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"Tane o màku." ローマ字日本語にアクセント記号をつけるならば...

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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「日本 の ローマ字 社」の 機関誌 「Rômazi no Nippon」の 2019 年 10 月 号 に、Iwase Zyun'iti さん に よる 文章 が のって いた。(その 文章 は 漢字 かな まじり で かかれて いて、その うち いくつ か の 語 が ローマ字 で かかれて いる。) そこ で の Iwase さん の 主張 は、アクセント の ちがう 語 を 区別 する ため に アクセント 記号 を つかおう と いう こと だ。

日本語 を ローマ字 で かく に は いくつ か の 方式 が ある が、いずれ に して も アクセント の かきかた は きめられて いない。はなし-ことば で アクセント は ちがう が その ほか の 発音 の ちがい が ない ことば は、ローマ字 つづり は おなじ に なる。同音-異義-語 と みなされて いる と いえる だろう。これ を 区別 したい こと は たしか に ある。

Iwase さん が あげた 例。「たね を まく」の「まく」も、「ひも を まく」の「まく」も、動詞 だ が、Iwase さん も、わたし も、アクセント で 区別 して いて、ちがう 語 と して 意識 して いる。

【「漢字 で 区別 すれば よい」と は かんがえない。 (Iwase さん の 話題 で は ない が、) たね を まく (播種 する) の と、水[みず] を まく (散水 する) の「まく」は、日本語 の おなじ 語 だ と (わたし は) おもう ので、おなじ よう に かく よう に したい の だ。】

【なお、「まく」に は、名詞の「まく」(幕、膜) も ある が、ここ で は 話題 に なって いない。】

わたし は、アクセント の 区別 を 日本語 の 正書法 (どの 語 を どの 文字列 で しめす か の 規則) に いれる の に は 反対 する。しかし、アクセント を しめしたく なった とき どの よう な かたち で しめす か の 共通 の 習慣 を つくって おきたい と いう 意味 に かぎって、Iwase さん の よびかけ に 賛同 する。

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日本語 は 高低 アクセント を もつ 言語 だ と される。しかし、方言 に よって は アクセント を もたない (音 の 高低 が 意味 の ちがい に つながらない) もの も ある。また、高低 アクセント を もつ 方言 の あいだ で も、それぞれ の 単語 の 音 の 高低 は さまざま で、逆 に なる こと も ある。

わたし の 理解 して いる ところ で は、日本語 の 共通語 (いわゆる 「標準語」) の ルール に は、アクセント に ついて の ルール は ふくまれて いない。

事実上 の 標準 と いえる もの は ある。それ は NHK (日本 放送 協会) に よる もの だ。わたし は こども の ころ に 『日本語 発音 アクセント 辞典』と いう 本 で それ を しった。【その 本 は てもと に ない が、CiNii Books に よれば、1966 年 版 に ちがいない。いま うられて いる の は 2016 年 版 の 『NHK 日本語 発音 アクセント 新 辞典』だ。さかのぼれば、1943 年 に『日本語 アクセント 辞典』が でて いる そう だ。】

NHK は、日本語 の 方言 の アクセント の 類型 の うち、東京-型 アクセント を 採用 して いる。【「東京-型」 と いう 表現 は わたし の 記憶 に よる もの で、NHK の表現 が そう だった か は たしか で ない。「関東-型」 で は なかった はず だ。関東 に は 無-アクセント の 方言 が つかわれて いる 地域 も かなり ひろく ある から。】

放送 の アナウンス を 共通語 で する ばあい は、NHK の 標準 に したがう の が よい だろう と おもう。 しかし、これ は 日本語 が つかわれる 場[ば] の 全般 の 標準 と されて いる わけ で は ない はず だ。学校 教育 で、この アクセント の 標準 を しり、 つかい こなす こと を 義務-づける べき で は ない と おもう。

だから、わたし は、アクセント に よって 語 を かき わける こと を ルール にする べき で は ない と おもう。

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アクセント だけ が ちがう ことば は、同音-異義-語 と おなじ よう に あつかう 必要 が ある。

ことば を えらべる とき は、アクセント に よる 区別 が 必要 な 語 を さけて えらぼう。

Iwase さん も、「たね を まく」の「まく」は、tanemaku と した ほう が よい か も しれない と いって いる。【もし それ を 徹底 すれば、”Tane o tanemaku” と いう よう に なる か も しれない。 それ は いま は とても 変 に 感じる が、なれれば それ で よく なる と おもう。】

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他方、アクセント を しめしたい こと は たしか に ある。

たとえば、きいた ことば を、いい-かえず に、そのまま 文字 で かきたい とき が ある。その とき、はなして が 語 を アクセント で 区別 して いる の ならば、それ を しめして おきたい (しめさない と つたわらない おそれ が ある)。

その よう な とき、おたがい に いいたい こと が ただしく つたわる よう に する ため に は、おおぜい の 人 が 合意 する 表現 方法 の 標準 が あった ほう が よい と おもう。

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ローマ字 を つかって いる 言語 の うち に は、アルファベット に 補助 記号 を つける もの が ある。補助 記号 の うち に は「アクセント 記号」と よばれる もの が ある。

古代 ローマ の ラテン語 に アクセント 記号 が あった か、わたし は しらない が、母音 の 長音 を うえ-つき 横棒 (macron) で あらわす こと は あった。

フランス語 の アクサン (accent) は、いま の 言語学 で いう アクセント と おなじ で は ない もの の、関係 が ある だろう。わたし の (しろうと と して の) 認識 で は、現代 フランス語 で「e」 に つける アクサン 記号 は、強弱 を あらわす と いえなく も ない が、むしろ 母音 の ちがい (あいまい 母音 か、はっきり した 「エ」か) を しめして いる。「a」につける アクサン 記号 は、発音 の ちがい で は なく 語 を 識別 する 正書法-上 の 約束 に なって いる。

英語 は 強弱 アクセント を もつ 言語 だ。その 正書法 で は アクセント 記号 を つかわない が、発音 を 説明 する 際 に、つよく 発音 する 音節 の 母音 に ひだり-さがり (みぎ-あがり) の アクセント 記号 (acute accent)を つけて á の よう に する こと が ある。

中国語 は 高低 の 声調 を もつ 言語 だ。中国 の 標準 の ローマ字 表記 (ピンイン) の 声調 符号 は、音 の たかさ の あげさげ を すなお に 表示 して いる。

中国語 は 音節-内 で 高低 が かわる ので、文字 の まうえ に 声調 符号 を おけば よかった。日本語 の アクセント は、拍 と 拍 の あいだ で 高低 が かわる。日本語 の アクセント を すなお に 表示 する に は、文字 の あいだ に たかさ の 変化 の 記号 を いれる べきだ。

もし、対象 を NHK 標準 あるいは 東京-型 アクセント に かぎる の ならば、たかさ が さがる ところ だけ しるし をつければ よい。あがる ところ の しるし は いらない。(ほか の 方言 の アクセント も 表記 したい の ならば、あがる ところ の しるし も いる [注] だろう。)

  • [注] この「いる」 は、「必要 だ」 に ちかい 意味 で、東京-型 アクセント で は「る」 が たかく 発音 される。わたし は、東京-型 アクセント の 構造 の たちば から、「る」 の あと に さがり の しるし を つけて、(つぎ に のべる 第1-案 に よれば) ”iru⌉ ” と すれば よい と おもう。しかし、もし 発音 の 感覚 に あわせた 表記 を する ならば、"i⌈ru⌉" の よう に、「い」と「る」の あいだ に あがり の しるし が ほしく なる だろう。

そこで、 わたし の 第1-案 は、音 の さがりめ を つぎ の よう な かぎがた で しめす もの だ。

  • 「たね を まく」 は "ta⌉ne o ma⌉ku"
  • 「ひも を まく」 は ”himo o maku” (アクセント が 平板 と なる ばあい は 記号 なし)
  • 「必要 だ」 に ちかい 意味 の 「いる」 は " iru⌉"

(かぎかっこ が アクセント 記号 と まぎらわしい ので、ここ だけ、ローマ字 文字列 を かこむ 引用符 を かえた。)

もし、「これ まで の ローマ字 を つかう 言語 で み-なれない 記号 を 導入 したく ない」とか、「記号 を 文字 の あいだ で なく うえ か した に おきたい」とか いう 条件 を つける の ならば、わたし の 第2-案 と して、「さがりめ の まえ の 拍 の 母音-字 に みぎ-さがり の アクセント 記号 を つける」 と いう 案 を だす。

  • 「たね を まく」 は 「tàne o màku」
  • 「ひも を まく」 は 「himo o maku」
  • 「必要 だ」 に ちかい 意味 の 「いる」は 「irù」

さがりめ の 前後 の どちら に つける の が よい か は 理屈 で は きまらない が、どちら か と いえば たかく 発音 される 拍 に「アクセント が ある」と 感じられ やすい と おもう。(したがって、記号 を うつ 位置 に ついて は Iwase さん の 提案 と おなじ に なった。) さがりめ の 前後 の 2 拍 を あわせれば さがる 声調 な ので、みぎ に むかって さがる 記号 が よい と おもう。(したがって、 記号 の かたち は Iwase さん と は ちがう もの に なった。)

【[2019-11-07 補足] (わたし は アクセント 記号 の 歴史 を じゅうぶん しらべて いない が) みぎさがり の アクセント 記号 (フランス語 で いう accent grave アクサン・グラーヴ) は、もともと 高低 の うち で ひくい おと を しめす の に つかわれて いた らしい。それ を ひき つぐ たちば から は、わたし の やりかた は たかい おと に つける こと に なる ので、まちがい だ と いわれる か も しれない。わたし は いま の ところ、現代 中国 の 声調 符号 と して の つかわれかた と にて いる こと の ほう を むかし の ヨーロッパ で の つかわれかた と の 対応 より も 重視 して いる。しかし、わたし は この 点 で は 今後 かんがえ を かえる か も しれない。】

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ローマ字-がき の 日本語-文 の なか で、比較的 少数 の いくつか の 語 に ついて、みんな が アクセント 記号 を つける よう に なり、それ が 事実上 の 正書法 に なって いく の ならば、それ も よい と おもう。たとえば、もし 「Tane o màku.」と いう かたち が 普及 する の ならば、それ で よい と おもう。【ここ で、「tane」 は アクセント で 区別 する 必要 が ない から、記号 なし が 適切 だろう。】

かな-がき の ばあい も、アクセント 表記 の 意義 は、ローマ字-がき の ばあい と 同様 な の だ が、かな に は アクセント 記号 の 習慣 が ない から、あらた に 導入する こと は 楽 で は ない。ローマ字 の ばあい の 表現 を、かな に も 応用 できる かたち で つくって おいて、ためし に かな で も つかって みる の が よい と おもう。

文献

  • Iwase Zyun'iti, 2019: 種を máku、ひもをmaku、と区別したら? Rômazi no Nippon (Nippon-no-Rômazi-Sya), 2019. 10 (dai 671 gô), 5-6.
  • 日本放送協会 編, 1943: 日本語アクセント辞典。日本放送出版協会。[わたしは見ていない]
  • 日本放送協会 編, 1966: 日本語発音アクセント辞典。日本放送出版協会。[わたしはちかごろ見ていない]
  • NHK 放送文化研究所 編, 2016: NHK日本語発音アクセント新辞典。NHK出版。[わたしは見ていない]