【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしもしめしません。】
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現代日本語で、「ほしょう[する]」ということばは、漢字で書くと、「保証」、「保障」、「補償」がある。
この3つは、「同音異義語」とされていることが多いと思う。それは、漢字を音よみでつかっている熟語だから、漢字1字の要素からくみたてられているととらえると、ちがう要素からなりたったことばは、別々のことばだ、という理屈にもとづいていると思う。
わたしの感覚では、この3つは、おなじ語であり、意味の連続したひろがりの部分によってちがった漢字をあてる習慣がある、というふうにとらえている。それは、わたしがこのことばを知ったこどものころ、まだ漢字をかきわける習慣がなかったせいもあるが、それから読んだ言語学(の初歩)の本で、《日本語のような「自然言語」は音声による表現が基本であり、文字表現は音声言語の語に文字をあてたものだ。》というかんがえかたを読んで、うけいれたせいでもある。
わたしのような態度は、漢字の音よみの語にたいしてはふつうでないかもしれない。しかし、訓よみの語、たとえば「はかる」についてならば、ひとつの語が「測る」「量る」「計る」「図る」とかきわけられている、という認識のほうが、「測る」「量る」...は別々の語だという認識よりも、ひろくうけいれられていると思う。
なお、かながきで「ほしょう」となる語には、軍隊用語の「歩哨」や、サンゴ礁を分類したひとつの種類である「堡礁」もある。わたしの感覚では、このようなものは、「保証・保障・補償」とは別の語(同音異義語)だと感じる。そういう感覚になるのは、(わたしの個人言語では) アクセントがちがうせいもあるかもしれない。
すくなくとも法律の文脈では、「保証」「保障」「補償」は別々の概念なので、連続した語のかきわけであるという感覚をもっている人も、別の語であるとかんがえをあらためる必要がありそうだ。
【もし、日本語を表音文字で書くのを標準とするのが標準的とされる よのなかだったら、「ほしょうする」というひとつの語が認識されたうえで、別々の概念をあらわしているのに同じ文脈にでてくる可能性があるばあいが あらいだされて、きいて区別できるような表現がくふうされただろうと思う。】
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「保証」「保障」「補償」の意味については、辞書を参照したほうがよいと思う。
しかしここでは、わざと辞書をひかないで、わたしのひごろ理解している意味を書きだしておく。定義とみなさないでいただきたい。
「保証」
- たぶん本来の意味は、価値判断をつたえることに関連したものだと思う。「A[人]がB[人]にC[人、もの、こと]について保証する」ことは、 AがBに「Cが信頼できる」ことをしめすことだ。
- 製品の品質保証。たとえば、AがBにCを売るとき、Aが「Cはこれから3年間は期待どおりの動作をする」ということがある。この「...」は「Cが信頼できる」ことのひとつの具体化だ。商取引での品質保証は、「...」がまちがいだったばあいの[つぎに説明する]「補償」の約束をふくむことがおおい。
- 債務保証。C[人]がB[人]から借金するとき、A[人]がBに、「もしCが返済できないときは、Aが かたがわりして返済する」と約束する。(これは「連帯保証」で、そうでない保証もあるようだが、わたしはよく認識できていない。)
「保障」
わたしの理解をことばにするとだいたいつぎのようになる。
- あいての生存の確実性を高めるような実質的なサービスを提供する。
そして、つぎのような文脈がおもいうかぶ。しかしわたしには語の意味を説明するのがむずかしい。
- 「安全保障」 ...
- 「国家安全保障」というと軍事関連の意味になることが多いが、それだけでもない。
- 「食料安全保障」「エネルギー安全保障」 (国家単位の政策の話題のことが多い。)
- 「人間の安全保障」 (これは「国家の...」とは区別される。)
- 「社会保障」 .
「補償」
- A[人]がB[人]に損害をあたえたことをみとめ、そのうめあわせ(つぐない)として、AがBに利益をあたえる。
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このことを書こうと思ったきっかけは、《感染症の対策のために業務を休業しなければならなくなった人が、国に対してその補償をもとめたら、国からでてきた政策は債務保証だった。いくらいくらの(補償としての)給付があると期待したら、その金額の債務保証だったので、がっかりした。》 という話をきいたからだった。
感染症対策の「ほしょう」について わたしが考えていることは、おって別の記事として書こうと思う。簡単に予告すると、「損失を補償せよ」というのは当事者の主張としてはもっともだが、政策としては、これに直接こたえるのはむずかしく、むしろ「生活を保障する」ことをめざすほうがよい、と思うのだ。