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地球環境論のためにほしい熱力学、放射(電磁波)に伴うエントロピーの流れは4/3がかかるのか

[この記事はわたしの疑問を他のかたに説明できるところまで整理するために書いた。その目的に対してまだ不満なので、今後も改訂すると思う。必ずしも改訂履歴を残さないことをおことわりしておく。]

環境問題・資源問題の基本には熱力学第2法則がある。わたしがそう思うようになったのは、槌田(1978, 1982)の影響が大きい。槌田の議論によれば、地球上で人間を含む生物が活動を続けられるのは、地球環境が、そこで発生すると同じだけのエントロピーを放射(電磁波)によって外に捨てることにより定常状態を保てるしくみをそなえているからなのだ。また、同じころ読んだ杉本(1978)の本によれば、太陽のような恒星もエントロピーを捨てている系としてとらえることができる。

熱力学を勉強すると、起こりうる現象の向きはわかる。しかし、エントロピーの発生量や流れの量に関する議論はふつうの熱力学には出てこない。最近、田崎(2000)の本などで勉強しなおしているのだが、ふつうの熱力学は平衡状態の熱力学であり、定量的記述ができるのは熱力学的平衡状態だけなのだ。ほぼ平衡を保ちながらゆっくり変化していく準静的変化を考えることはできる。また、非平衡状態を経る変化についても、前後の平衡状態を比較してどちら向きの変化が起こりうるかを論じることはできる。しかし、平衡の熱力学には時間の向きはあっても時間という次元の定量的尺度がない。

不可逆現象が起きているが(準)定常状態にある系を論じようとすれば、単位時間あたりのエントロピー発生量や、単位時間あたりのエントロピーの流れを扱いたい。そういう「不可逆過程の熱力学」の定式化はいちおうできていた。わたしがおもに勉強したのは妹尾(1964)の本だが、Prigogine (1967)も読んだ。妹尾の本で言えば第4章の「輸送現象の熱力学」が重要だ。局所熱力学平衡という考えかた(妹尾の用語では「部分平衡」となっているがわたしは英語のlocalに対応する語は「局所」としたい)によって、熱力学変数を空間・時間座標の関数として扱うことができる。(分子運動論的に考えればこの「局所」はじゅうぶんたくさんの分子を含む空間、じゅうぶんたくさんの分子間衝突が起こる時間でなければならないのだが。)

気象学では、運動方程式と連立される形で熱力学第1法則の式を使う。運動方程式が加速度つまり速度の時間微分を含んでいるから、熱力学第1法則の式も、局所熱力学平衡を前提として、空気がもつ単位質量あたりのエネルギーの時間微分に関する式として定式化される。また、気象学では、熱力学の第2法則を定性的には使っている。たとえば、運動エネルギーが摩擦散逸によって内部エネルギーになる過程は不可逆である。また、放射を太陽放射と地球放射の波長帯に分けてしまい、大気や地表面は、地球放射を吸収・射出するが、太陽放射は吸収するだけで射出はしないとしている。しかし、エントロピー発生を直接的に計算することはめったにない。Petty (2008)の大気熱力学の初級教科書では、第6章で熱力学第2法則を説明してこれは重要だと言ったあとで、しかしこの本の残りでは使わない、と言っている。

気象学で常に局所熱力学平衡の近似が使えるわけではない。しかし対流圏・成層圏の大部分の話題(光化学関係を除く)には使える。浅野(2010)の3.6節「局所熱力学的平衡」の83ページに、「地球大気の赤外放射伝達に重要な吸収帯に対しては、高度60〜70 km以下の大気ではLTE[=局所熱力学的平衡]が成り立つとしてよい。」とある。

大気の従う物理法則を詳しく記述しようとした本のうちにはもう少し立ち入った議論がある。Satoh (2004)は第9章「Basic equations of moist air」の9.3節「Conservation of energy and entropy」の(9.3.10)式(267ページ)は、単位質量あたりのエントロピー s の流体に乗った時間微分 ds/dt の式であり、右辺各項が(1)熱の拡散によるエントロピー発生、(2)物質の拡散によるエントロピー発生、(3)エントロピー輸送、(4)[運動エネルギーの]散逸によるエントロピー発生(正)、(5)放射によるエントロピー変化(正負いずれもありうる)としている。参考文献としてde Groot and Mazur (1984)をあげており、(1)から(4)まではPrigogine流の不可逆過程の熱力学の標準的定式化のようだ。だが第5項は放射によるエネルギーの流れの収束(発散の符号を変えたもの)をその場の温度で割った形になっているが、これでよいのだろうか。どんな放射だろうと吸収されればその場の温度の熱になってしまうということを意味するのだろうか。

エネルギーが出入りしうる系でのエネルギー保存の法則は、系のもつエネルギーの変化は系の壁を通るエネルギーの正味の出入り(入りを正とする)に等しい、と表現できる。同様に、開いた系での熱力学第2法則を、「系のもつエントロピーの変化は系の壁を通るエントロピーの正味の出入り(入りを正とする)と系内のエントロピー発生量の和に等しく、エントロピー発生量は正である」、と表現したい。さきほどのSatohの本の9.3節の題名はエントロピーが保存量であるように感じられて一見おかしいが、趣旨はエントロピー発生量を含めて収支の閉じた等式の形に書くということにちがいない。

地球環境のエントロピー収支を考えるうえでは、太陽からくる放射が約6000 Kの黒体放射に近く、地球が出す放射が(あえて近似すれば)約255 Kの黒体放射に近いことが重要だ。エネルギーの流れは出入りがほぼつりあっているが、エントロピーの流れとしては、はいるほうが温度が高いので小さく、出るほうが温度が低いので大きい。放射に伴うエントロピーの流れは、放射も熱だと考えれば、エネルギーの流れを温度で割った値でよさそうに思われる。根本(1973, 51-54ページ)や槌田(1978, 1982)は地球環境全体のエントロピー収支を示す際にそのようにしている。

しかし、地球環境のエントロピー収支を論じている文献をあたってみると、そうしているものと、その値に4/3をかけているものが、ほぼ半々に見つかる。4/3の根拠は、Planck (1913, 61-65節)の黒体放射論にある。現実の物体は黒体ではないが、物体からの熱放射は黒体放射に波長ごとに射出率(0と1の間の数値)をかけたものと考えられるので、黒体放射を基本に考えることはいちおうもっともだ。

Ozawaほか(2003)は、これを確認したうえで、放射伝達を扱う際には4/3をかけるべきではないとした。小澤さんはこの件で杉本大一郎さんのコメントをもらっている。Sugimoto (1979)でも、星から出る放射によるエントロピーの流れはエネルギーの流れを温度で割ったものであり4/3をかけていない。(Sugimoto (1979)は熱力学の枠組みについてPrigogine (1967)を参考にしている。放射が熱の流れであることは自明と考えているように思われる。)

ところがOzawaほか(2003)と同じ雑誌にWu and Liu (2010)の論文が出た。これは4/3をかけるべきだと主張しており、さらにそれを基礎として黒体放射と違ったスペクトルをもった放射に伴うエントロピーの流れを計算する方法も提案している。

4/3をかけるのとかけないのと、すくなくともどちらかは正しくないはずだ。わたしは直観的にかけないのが正しいと思っているが、Wu and Liuの理屈に対する反論を組み立てられないでいる。もしかするとどちらも正しくなく、別の考えかたをする必要があるのかもしれない。(たとえば、放射を出す物体や受け取る物体のエントロピー変化を発生と交換とに分けようとすること自体に無理があり、放射に伴ってエントロピーが流れると考えるべきではない、ということもありうる。)

熱力学の教科書的な本をいろいろめくってみたが、放射に伴うエントロピー交換が書いてあるものは今のところ見当たらない。光学の教科書的な本では、もちろん電磁波に伴うエネルギー輸送量は述べているが、エントロピー輸送量を述べているものは見当たらない。

放射の吸収・射出に伴うエントロピー変化をどう記述したらよいのかが確立することが、地球環境科学が熱力学の第2法則を活用できるようになるための鍵だろうと思う。

「気候の科学がこんな基本的なことも確立していない状態では、天気予報もいわゆる温暖化予測も信頼できない」と短絡して考えることはしないでいただきたい。幸か不幸か、天気予報や温暖化予測に使われる数値モデルは、エネルギー保存はきちんと計算しているが、エントロピー増大は定量的に計算していないので、この4/3の件がどちらになっても、モデルによる計算結果には響かないのだ。

わたしにとっては、Ozawaほか(2003)の論文の重要な点は地球の気候システムのエントロピー収支の記述だ。わたしなりに書きなおしてみたのが次のページにある。http://macroscope.world.coocan.jp/ja/edu/clim_sys/eb/index.html 放射に伴うエントロピーは4/3をかけない形を採用している。

しかしOzawaほか(2003)の論文自体の主要な論点は「エントロピー発生最大原理」つまり気候システムの状態はエントロピー発生量を最大にするように調整されている、ということにある。ただしその議論の対象となるエントロピー発生は流体過程に伴うものとされており、放射吸収・射出に伴うもの(数量としてはこちらのほうが大きいのだが)は意識的にはずされている。わたしはエントロピー発生最大原理について積極的な意見を持っていない。

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