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単位をもつ数量を算数でどうあつかうか?

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを かならずしも明示しません。】

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きのう出した「かけざん順序問題」についての記事 [2024-01-05 算数教育での かけざん順序固定に反対、それに関連して考えること] を書こうと思ったきっかけは、2023年10月の Twitter [注] 上での、わりざんの問題をめぐる議論だった。その議論は、Togetter にまとめられている。

その話題をあつかうには、さきに、あきらかに関係がある「かけざん順序問題」についてのわたしの考えを明示したおいたほうがよいと思ったのだった。

  • [注] Twitter という名まえだったウェブサイトの名まえをその提供者が「X」にかえてしまったけれども、まだ twitter . com でアクセスできるので、わたしは Twitter という表現をつかいつづける。

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2023年10月に直接に論じられていた事例は、

4 cm ÷ 5 mm = 8 . . . (1)

という計算式はただしいか、ということだった。それは「4 cm の針金を 5 mm ずつに切ると何本できますか」という算数の問題のこたえとして小学生が書いたものだとされていた。

日常生活の知恵を書きだしたものとして、「4 cm ÷ 5 mm = 8」は、(各自がそのとおりに書くかどうかは別として) 正しいと思う人がおおいだろう。

しかし、算数という教科の問題のこたえとしてはどうだろうか? これは、算数という教科の目的のひろがりをどう認識するかによってちがってくると思う。

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「4 cm ÷ 5 mm」までは正しいとして、その算数として正しいこたえは「8 cm」だ、と言った人がいたようだ。(だれの発言か確認しておらず、わたしの記憶ちがいだったかもしれない。)

これは、本気の主張ではないと思う。おそらく、かけざん順序固定に批判的な人が、かけざん順序固定の根拠としてよくつかわれる理屈を適用すると、そのような変なこたえがでる、と言おうとしたのだと思う。

かけざん順序固定論者の全部ではないが多くの人が、「A × B = C」の A と C は同じ単位をもつべきだ、と考えている。そうすると、わりざんの「D ÷ E = F」でも D と F は同じ単位をもつべきだとするのが順当だろう。

しかし、「8 cm」はこの式をたてるもとになった問題状況に対応するこたえではない。

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算数は数学の初歩をおしえる科目だととらえたばあい、「4 cm ÷ 5 mm」という式をたててしまったら、そこからどこまで進めるだろうか。

ひとまず、「cm」と「mm」は、それぞれ (1文字ずつに分解するのではなく) ひとつの数量をあらわす記号だとしよう。そして「4 cm」と「5 mm」は、それぞれ、「4 × cm」「5 × mm」の かけざん記号が省略されているものだとしよう。ただし、記号を省略されたかけざんは、「÷」記号のわりざんよりは緊密である (演算の順序で優先される) としよう。すると、つぎのこたえがでてくる。(わりざんを「/」で書いてもよいとした。)

4 cm ÷ 5 mm = 0.8 cm/mm . . . (2)

しかし、cm と mm との関係は、数学ではなく度量衡 [注] の知識だから、数学の範囲ではここまでだ。

  • [注] 現代の公用語としては「計量」というべきかもしれないが、「計量」ということばは一般に量を計測することをも意味しうるから、わざと古い「度量衡」ということばを持ち出した。

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度量衡の分野から、「1 cm = 10 mm」という知識、その根拠にさかのぼれば「1 cm = (1/100) m、1 mm = (1/1000) m」という知識をもちこめば、(1) に到達できる。小学校の算数が、(2) で止まるのではなく (1) をみちびける人をそだてようとしているのだとすれば、算数には、数学の初歩だけでなく、度量衡についての知識の初歩もふくめるべきだということになる。

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すなおな指導としては、(度量衡の知識をつかって) 数量の単位をそろえてから計算 (数学の応用) にもちこむべきだということになるだろう。mm にそろえるとすればつぎのようになる。

40 mm ÷ 5 mm = 8 . . . (3)

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すでに小学校の算数で、長さ、面積、体積、「重さ」などの単位はあつかわれているけれど、そのおしえかたが、(わたしはおいかけていないので推測だが) 小学校の算数という世界特有のものになっていることがありそうだ。

上の推測の根拠とした知見は、ちかごろも算数では体積の単位「デシリットル」がおしえられているということだ。

わたしが小学生だった 1960年代にも、「デシリットル」は、よのなかでつかわれていないのに、小学校の算数でだけ出てくる単位だった。

しかし、ふりかえってみると、それを教科書にもちこもうとしたがわの動機はわかる。日本では尺貫法に関連する体積 (むしろ「容積」) の単位の「升」「合」がつかわれていて、1升は約 1.8 リットルで、1升が10合だった。計量法という法律の執行がきびしくなって、商品の体積を「升」「合」でしめすことはとりしまられ、メートル法の単位に変えさせられていた。しかし、1.8 リットル入りのびん (おもに日本酒や醤油につかわれる) は「一升びん」、その10分の1の容量のびん (おもに牛乳につかわれていた) は「一合びん」といわれ、消費者の日常生活では、「一升」「一合」が単位のようにつかいつづけられていた。メートル法推進論者が、世間一般の習慣を「一升」「一合」から (数値はいくらかちがうが) 「2 リットル」「2デシリットル」をつかうように変えたくて、算数の学習指導要領や教科書をつくる人たちにはたらきかけたにちがいない。

その後の日本社会のなりゆきでは、牛乳びんは 0.2 リットルにかわったのだけれど、それは「2デシリットル」ではなく「200 cc (シーシー)」とよばれた。「cc」は「立方センチメートル」の英語の頭文字略語だった。「cm3」という上つきをふくむ表記はつかいにくかったから、そのかわりだったのだろう。しかしなるべくメートル法の標準にふくまれる表記がよいということになって、「200 ミリリットル」におきかえられるようになってきた。リットルの記号をどのような文字で書くかという問題もあるのだが、ここではその話は省略し、現在は「200 mL」とされているとだけのべておく。

いま、日本での日常生活に必要な単位は、デシリットルではなくて、ミリリットルだ。算数の教材にはそれを反映させるべきだと思う。

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算数で「度量衡」をどうあつかうかについては、物理量の「次元」および SI (国際単位系) の専門家と、一般の人びとが生活のなかで単位をどうつかっているかを記述的に研究している人と、初等教育の主題としてこれをかんがえている人とで、議論をかみあわせる努力をして、初歩むけの体系の案をつくってみるとよいとおもう。ひとつの集団内でやるのはうまくない。

これに関連することはまえにも書いた。

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度量衡だけでなく、社会関連の量についての問題もある。

国ごとや都道府県ごとの統計をあつかうとき、国や自治体ごとの総量と、人口あたりの量を区別する必要がある。そこでは、物理量の次元ではないが、「人数」という次元をたてて考えるのがよさそうだ。

(自然科学にも、総量と、分子あたりの量との区別がある。分子の個数ならば無次元のはずで、すなおな次元解析をすれば両者は区別できない。アヴォガドロ数を NA として、「分子 NA 個あたりの量」を考えたとしても、その次元は総量と同じはずだ。しかし、「物質量」という次元、「モル (mol)」という単位をもちこんで、次元を区別している。同様に、(SIの守備範囲をはなれて) 社会量の総量と人口あたりの量の次元を区別することも考えてよいと思う。)

また、貨幣単位の件もある。小学校の算数の範囲では、「円」を単位とする量だけをあつかえばよいかもしれない。外貨のことや貨幣価値の経年変化のことについての教育は、どの学校のどの教科でやるか、まだその教材をどのようにつくるかという課題がのこっていると思う。