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漢字廃止論ではないが、漢字なしでも生活できる国にしたい

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを かならずしも明示しません。】

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2023年 11月 5 日、日本のローマ字社 (Nippon-no-Rômazi Sya, 略称 NRS) の会合に出席した。

わたしは 1970年代後半の学生のころから NRS の会員で、そのころは会合にもよく出席していたのだが、1980年代ごろ以後は、出版物を購読するだけになっていた。

(ただし、2014年 10月 25日のシンポジウムには聴衆のひとりとして出席した。そのシンポジウムについては NRS のサイトの 2014年のお知らせのページ http://www.age.ne.jp/x/nrs/hurui_osirase2014.html がのこっている。「くわしくは こちら」のリンクさきのページはのこっていないが、Internet Archive にコピー http://web.archive.org/web/20160501031442/https://www.9640.jp/xoops/modules/news/article.php?storyid=169 がある。)

今回の会合の出席者のうちに、自分は「漢字廃止論者」だと言っていた人がいた。出席していたほかの人は、漢字廃止論者ではないようだった。わたしは、自分はどうなのか考えた。

わたしは、漢字を廃止するべきだとはおもわない。過去の人の知恵をひきつぐためには、過去の人が書いたものを読めることが必要だ。日本では、教育のなかで、漢字の読み書きができる人をそだてる必要があるとおもう。

しかし、わたしは、漢字廃止論者の主張に、基本的には賛成なのだ。日本社会でくらすために必須の要素としての漢字は廃止するべきだとおもうのだ。

ひとつには、これから、日本社会は、日本社会の外でそだった人も、社会の内の人としてとりこんでいく必要があるとおもうからだ。日本語を母語としない人でも、ごみの出しかたのルールをまもることや税金をはらうことなどの住民としての義務をはたし、買いものをしたり公共交通機関を利用したりして、住民として生きていけるようにするべきであり、そこで漢字かなまじりの日本語を読み書きできる能力を要求することは障壁になってしまうとおもう。

もうひとつ、2014年のシンポジウムで なかの まき さんが点字を話題にしていたことを、2023年 11月 の会合をきっかけに おもいだした。目がみえない人の言語生活では、点字をつかうにしても、音声よみあげをつかうにしても、ふだんは漢字はつかわれないのだ。それも、まっとうな日本語の言語生活だろう。

日本社会を、漢字をつかわなくても、人として、社会のメンバーとして、生きていける社会にするべきだとおもう。

そのためには、漢字をつかわない人のための特別な日本語をつくるのではなく、ふだんの日本語を、漢字にたよらないものにかえていくべきだとおもう。それには、行政用語や学術用語などのうちの音で区別できない語を区別できるものにとりかえていくことがふくまれるだろう。実際、韓国ではそのような努力がされたらしい (わたしはつぎの文章を読んだだけだが)。

  • 宋 永彬 (ソン ヨンビン), 2014: 韓国における専門用語平易化の試み -- 医学と物理学。日本語学 (明治書院), 2014年3月号 (33巻3号) 44-57. [雑誌のその号の読書メモ]

すくなくとも初等教育、できれば中等教育の教材のひとくみは、漢字をつかわないで書かれたものがほしい。他方で、高校レベルの選択科目としては、いなかの高校でも、漢字をつかった現代文はもちろん、古文も、漢文もまなべるようにするべきだとおもう。

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漢字をつかわないで日本語をつかえるようにするとは、事実上、日本語を かな または ローマ字 で読みかきすれば用がたりるようにする、ということになる。かな と ローマ字 のどちらかを基本にしてそちらで教材や行政文書を整備するべきだろう。

どちらがよいかの判断は、とてもむずかしい。現在、日本の行政は、戸籍の (ふつう漢字で書かれている) 人名に かな表記 を追加するほうにむかっている。ところが、まえから国が出しているパスポートにはローマ字表記がある。民間の銀行の通帳には かたかな表記がある。

かな も ローマ字 も 表音文字であり、日本語の かな表記とローマ字表記のもとになっている音韻の基本的な考えかたは同じだから、一方がわかれば他方への変換は だいたい 機械的にできる。ところが完全に機械的にはできない。かな表記、ローマ字表記 それぞれの約束があり、個人ごとの習慣のちがいもあるからだ。おおまかに列挙してみる。

  • 現代かなづかいの助詞の「は」(wa)、「へ」(e)、「を」(o)。
  • 長音の表記。ローマ字の長音表記は、訓令式では「ô」のように母音字に山形をつけるのが標準とされているが、この標準は現実にはあまり採用されていない。母音字をかさねる方式もあるが、ちかごろはむしろ かな表記に直接対応させたローマ字つづりがふえる傾向がある。かな表記 (および、かな表記に直接対応させたローマ字表記) では、たとえば長音をふくむ「コーリ」を「こうり」「こおり」と書きわけるかという問題や、それを長音でない「コウリ」とどう区別するかという問題がある ([別ページ「コーリ / コウリ / コオリ」])。
  • 連濁の問題。たとえば「中島」がナカジマかナカシマか、「豊田」がトヨダかトヨタかがあいまいにすまされることがある。かな表記の辞書順ならば濁点のある字はない字の直後にくるからあまりこまらないのだが、ローマ字表記の辞書順では はなれてしまう。
  • ローマ字の訓令式・ヘボン式などの方式の選択。さらに、訓令式では、音に忠実なつづりと日本語の音韻体系に忠実なつづりのはざまにくる「ティ」「トゥ」などをどう書くか。ヘボン式では「ン」を n と m でかきわけるか、など。
  • わかちがき。[ 2023-11-05 日本語 の わかちがき に ついて の わたし の かんがえ ] 参照。ローマ字ならば 単語わかちがき になるだろう (学校文法でいう単語とはいくらかちがうのだが)。わたしは かな でも単語わかちがきでよいとおもうのだが (単語間の あき のおおきさを半角以下にできることが前提)、それでは わけすぎと感じる人がおおいだろう。文節わかちがき のほうがよいのかもしれない。点字は文節わかちがきをしていると読んだおぼえがある。

ともかく、どちらを基本にするかきめれば、つぎの段階にすすむことができるとおもう。