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ローマ字の『東京数学物理学会記事』、北尾 次郎 Kitao Dirō

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを かならずしも明示しません。】

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2023年 11月 5 日、日本のローマ字社 (Nippon-no-Rômazi Sya, 略称 NRS) の会合で、この団体の事務局担当でもある 茅島 篤 (Kayasima Atusi) さんから、1885年ごろの学術雑誌でローマ字がつかわれていたという話題が提供された。

ちかごろ、いまもつづいている学会の むかしの学術雑誌がディジタル化されて、JST (科学技術振興機構) がやっている J-Stage にのせられることがおおくなっている。日本数学会と日本物理学会の前身である「東京数学物理学会」の『東京数学物理学会記事』もある。https://www.jstage.jst.go.jp/browse/subutsukiji1885a/list/-char/ja

この雑誌には「前身誌」「後続誌」がある。雑誌の系列が分岐するものはあつかいにくいらしく、数学会関係だけがふくまれていて、物理学会関係はない。『東京数学物理学会記事』は、題名の文字づかいによってこまかく分割されている。1885年に出た第1巻と第2巻は、漢字の『東京數學物理學會記事』だが、同じ年に出た第3巻から1902年の第9巻まではローマ字の『Tokyo Sugaku-Butsurigaku Kwai Kiji』で、J-Stage 上は別の雑誌あつかいされている。なお、のちには雑誌の題名が日本式の「Tokyo Sugaku-Buturigakkwai Kizi」になっている時期がある。

第3巻はつぎのようにはじまる

TŌKYŌ SŪGAKU BUTSURIGAKU KWAI KIJI
MAKI NO SAN
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HONKWAI KIJI

ローマ字の方式はヘボン式だが、kwa をふくんでいる。また記事の本文をみると wo もつかわれている。「Maki no san」は「巻 の 3」で、「第3巻」にあたる表現である。それから「本会 記事」がある。

このあと論文がつづくが、第3巻 第1号 の論文の題名は、著者名があきらかに日本語話者でないものもふくめて、ローマ字表記の日本語だ。(ヘボン式がおおいが全部がそうではない。) 第2号、第3号には、題名が英語のものもあり、その論文は内容も英語で書かれているようだ。

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第3巻 第1号の最初の論文が

である。(J-Stage のページには、著者名が KITZAO、副題中の oite が oitc、Kotaino が liotaino (「流体の」かとおもった) となっているなど、おそらく不鮮明な画像からの OCR に由来するまちがいがのこっている。)

北尾次郎は気象学の業績のある人だが、その理論は流体力学を基礎にしたものだから、流体力学の専門家ともいえる。

この論文のローマ字つづりは日本式である。大文字のつかいかた や わかちがき の習慣が いまどきのものとちがうが、これも、田中館 愛橘、田丸 卓郎 のふたりの物理学者が推進した方式なのだとおもう。論文の最後に「(T. A. Rōmazi ni nawosu.)」とあるが、この T. A. は 田中館 愛橘 だろうとわたしは推測する。

題名をみたかぎりでも、「力学」は いまは「りきがく」だが 当時は「りょくがく」といわれていたのだろうか、「... 流体 に おいて ... の運動」は 「 ... に おける ... の運動」あるいは 「 ... に おいて ... が 運動すること」とするべきところではないだろうか、などと気になってしまうところがあるが、おいかけていない。

本文の書きだしはつぎのようになっている。

Dirichlet Si ga hasimete, Ryūtai ni okeru Tama no Undō wo sirabesiga,

欧文の固有名は原つづりのままもちこまれている。「hasimete」は「はじめて」で、日本式としてはまちがいだが、おそらくドイツ語の発音につられたのだろう。「sirabesi」で気づいたのだが、この論文の文体は、文末に関するかぎり、文語体である。

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とくに、著者の名まえが Dirō とつづられていることが気になる。北尾 次郎 はドイツ語の論文でもこのつづりをつかっていた。

「di」は、日本式ローマ字で「ヂ」に対応する。たとえば「治郎」ならば Dirō になるのはもっともなのだ。ところが「次」の字音は「ジ」なので、日本式の標準にしたがえば Zirō になるはずだ。

わたしは、北尾 次郎 は 自分のなまえを、日本式の標準にあわせたのではなく、ドイツ語のなかでなるべく日本語の音にちかくきこえるようにかんがえたのだとおもう。「zi」ではドイツ語では「ツィ」になってしまう。「si」はドイツ語の標準的な音では「ズィ」にちかく、「ジ」の近似になりうるが、無声音の [s] をつかった「シ」と区別がつかなくなる。「di」は「ディ」で「ヂ」の近似になりうるので、これをえらぶのはもっともだとおもう。

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ドイツ語がからむ日本語ローマ字つづりの問題として思いあたるのは、北里 柴三郎 の みょうじ は「きたざと」なのか「きたさと」なのかという件がある。

ローマ字つづりは「Kitasato」なのだが、これはドイツ語でしごとをするために「きたざと」をこのようにつづった可能性が高い。

しかし、このつづりを日本語ローマ字の標準にしたがって読めば (あるいは英語のなかですなおに読めば) 無声音の [s] をふくむ「きたさと」になる。

いま、北里大学をもつ 学校法人 北里研究所 では「きたさと」をただしい読みかたとしているそうだが、これはローマ字つづりを尊重した結果であるらしい。