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立秋をすぎると、どういう意味で秋になるのか

今年は8月7日が立秋だった。

立秋を含む二十四節気は、天球上の太陽の方向(地動説によれば地球の公転軌道上の位置というべきだが)の角度で定義されたものだ。立秋夏至秋分のちょうど中間となる角度にあたる。夏至秋分の特徴は、多くの人は昼と夜の(時間の)長さあるいは太陽の高さ(仰角)で知っているだろう。それが気温の季節変化にとってどんな時期に対応するかは、自明ではない。そして、日本での経験によれば、「暦の上では秋だが暑い」は、あたりまえのことだ。

温帯の大部分のところの気温の季節変化は、1年周期の正弦波(サインカーブ)でよく近似される。(熱帯や極地では半年周期成分も無視できない。) 日本のたいていの地点の毎日の気温のデータに正弦波をあてはめてみると、その極大が立秋、極小が立春にほぼ一致する。つまり、日本では、立秋は1年のうちで気温がほぼ最高になる季節なのだ。この事実は10年ほど前に気象データを計算処理して確認したのだが、論文にする途中の文章をウェブページに置いたままになっている。授業用に要点を抜き出したページはここにある(今学期の授業でしっかり話せなかったのが心残りだ)。

これから先、日々の変動をならした大きな傾向としては、気温がこれ以上は上がらないだろうと予想できるという意味で、立秋のあとは「秋」(漢音「シュウ」)なのかもしれない。しかし、日本語の「あき」の意味はこの「秋」と同じだろうか。おそらく、文学を重視する人のうちにはそう言う人がいるだろう。まだ暑くても秋のさきがけとなる現象をいちはやく見つけてとりあげる人が季節感にすぐれているとされるかもしれない。

しかし、節気という概念は明らかに中華文明の産物だ。唐の都・長安だった西安(現代中国語音: シーアン)の気温に正弦波をあてはめてみると、極大は大暑、極小は大寒によく対応する。長安では、大暑から15日ほど過ぎた立秋になれば気温が峠を過ぎたことを実感できたのではないだろうか。大陸のかなり内陸部にある長安と日本の地点との気温の季節変化の位相(ここでは極大となる時期をさす)のずれは、日本が海にかこまれており、海と陸とでは季節をこえてエネルギーをたくわえることのできる層の厚さの桁が違うことで、大筋は説明できそうだ。(海と陸とで温度の季節変化の振幅が違うことはよく知られていると思う。位相のほうはそれに比べれば二次的な件だが、もう少しよく知られるとよいと思う。)

(ただしこれは「大筋は」であって、定量的に正確な因果関係を述べることはむずかしい。土壌層中の熱伝導や、海の表面近くの水の鉛直混合、海陸風などの大気の局地循環、などをじゅうぶん現実的に表現できるシミュレーションができれば、各地点の気温の季節変化の位相もよく再現できるとは思うが、それだけでは、どの要因がどれだけ重要かという理解に至りそうもない。さらに要因を入れたり抜いたりしたシミュレーションをすればわかってくるかもしれないが。)

(実は、書きかけの論文を完成させずに放置してしまったのは、次のようなややこしいことに気づいたからだった。西ヨーロッパ大陸諸国の平地の地点では、大部分の季節に風が海から吹いているはずなのに、(海岸の地点を除いて)季節変化の位相が日本ほどは遅くはない。ところが、同じヨーロッパでも山の気象観測点では、日本と同じくらい遅い。1900年ごろのHannの気候学の教科書では、平地と山の位相の違いを認識して、山では積雪が春に遅くまで残ることで説明している。しかし百年前には得られなかった上空の気温の情報を参照すると、山とそのまわりの自由大気の気温の季節変化の位相は近い。西の海からの影響は地上よりも上空で大きいのかもしれない。他方、日本では山と平地の気温の位相差がないように見える。)

温度計もなく、人の移動に何十日もかかった時代に、この位相差を認知することはむずかしかったにちがいない。日本の文化人は、確かめることのできる天体の位置と、長安直輸入の文化の手本を結びつけて、温度の実感と15日ほどずれた季節感を従うべき標準と思いこんだまま千年あまり来てしまったのではないだろうか? (もちろん日本には、八十八夜など独自の用語をもつもの以外にも、現場の感覚と結びついた季節感もあると思う。わたしにはその方面を調べることがまったくできていないことをおことわりしておく。)

西洋にも、太陽の動きに注目する天文学的季節がある。英語で言えば、天文学的季節のspringは春分から始まるとされるのがふつうのようだ。そうするとsummerは夏至から、autumnは秋分から、winterは冬至から始まることになる。中国式と各季節の半分(1年の8分の1)ずれるわけだ。たとえば「秋」とはsummerの後半とautumnの前半に対応する。西洋の各地域の季節の意味は、各地域の気温や天気の特徴による要素もあるし、このような天文学的季節の要素もあって、各地域ごとの歴史によって組み合わさったもののようだ。

全球規模の気候を論じるときは、北半球温帯のつごうで決められたもので他の気候帯では不適切なところがあるのだが、12・1・2月を冬、3・4・5月を春、6・7・8月を夏、9・10・11月を秋とすることが多い。現代日本の気候や気象を専門としない人の感覚も、これに近いのではないだろうか。これは気象学者から広まった習慣とはあまり思えないのだが、もともと日本人が、二十四節気とは別に持っていた季節感なのだろうか、近代になってからの西洋文化の影響なのだろうか?

(なお、日本あるいは東アジアの気候を論じる人は、夏の前に梅雨、秋の前に秋雨(あきさめ)あるいは秋霖(しゅうりん)の季節を独立させた「6季」のほうがふさわしいという人もいる。これはモンスーンをどうとらえるかにも関係するので、議論は別の機会にしたい。)

(書きながら議論がよく整理されていないのを感じている。できればわかりやすく改訂したい。)