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小さい政府主義 / (つかいたくない用語) 新自由主義、ネオリベ

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも明示しません。】

【この記事は、わたしの専門の外ではあるが市民としてはかかわる必要のある話題について、個人の意見をのべるものです。】

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「自助・共助・公助」の話題と、気象データ有料化論の話題について、それぞれ意見の記事を書こうと思ったところで、そこで自分がつかう用語のひとつについて説明しておく必要を感じたので、この記事をさきに出しておくことにした。

わたしは暫定的に、「小さい政府主義」という語をつかうことにする。これは、わたしが賛成しない政治のありかただ。これに対して、わたしが賛成できる政治のありかたの特徴を、便宜上「大きい政府主義」とすることがある。この「大きい」は、「小さい」との対比で相対的に大きいという意味であって、最大限に大きいという意味ではない。

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ちかごろの日本やアメリカ合衆国などの政治で、正論としてとりあげられがちな価値観のひとつとして、「新自由主義」あるいは「ネオリベ」があげられることがおおい。英語の neo-liberalism からきているにちがいない。

しかし、この語の意味のひろがりは、人によってちがうようだ。アメリカで民主党の Al Gore と 共和党の George W. Bush が大統領職をあらそっていたとき、どちらも新自由主義だと評していた人もいたし、Bushのほうは「ネオコン」だと言っていた人もいた、と記憶している。「ネオコン」は neo-conservatism にちがいない。直訳すれば「新保守主義」になるが、この日本語表現を読んだ記憶がわたしにはない(わたしが政治関係の話題をあまり読まないからかもしれないが)。【わたしは、「ネオコン」のことを、だいたいつぎにのべる「「小さい政府」主義」なのだが、軍事関連にかぎって「「大きい政府」主義」になるような主義主張だと理解している。しかし、勉強不足による誤解があるかもしれない。】

また、neo-liberalism ということばがつかわれはじめたのは 1930 年代だそうで、それからいろいろ あたらしい社会思想ができているから、「新」という接頭語がふさわしくなくなっていると思う。

わたしは自分がものをいうとき「新自由主義」のようなことばをつかわないですませたい。

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わたしにわかる表現は「「小さい政府」主義」だ。

「政府がおこなってきた業務、あるいは、ある人びとが政府にやらせるべきだと主張している業務のうち、民間企業でもできることは民間企業にやらせるべきだ」という主義主張だ。その政策が採用されると、公務員の人数はすくなくなり、国の予算規模は (国民経済の規模に対する比率として) 小さくなり、税金は (国民所得の平均[注]に対する比率として) 安くなるだろう。「税金は安いほどよい」というのが基本的な主義主張である人も、おそらくこの段落の最初にのべたような主義主張に賛同するだろうから、いっしょにあつかってよさそうだ。

  • [注] 所得の平均は多数の人の所得水準を代表していないことがおおいのだが、ここにでてくるのは平均のほうである。

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「「小さい政府」主義」の対極として、極端な意味での「「大きい政府」主義」を考えることができる。政府がおこなうことができる業務は、民間企業ではなく政府にやらせるべきだ、という主義主張だ。すべての産業を国有化することになるだろう。それに近い主義主張が実際に政治の基本とされた例としては、ソ連、とくにスターリン時代のソ連があげられるだろう。

しかし、いま、この極端な意味での「「大きい政府」主義」を本気で政策の基本としようとしている政党や政治家は、世界のどこにもいないと思う。共産党が独占的に政権をにぎっている中華人民共和国でも、国による統制はあるが、産業の大きな部分が民間企業の活動によっている。

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「「小さい政府」主義」がのぞましくないと考える人は、それよりものぞましい政治の基本となる主義をさす表現を必要とする。それは、極端な「「大きい政府」主義」ではないが、「「小さい政府」主義」との相対的な比較でいえば、「大きい政府」がよいとするものだ。たとえば、国は国民皆保険の制度をもち、医療に必要なお金を保険料あるいは税金として集めて再分配するべきだとする。また、私立の病院や学校がなりたつとしても、国立・公立の病院や学校もあるべきだとする。

この主義主張を、「「適度に大きい政府」主義」と呼ぼうと思う。そして、極端な意味での「「大きい政府」主義」が本気の主張として聞かれる可能性がほとんどないことを前提として、「「大きい政府」主義」という表現も、「「適度に大きい政府」主義」をさすことにしたい。

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ここまで、意味の切れめを明確にするために、かぎかっこを二重につかってきた。かぎかっこなどの引用符は、おもに他の人の発言の引用につかう記号だから、それ以外の意味につかうことは、なるべくさけたい。

「小さい政府主義」と書いて、意味を考えないですなおに単語に分解すると、「{小さい}{政府主義}」となるだろう。「小さい政府主義」と「大きい政府主義」との対立関係は、「政府主義」という同じもののうちの大きさのちがいと思われるだろう。

しかし、「政府主義」などというものはない。【なにかの個別の問題について、それを政府にやらせるか、民間企業にやらせるかの対立が生じたとき、一方のたちばを「政府主義」、他方を「民間企業主義」と形容することがあるかもしれない。しかしそれはその個別の問題かぎりの臨時の用語だと思う。】

「小政府主義」ならば「{小}{政府主義}」ではなく「{小政府}{主義}」と読まれる可能性が高いと思う。しかし「小政府」という用語は通用していない。

いまのところわたしは、「小さい政府主義」と書き、それは「{小さい政府}主義」であるという説明をそえることをつづけることによって、この用語を見なれたものにしてしまうことをめざそうと思っている。

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「小さい政府主義」に対して、のぞましい方向は「適度に大きい政府主義」だ。そして「大きい政府主義」と書いたばあいも、「極端に大きい政府主義」は現実的でないことを前提として、「適度に大きい政府主義」をさすことにしたい。

- 8 [2024-09-25 補足] -
「小さい政府主義」と、緊縮財政をめざすこととは、同じだろうか、という疑問が生じた。わたしのかんがえでは、同じではない。

わたしのいう「小さい政府主義」であっても、緊縮財政ではなく、政府の支出を大きくすること、いわゆる「積極財政」あるいは (けなしことばになるが) 「放漫財政」を志向する人びともいる。ただし、その人たちは、公務員をふやすのではなく、民間企業のしごとをふやすような財政支出をしようとする。

わたしのいう「小さい政府主義」は、国民経済のうちで政府のしごとがしめるわりあいを小さくするべきだ、民間企業のしごとがしめるわりあいを大きくするべきだ、という主張をさしているのだ。

そうではなく、「小さい政府主義」は財政規模が小さいほどのぞましいとすることだ、というかんがえをもつ人もいるかもしれない。もしそちらのほうがよく通用しているならば、わたしはここでつかおうとした「小さい政府主義」という表現をとりやめて、その内容をしめすほかの表現をさがすべきなのかもしれない。