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自助、共助、公助

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも明示しません。】

【この記事は、わたしの専門の外ではあるが市民としてはかかわる必要のある話題について、個人の意見をのべるものです。】

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「自助、共助、公助」ということばが話題になった。

2020年9月2日、内閣官房長官をつとめている菅 義偉 [すが よしひで]さんが、自民党総裁に立候補するにあたっての記者会見の中で、このことばをつかった、ということだった。

読売新聞オンライン 9/2(水) 21:14配信 「何が当たり前なのか見極めて判断、大胆に実行する」…菅氏記者会見の要旨 https://news.yahoo.co.jp/articles/47f6dc2903708ceec9544ffd69fc1189c9e79593 に、つぎのように紹介されている。

国の基本は自助、共助、公助だ。まず自分でやってみて、地域や自治体が助け合う。その上で政府が責任を持って対応する。このような国のあり方を目指すには、国民から信頼をされる政府でなければならない。

ネット上で、現政権 (現政権の官房長官としての菅氏をふくむ) の政策に対して否定的なたちばから、菅氏の政策理念に対する否定的なコメントがあり、それは「自助、共助、公助」という標語にも否定的になりがちだった。

わたしは、現政権の政策には否定的なのだが、「自助、共助、公助」は、自分の標語としてはつかわないものの、肯定的に紹介することがあるので、話題をしわける必要があると思った。

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わたしが知っている「自助、共助、公助」の話題は、防災に関するものだ。

そこでの「公助」は、地方自治体や国がその業務として住民を助けることだ。(実際に現場で働く人は、公務員のこともあるし、地方自治体や国から業務を請け負った企業の人のことも、消防団員などの公的ボランティアのこともあるだろうが。)

「自助」と「共助」のひろがりは、このことばをつかう人のあいだでもそろっていないと思う。個人単位で考えれば、災害のときの「自助」は自分の身をまもることだが、それを「自分を助ける」と表現するのは比喩的表現であり、ただしくは、たとえば「自己防衛」というべきかもしれない。家族を助けることや、同じ職場の人を助けることは、家族や職場を単位に考えれば「自助」だが、個人を単位に考えれば「共助」となる。家族や同じ職場の人ではないが同じ地域に住む人を助けることは、いずれにしても「共助」だ。

そして、防災について「自助、共助、公助」が話題になるばあいは、わたしの知るかぎりいつも、そのどれも重要だ、という話になっている。どれかが優先される話ではない。

ただし、時間的順序の問題はある。地震や大雨がきたとき、すぐに地方自治体や国による救助や援助がくるとはかぎらないから、はじめから「公助」にたよるのではなく、まず「自助」、つぎに「共助」が重要になる。

国の文書に出てきた具体例として、たまたまウェブ検索にかかったものをあげる。
平成30年版 防災白書 第1部 第1章 第1節 1-1 国民の防災意識の向上 http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h30/honbun/1b_1s_01_01.html に次のような記述がある。

阪神・淡路大震災では、7割弱が家族も含む「自助」、3割が隣人等の「共助」により救出されており、「公助」である救助隊による救出は数%に過ぎなかった

ここまでのような「自助、共助、公助」の議論を、わたしは肯定的にとらえている。

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今回わたしが菅さんの発言からはじまる議論に気づいたきっかけは、Twitterでの早川タダノリさんの2020年9月2日23:18の https://twitter.com/hayakawa2600/status/1301162697774387206 からはじまる一連のツイートだった。

早川さんは、菅さんの(記者会見のあとの) NHKニュースへのリモート出演で見せた文字を材料にして、つぎのように論評している。

これは『新経済社会7カ年計画』(1979年8月)で登場した「個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率の良い政府が適正な公的福祉を重点的に保障するという…我が国独自の道」というネオリベ的「日本型福祉国家」理念のスローガンがもとになっています。
(中略)
で、最近ではどうなっているのかというと…… 特徴的なのが2006年版の厚生労働白書で、当該頁は、下記のリンクのようになっています。PDF: https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/06/dl/1-3a.pdf

2006年版 厚生労働白書 172ページの「我が国の社会保障についての基本的考え方」という節には、つぎのように書かれている。

我が国の社会保障は、自助、共助、公助の組み合わせにより形作られている。
もとより、人は働いて生活の糧を得、その健康を自ら維持していこうと思うことを出発点とする。このような自助を基本に、これを補完するものとして社会保険制度など生活のリスクを相互に分散する共助があり、その上で自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準、家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公助があると位置づけられる。

ここには「公助」は、「自助」「共助」が対応できないことにだけ対応すればよい、という考えかたがある。

なお、1979年の文書からの早川さんの引用には「自助」は出てくるが「共助」「公助」は出てこない。早川さんの議論の対象は標語ではなく、国の政策一般あるいはとくに社会福祉政策の基礎となる価値理念なのだ。早川さんのいう「ネオリベ」は、わたしの表現でいえば「小さい政府主義」にあたるものだろう([別記事 2020-09-03「小さい政府主義 / (つかいたくない用語) 新自由主義、ネオリベ」]参照) 。

わたしは、「公助」は「自助」「共助」が対応できないことだけ対応すればよい、という思想には反対する。しかし、「自助、共助、公助」という標語をつかうことは、かならずしもその思想を支持していることではない。そこは区別して議論していきたい。

- 3X [2020-09-04 追加] -
「自助、共助、公助」が日本の国の文書で1987年に社会保障の文脈でつかわれていることが、大塚八坂堂 さんの 2020年9月4日 10:59 のツイート https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1301701446253961216 で指摘された。【[2020-09-05 補足] ただし、その文書では、「共助」ではなく「互助」ということばがつかわれている。】

『厚生白書 昭和61年版』 (1987年1月発行) https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1986/
第1編
_ 第1章 社会保障制度の再構築へ向けて
__ 第3節 社会保障制度の再構築
___ 1 社会保障制度再構築の基本的方向
____ (2) 再構築に当たっての基本的考え方

(経済社会の活力の維持) ...
(自助・互助・公助の役割分担) 第二点は, 自助・互助・公助という言葉に代表される個人, 家庭, 地域社会, 公的部門等社会を構成するものの各機能の適切な役割分担の原則である。健全な社会とは,個人の自立・自助が基本であり, それを支える家庭, 地域社会があって, さらに公的部門が個人の自立・自助や家族,地域社会の互助機能を支援する三重構造の社会, 換言すれば, 自立自助の精神と相互扶助の精神, 社会連帯の精神に支えられた社会を指すものと考えることができよう。また, 制度の再構築に当たっては, 個人の尊厳や相互扶助の精神などを損なうことのないよう十分配慮する必要がある。
(社会的公平と公正の確保) ...
(公私の役割分担と制度の効率的運営) ...

ただし、この文書の存在から「この語句が厚生行政で継続的につかわれていた」とは言えないだろうと、わたしは思う。

- 3Y [2020-09-04 追加] -
他方、災害での文脈では、「自助、共助、公助」は、1995年の阪神淡路大震災をきっかけにひろくつかわれるようになった。ただし、これがつかわれる文脈は行政の目標設定ではない。

井村 隆介さんの 2020年9月3日06:42 のツイート https://twitter.com/tigers_1964/status/1301274434406293505 を引用しておく。

「自助・共助・公助」は、兵庫県南部地震以来、防災の現場でよく使われる言葉。「これは住民側の言葉であって、『いざと言う時に行政は当てにならない』ということ。なので行政がこれを前に出して防災計画を進めてはいけない」と行政向けの防災講演では常々言ってきた。

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健康保険や介護保険や年金のしくみは、互助的なところがある。しかし、国の住民が保険料をはらう義務を負うような、いわゆる国民皆保険制度のもとでの健康保険などは、「公助」にふくめるのが適切だと、わたしは思っている。

しかし、それとちがう用語のつかいかたを、国の厚生労働省のウェブサイトにある2013年の文書で見つけた。

地域包括ケアシステムの5つの構成要素と「自助・互助・共助・公助」(平成25年3月地域包括ケア研究会報告書より) https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-3.pdf

「公助」は税による公の負担、「共助」は介護保険などリスクを共有する仲間(被保険者)の負担であり、「自助」には「自分のことを自分でする」ことに加え、市場サービスの購入も含まれる。これに対し、「互助」は相互に支え合っているという意味で「共助」と共通点があるが、費用負担が制度的に裏付けられていない自発的なもの。

もしこれにしたがえば、「公助」は税金を財源とする行政の事業だけであり、国民皆保険のような制度によるものは「共助」、任意の保険は「互助」ということになる。ただし、これはおそらく厚生労働省の公式見解ではなく、省内の議論のために省外の議論を紹介したものか、省の諮問をうけた専門家が報告したものだろうと思う。

【わたしは、国民皆保険の制度によるものは、財源が税金でなく保険料であっても、「公助」にふくめるのが適切だと思っている。わたしの考える「共助」はだいたい この報告書でいう「互助」にあたる。】

- 4X [2020-09-07 追加] -
「自助、共助、公助」の3つとするばあいでも、社会保険が「公助」にふくまれるか「共助」にあたるかは、政府の公式見解と思われるもののあいだでも一定しない。「公助」とする見解から「共助」とする見解に変更されたのかもしれない。

2020年9月7日 00:00 の明戸 隆浩さんのツイートhttps://twitter.com/takakedo/status/1302622639622479872 で知った、里見 賢治さんの2013年の論説がある。

  • 里見 賢治, 2013: 厚生労働省の「自助・共助・公助」の特異な新解釈 -- 問われる研究者の理論的・政策的感度。社会政策, 5 (2): 1-4. https://doi.org/10.24533/spls.5.2_1

これによれば、社会保険を「共助」とする見解は、内閣官房長官の私的懇談会である「社会保障の在り方に関する懇談会」の報告『今後の社会保障の在り方について』(2006年5月26日)で出てきた。

これがすぐ国の公式見解になったわけではなく、たとえば、2012年版『厚生労働白書』では採用していない。しかし、『社会保障制度改革国民会議報告書』(2013年)では採用している。

- 4Z -
この話題の議論をするときには、標語だけで議論を進めるのではなく、標語がそれぞれ何をさしてつかわれているか確認する必要がある。用語の意味を共通にすることができればそのほうがよいが、くいちがいをのこしたまま自分の用語の何があいての用語の何に対応するかを確認しながら議論を進めたほうがよいこともあると思う。

- 5 [2020-09-05 追加] -
日本語のなかで「自助」という表現が見なれたものになっているのには、おそらく、Samuel Smiles が 1856年に出した本 Self-Help の影響があるだろう。中村 正直 の訳で1870年に出た日本語版の題名は『西国立志編』だったが、序文の「天は自ら助くる者を助く」という文句が有名になった。のちには本の題名も『自助論』として紹介されることが多くなった。

「互助」は漢文圏に古くからあった表現だと思うが、「共助」「公助」は近代のうちでも新しく、おそらく第二次世界大戦後の日本でつくられた表現だと思う。ただし、ほんとうにそうか、わたしはしらべていない。

【[2020-09-09 補足] 2020-09-09 00:16 の 大塚八坂堂さんのツイート https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1303351494196953088 によれば、「共助」は 松崎蔵之助 (柳田國男の農政学の師) の産業組合論に用例があるそうだ。】