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デジタル クリニック

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを かならずしも明示しません。】

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広告の看板が「デジタルクリニック」と読めた。

わたしは毎日ディジタルデータをあつかっている。紙に書かれた文字や図形をディジタルデータにかえる作業をすることもある。他人がつくったディジタルデータをもらってつかうこともある。ディジタルデータには、病気といいたくなるようなひどいものもあり、それをなおすには技能が必要だ。そういう話題をまとめた Bad Data Handbook という本を読んだこともある [読書メモ]。その治療ができる技能者が開業しているのならば、たのみたいしごとがある。

しかし、「なになにクリニック」の「なになに」は医療技術の種類をさしていることもある。「デジタルクリニック」はディジタル技術をつかって人の治療をしてくれるお医者さんなのかもしれない。

また、わたしは digital の語源の digit が「指 (ゆび)」であることを知っている。指を治療してくれる「指医者さん」なのだろうか。

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看板にもうすこしちかづいてよく読んだら、「デンタルクリニック」だった。

ラテン語系の語根「dent- 」 ならむかしから知っている。「unidentified」を 「uni-dent-ified」 と読んでしまったほどだ。「歯」だ。「dental clinic」は 歯医者さん、歯科医院だ。

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読みまちがえたのは、このごろ「デジタル」という4文字つづりをたびたび見るせいだ。ただし、「わたしの辞書にある」ことばは「ディジタル」であり、わたしにとって「デジタル」は自分をふくまない人びとのことばなので、文字列と意味の対応づけにちょっと (1秒くらいだが) てまどる。

わたしがこのことばを知った 1970年ごろには (日本語のなかにあらわれることはすくなかったが、気づいたかぎりではいつも) 「ディジタル」と書かれていたおぼえがあるのだが、 このごろ (2000年ごろからだろうか?) の日本語圏では「デジタル」のほうをよく見かける。なぜこうなってしまったのだろう?

日本の近代のはじめ (明治ごろ)、「digital」という西洋語のつづりを見て かたかな をあてるとしたら、まず「ヂギタル」だろう。それは第二次世界大戦後の「現代かなづかい」で「ジギタル」になるだろう。実際、薬草のなまえの「ジギタリス」はそうなっている。

しかし、英語の「digital」の「gi」の音は、(「give」の「gi」が ギ に近い音なのとはちがって) 日本語では、ジ と ヂ を区別するとすれば、ヂ に近い音だ。IPA (国際音声記号) の簡易型で書けば [dʒi] だ。「di」の音はこれとはちがうのだが、日本語の五十音図の濁音の「ダヂヅデド」の構造のうちでは「ヂ」にあたる。したがって、「ヂヂタル」、現代かなづかいで「ジジタル」という形が考えられる。実際につかわれたかどうかは知らない。日本語で「おじいさんのような」というような別の意味にとられるから、さけられたかもしれない。

日本語のなかで [di] を ( [dʒi] と区別して) あらわすためにいろいろなこころみがされ、「ディ」におちついてきた。英語の「digital」の音の転写としては「ディジタル」とするのが順当になった。

しかし、日本語のなかでは、「ディ」は まれにしか出てこない文字列なので、なるべくつかいたくない。子音のちがう「ジ」よりは、母音のちがう「デ」のほうが近いと感じられるのだろう。アルファベットの「D」が、英語では「ディー」だが、ドイツ語そのほかおおくの言語で「デー」であることも、「ディ」を「デ」でおきかえるきっかけになっているのかもしれない。

このようにして「デジタル」という形がひろくつかわれやすいことは説明できる。しかし、たとえば「オーディオ」が「オーデオ」となることはすくない。「ディ」が「デ」になってしまうかどうかには、なんらかの法則性があるだろうか? (「ディジタル」の「ディ」のばあいは、となりにある「ジ」と区別したいという動機がはたらいて、孤立した「ディ」とちがった結果になることはありそうだ。)