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数学と数量的考えかたの教育について考えること

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わたしは、現代に生きる人のすべてではないとしても、政策決定にあたる人びとのうちには、いくらかの数学的思考ができる人が必要だと思っている。また、地球科学的思考ができる人も必要だと思っているが、地球科学的知識のうちには、高校生ならば「数学」に分類するであろう種類の道具だてを必要とすることがある。

だから、わたしは、学校教育の「数学」という教科で教えることについて意見を言いたくなることがある。ただし、学校で何がどのように教えられているかの実態をよくつかんでいないので、それに関しては誤解しているところもあるかもしれない。たとえば、わたしがやるべきだと主張していることは、すでに実践されているかもしれない。

また、学校以外の知識源、たとえば市販の本やウェブサイトについて意見を言いたくなることもある。こちらはいくつかの事例を見てはいるが、たまたま出会ったものの印象に偏った認識になっているかもしれない。

わたしの現状認識がまちがっているところがあれば、修正したい。しかし、わたしの主張は、おそらくその修正によってもあまり変わらないだろうと予想している。

この記事では、節をくぎって、それぞれ別々のきっかけで考えたことを書きならべてみる。必ずしも一貫した体系になっていないことをおことわりしておく。

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2018年3月ごろネット上で話題になっていたのは、高校の次期学習指導要領から「行列」(matrix)がはずされる、ということだった。これは、統計学の内容をふくらませたせいで はみだした、ということらしい。

(わたしが見ている次期「学習指導要領」は文部科学省ウェブサイトに2018年3月30日に置かれたPDFファイルである([2018-03-30の記事]参照)。ネット上で議論になったのはその案が出されて意見(パブリックコメント)募集があったときだったと思う。意見を受けての改訂は字句修正で、実質的変更はなかったと聞いているが、わたしはたしかめていない。)

行列をはずすのは、多くの理工系の概念の基礎となっている線形代数を軽視するもので、けしからん、という意見が聞かれた。統計学が重要だとしても、統計学の実際の応用はたいてい多変量解析であり、基礎的な道具として行列を使うのだ。

しかし、統計学の知識は理工系に進まない生徒にとっても重要だ、という主張にももっともなところがある。行列をやらないと単変量の統計学だけになってしまうが、それでもやっておいたほうがよいかもしれない。

わたしは、高校ではどちらをやるべきだとも言いきれない。高校でやらないことが大学で必要になるならば大学で初歩から教える必要がある、というだけのことだと思う。いずれにしても、高校生が高校教材から はみだした内容について勉強したくなったときに手がとどくところに教材を提供するべきだと思う(ウェブサイト、学校図書館に置かれる本などが重要だと思う)。

- 2X (2についての余談) -
わたしは高校で「行列」を学んだほぼ最初の学年だったと思う。1973年から実施された学習指導要領の「数学II」(IIA, IIBがあったうちのBのほうだったかもしれない)に含まれていた。2年生向け科目だったから1974年に履修した。ひとつ上の学年の人が使った教科書には行列はなく、複素平面があった。わたしが使った教科書には2×2の行列があった代わり、複素平面はなかった。座標平面上の回転がsinとcosで書けることはいずれにしてもやるのだが、それが旧課程では複素平面のところで、新課程では行列のかけざんのところで出てきていたのだ。

それ以後の指導要領で、行列は継続してふくまれていたようだが、複素平面がどうなっていたかわたしは知らない。次期指導要領では、複素平面は、ベクトルとともに、「数学C」に含まれている。

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最近(2018年6月)、高校の物理で力学の運動法則などを微分積分を使わないで教えていることへの不満を聞いた。(述べていたのは大学の理科系の教員だったと思う。)

わたしも同様な不満を感じるのだが、いまの日本の高校教育の体制では、同じ教科のうちで、たとえば(今の科目名ではない例を書くが)「物理 II」は「物理 I」を履修ずみであることを前提にするような構成は可能ではあるが、教科をこえて、理科の科目が数学の科目を前提とするようなことはできないだろう。正規の教科書は、他の教科に依存するように書くわけにいかないし、他の教科の重要な主題を奪ってしまう(たとえば微分積分をきちんと物理で教える)わけにもいかないのだろう。

しかし、学校ごとのカリキュラム編成で、たとえば物理を学ぶ学生はみんなそれまでに数学で微分積分を履修ずみならば、微分積分を使って力学を教えることはさしつかえないはずだ。また、高校生個人が、たとえば力学と微分積分との関係に興味をもったら、それを追求することは奨励されるべきだと思う。

指導要領にしたがった教科書のほかに、微分積分を使った物理の教科書を、本として出版して授業で使えるようにしておくことは、現実的でないだろう。しかし、これからならば、ウェブ上に用意しておくことは可能だと思う。あと必要なのは、高校生が、いつでも(授業中でも自習時間でも) そのウェブサイトにアクセスして教材を読めるようなネットワーク環境整備だと思う。

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しかし、3節の問題の裏には、微分積分と力学の公的教材(学習指導要領、教科書など)を考える人の集団が別々になってしまっている、という、(わたしからみると)困った状況があると思う。数学という教科の公的教材は、数学教育を専門とする人と数学を専門とする人だけによってつくられる。理科のうち物理の公的教材は、物理教育を専門とする人と物理を専門とする人だけによってつくられる。両方にかかわる人はたぶんいないだろう。それぞれの専門家がいること自体は悪いことではないが、複数の専門を見わたして判断できる人がいないのは悪いことだと思う。

学校の数学教育の内容を考えるところには、数学教育専門家と数学専門家だけでなく、数学ユーザーが関与するべきだと思う。ただしユーザーどうしの需要がぶつかるだろうから、それを調整して広く応用できる材料や教えかたを考える人も必要だ。たとえば、微分積分の教材は、物理向けにも経済学向けにも役だつように構成できると思うが、それは物理の人や経済学の人にまかせられるものではなく、教材づくりを職務とする人を必要とするかもしれない。数学教育専門家にはそういう人がふくまれるようにするべきだと思う。

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現代社会に生きる人びとは、数学的な考えかたが使えるようになっているべきだと思う。ここでいう「数学的考えかた」は、大きくわけて、「数量的考えかた」と「論理的考えかた」があると思う。「統計学的考えかた」を別にたてたほうがよいのかもしれない。ここではしばらく「数量的考えかた」について考えてみる。

数量的考えかたの必要性について、わたしは「市民の教養としての数量判断能力を」(増田, 2000)という文章を書いた。その内容はくりかえさないので[著者によるHTML版]を見ていただきたい。

(小学校の算数は別として) 中学・高校の科目としての数学の内容は、数学者からみれば抽象度がたりないかもしれないが、物理その他の数学ユーザーからみると、抽象化された数学の概念だけを扱っている。それは、汎用性につながる長所でもある。しかし、それを応用するまでには、数量を使う感覚を教える教育が必要なのだと思う。数学教育に「量学教育」を加える必要がある、と主張したい。

物理やそれをさらに応用する科学分野では、「次元をもつ量」あるいは(雑な表現になるが)「単位のついた数値」をあつかう能力が必要になる。社会科学でも、物理量の次元と同じではないが、たとえば総量とひとりあたりの量の区別、フローの量とストックの量の区別など、物理系の人ならば「次元」と表現するような、数量の属性になじむ必要があるはずだ。

計算機上のソフトウェアを見ても、数値についての計算機能は発達しているのだが、量の次元あるいは単位の扱いはソフトウェアでめんどうをみてくれず、ユーザーが意識して操作する必要があることが多い。

数量的考えかたを学ぶ教材は、まだ体系的になったものはないと思う。理科系の学者が、それぞれに努力した教材として、わたしが思いあたるのは、杉本(2003, 2009)、Harte (1998 / 2010)、Fleish & Kregenow (2013 / 2014)などだ。

もっといろいろな発想にたつ本があるべきだと思うが、それに加えて、そろそろ、共通基礎教材をつくることを考えたほうがよいのではないかとも思う。

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本屋に行けば、数学入門よみものはすでにたくさん出ている。しかしその大部分が数学か数学教育を専門とする人によるものであり、わたしから見ると、あるせまい関心領域にかたまっていると思う。

学校の教科書にはなりにくいと思うが、数量が出てくる応用を扱いながら、基礎的な数学の内容にもしたしむような読みものが、もっとあったほうがよいと思う。

わたしは、1960年代の小学生として読んだ算数よみもののシリーズには、地図と測量をテーマとした1冊がふくまれていたのをおぼえている。公共図書館の目録を検索してみると、宮崎(1958)にちがいない。思い出せる内容から見て、著者は国土地理院(当時は「地理調査所」だったかもしれない)の関係者だと思う。幾何学を意味する(英語でいえば) geometry の語源は土地の測量だというところから話は幾何と測量の両方に発展し、地球の大きさの測量と長さの単位のメートルの始まりの話題もあり、地図の縮尺の話もあった。地理の教材にあってもよい内容なのだが、算数のシリーズにあったのだ。

このように、ユーザー分野もいっしょになった「算数・数学関連」の本やウェブサイトの企画が、これからもっと活発になってほしいと思う。

文献

  • Daniel Fleisch & Julia Kregenow, 2013: A Student’s Guide to the Mathematics of Astronomy. Cambridge University Press.
  • [同、日本語版] ダニエル・フライシュ、ジュリア・クレゲナウ 著, 河辺 哲次 訳, 2014: 算数でわかる天文学。岩波書店。[読書メモ]
  • John Harte, 1988: Consider a Spherical Cow: A Course in Environmental Problem Solving. Sausalito CA USA: University Science Books. [読書ノート]
  • [同、日本語版] J. ハート 著, 小沼 通二 [こぬま みちじ]、蛯名 邦禎 [えびな くによし] 監訳, 粟屋 かよ子, 加納 誠, 中本 正一朗, 冨塚 明 訳 (2010): 環境問題の数理科学入門。シュプリンガー・ジャパン(現在は丸善出版から発売)。
  • 増田 耕一, 2000: 市民の教養としての数量判断能力を。 科学, 70: 945 - 947. [再録] 「理科・数学教育の危機と再生」(左巻 健男, 苅谷 剛彦 編, 2001, 岩波書店), 149 - 150. [著者によるHTML版]
  • 宮崎 勝弍, 1958: おもしろい測り方と地図 (小学生の算数全集 2)。岩崎書店。
  • 杉本 大一郎, 2003: 使える数理リテラシー。放送大学テキスト。
  • 杉本 大一郎, 2009: 使える数理リテラシー。勁草書房。[読書メモ]