうが、ボールペンを持っているときにペンを持っていると言ってよいかどうかはよくわからなかった。たしかラジオの英語講座で、「ボールペン」に対する英語は(ball penではなく)「ball-point pen」だと聞いた覚えがある。
それから、商品名「サインペン」などインク内蔵型のペンがいろいろ現われた。そういうものを総称することばとして「ペン」が使われるようになり、ようやく生徒がペンを持っている状況になったのだと思う。
技術という科目の製図実習で使われる道具として「からすぐち」というものがあり、今から思えばペンの一種だと思うが、中学生当時のわたしはペンとは別のものと認識していたと思う。
筆(ふで)はペンではなかった。そして、万年筆も鉛筆も、漢字で書くときは「筆」という字を使うものの、筆ではなかった。筆を英語で表現すれば「brush」であることは知らなかった。「ブラシ」がbrushであることは知っていたが、もちろん筆はブラシではなかった。
そこで、1970年の中学生が正直にできた会話は、
「それはペンですか?」「いいえ、鉛筆です。」
というものになった可能性が高い。
なお、「This is...」で始まる一連の教材で教えられる知見の重要な部分に、日本語には「これ」「それ」「あれ」があるが英語ではthisとthatだけだ、ということがらがある。日本語の側の話題として[別記事「こそあど」]に書いた。