【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたか、かならずしも明示しません。】
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現代の日本語は、漢字かなまじりで、文字間隔が一定で印刷されることがおおい。
助詞や活用語尾などはひらがなであり、名詞などは漢字でかかれることがおおいので、漢字があらわれることが文法的なくぎりをあらわすのにいくらかやくだっている。
しかし、くぎりをしめすために漢字をつかうのは本末転倒だとおもう。わたしは、日本語は 全部 かな か ローマ字で書くようにしてもよいというかんがえももっているが、すくなくとも 漢語由来でない要素 については、漢字をつかわなくてもよいようにしたいとおもう。
かな が 一定の文字間隔でつづくのは、よみにくい。文法的 または 意味上 のくぎりで、文字のあいだに あき をいれたい。
【この記事は 漢字かなまじり なので、かな が つづいて つなげると よみにくい と おもった ところ だけ あき を いれています。 一定の規則にしたがって いれているわけではありません。】
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ローマ字で書かれる言語のばあいは、単語の中は文字をすきまをあけずにつづけ、単語のあいだに あき をいれることが、規則のようになっている。
わたしが「ローマ字」というのは、日本語むけにかぎったものではなく、古代ローマで成立したアルファベットをさしている。英語では Latin alphabet のほうがふつうだとおもうが、そのまま「ラテン アルファベット」あるいは「ラテン文字」とするよりも、日本語圏では「ローマ字」のほうが通じるとおもうのだ。
ここで「単語」とかいたのは、英語でいう word だが、文法の要素としての単語ではなく、文字表記の形式上の要素だ。循環論法になるが、すきまをあけずに ひとつづき に かかれる 文字列が「単語」とみなされるのだ。
英語を読みなれた人は、アルファベットをひとつずつ読んではいない。おそらく word ごとにまとめて、文字列の像を認識している。それが知っている単語にあてはまらないときだけ、アルファベットにわけて読むだろう。そこで、同じ言語をつかっている人どうしでは、word のくぎりかたは一致していることがのぞましい。ただし、くぎりかたの規則は、いちいち意識するのではなく、習慣になってしまってほしい。
現代世界で、ローマ字 (キリル文字やギリシャ文字をふくめてもよいが) をつかっている言語では、いずれも、このような「単語わかちがき」をしているだろう。
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わたしは、日本語でも、わかちがきをして、つなげて書かれる文字列をなるべく一定にするのがのぞましいとおもっている。
そのとき、どのような単位でくぎるようにすれば、習慣にしてしまえるだろうか。
説明のつごうで、学校文法の用語を導入する。
【ここで学校文法というのは、現代 (第二次世界大戦後) の日本の中学校・高校などでおしえられてきた文法である。橋本 進吉 氏の学説にもとづいているそうだが、わたしは橋本氏の著作にさかのぼって確認していないので、「橋本文法」ではなく「学校文法」ということにする。わたしは少年時代に学習参考書などを読んで学校文法を身につけたが、そのころ知識の出典を確認する習慣がなかった。いまも、残念ながら、適切な参照文献をしめすことができない。ともかくわたしの頭にはいっている知識にもとづいてのべる。】
学校文法には「単語」という要素がある。それをそのまま、1節でのべた わかちがき の 単位としてつかってみると、あまり読みやすくないし、そのようなくぎりかたを習慣にするのは むずかしい と おもう ことがある。この問題には あとで もどる ことにする。
学校文法によれば、日本語の文には、単語よりやや大きい「文節」というくぎりがある。日本語の単語は「自立語」と「付属語」(あるいは「助辞」) に分類される。付属語は助詞と助動詞である。自立語には、名詞、動詞などがふくまれる。文節は、自立語ではじまり、そのあとに付属語が (複数個でもゼロ個でもよい) つづくものである。
文節をつづけて書き、文節のあいだに あき を いれる 「文節わかちがき」 ならば、日本語話者 の おおくの人が習慣にできそうだ。カナモジカイ がすすめていた かたかな に よる 表記は 文節わかちがき だった。【[2023-11-06 補足] しかし、現在のカナモジカイ (www.kanamozi.org) の標準はここでいう単語わかちがきである。】点字もだいたい文節わかちがきだと きいている。こどもむけの本でも採用されていることがおおいとおもう。
ただし、名詞のようなもの (名詞のほか、学校文法用語でいう「形容動詞の語幹」と「サ変 [サ行変格活用] 動詞の語幹」をふくむ) を複数つみかさねた複合語については、文法上の文節とわかちがきの単位とはちがってくるだろう。わたしの知るかぎり、学校文法には、名詞が名詞を修飾するという構造はなく、名詞がつみかさなったものは、いくら長くても、ひとつの単語なのだ。そのような複合語に助詞などがついた文節は、わかちがきの単位としては長すぎる。意味のきれめで分割するべきだろう。
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日本語のローマ字書きでは、文節よりややこまかい単位でわかちがきをする習慣ができていて、「単語わかちがき」といわれることがある。学校文法の単語とは かならずしも おなじではない。なんらかの文法体系による単語ごとにくぎっているといえるのかもしれないが、わかちがきに適した単位を便宜上「単語」という、と 、わりきってとらえたほうがよいのかもしれない。[この段落 2023-11-14 改訂]
わたしは、1960年代の小学生のころに、学校の国語の教科書や、小学生むけに出版されていたローマ字日本語の教材でつかわれていた、ローマ字のわかちがきのしかたを、なんとなく自分のものにしてしまった。そのあと、梅棹 忠夫 (1969) 『知的生産の技術』[読書メモ] を読んだ。その本で「東大システム」とよばれている 柴田 武 さんたちによる わかちがき の方式は、わたしがすでに身につけていたものとだいたい おなじだった。わたしは、梅棹さんにならって、ローマ字でかくばあいにくわえて、ひらがな(だけ) で 日本語をかくときも、その方式でわかちがきをするようになった。
(かつて 田丸 卓郎さんがすすめたローマ字のわかちがきのしかたは、これとは ちがっている。田丸さんの方式は、大文字のつかいかたなどを見るとあきらかにドイツ語の影響をうけている。)
わたしが身につけているローマ字の わかちがき の方式を、学校文法と対応させた説明をこころみる。だいたい、学校文法でいう「単語」でくぎる。助詞をひとつひとつわけてかくところが、文節わかちがきと大きくちがう。「だいたい」から はずれるのは、学校文法でいう「助動詞」についてである。学校文法の用語をつかうと、つぎのように整理できそうだ。
- 動詞などの終止形・連体形につづく助動詞は、わける。
- 動詞などの連用形・未然形につづく助動詞は、つづける。
ただし、わたしはふだんこのような文法用語を意識しているわけではなく、身についた習慣によって書いている。
なお、長い複合語を意味のきれめで分割することは、2節でのべたのとおなじである。
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ちかごろ、伝統的な日本語の ひらがな文の「連綿」の話題にふれることがあった。
思えば、ひらがな は、つづけ書きを前提として発達してきた。その点で、かたかな と ちがう。
ローマ字もつづけ書きをすることがある。わたしは中学生のとき、英語の筆記体をならった。単語を構成する文字はつづけてかく。ただし、i の点、t の横棒はあとでかく。単語どうしはつなげない。
日本語の連綿はそれほど規則的なものではないとおもうが、ひろい意味でのわかちがきの同類ではある。その伝統にもとづいて、日本語のわかちがきの方式を設計することもありうるのかもしれない。
しかし、ひらがな は、たて書きでつながりうる形で発達してきたので、横書きではつながらない。わたしは、自分の書く文のほとんどが横書きなので、連綿をためしてみる機会がなかなかない。わたしは、日本語の わかちがき を、連綿の伝統からではなく、ローマ字をつかう言語の習慣の導入として かんがえている。