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二酸化炭素による赤外線吸収は飽和しても温室効果は飽和しない

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大気中の二酸化炭素がふえると地球温暖化が進むという見通しは多くの科学的知見にささえられている。しかし、この見通しを否定する主張がある。

地球温暖化否定論のうちに、「二酸化炭素による温室効果はすでに飽和しているので、二酸化炭素がこれ以上ふえても、温室効果はこれ以上強まらず、地表温度は上がらない」という主張がある。これを「飽和論」と呼んでおく。飽和論を主張している人は、地球の大気、とくにその成分である二酸化炭素が、温室効果をもつことは認めているのだ。(飽和論と温室効果否定論をまぜてしまったのでは、自己矛盾になる。)

この議論に対して、わたしは別のブログに2010年9月8日に[CO2がふえても温室効果は強まらないという議論(飽和論)への反論]という記事を書いた。実質的にそれのくりかえしになってしまうが、ここでまた論じておきたい。

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地球放射の波長帯のうちでも、とくに 15 μm 付近の波長では、二酸化炭素による吸収が強いので、地表面から射出された赤外線のうちで、大気を通過して宇宙空間に出ていく割合は、無視できるほど小さい。つまり「事実上完全に吸収されている」。「吸収は飽和している」とも言えるだろう。

それにもかかわらず、「温室効果が飽和している」わけではない。二酸化炭素がもっとふえれば、温室効果はもっと強まるのだ。

その理屈は、大きく分けて、次の二つがある。現実には、両方とも働いている。

  • (1) 温室効果は、大気が放射を吸収するだけでなく射出もすることによって成り立っている。吸収物質は射出物質でもあり、それがふえると、放射が大気を同じ距離だけ通るあいだに吸収・射出をくりかえす回数がふえるので、温室効果が強まる。
  • (2) 分子の振動による放射の吸収・射出の強さは波長によって大きくちがう。地球放射の波長帯の一部分で飽和していても、ほかの部分では飽和していない。そのうち15μm帯について見れば、その中心部では飽和しているが、周辺部では飽和しておらず二酸化炭素濃度が高いほうが吸収・射出が強まる。

さらに、(2)のうちとも言えるのだが、次の効果もある。

  • (3) 地表付近と成層圏とでは圧力が桁ちがいに違う。圧力が高いほど、分子間の衝突によるエネルギー交換が起きやすいので、(横軸に波長、縦軸に吸収率をとったスペクトルのグラフでの) 吸収線の幅は広くなる。したがって成層圏のCO2による吸収は地表付近の気圧の場合よりも飽和しにくい。

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飽和論は100年以上まえからある理屈だ。科学史家の Spencer Weart [ワート]が2007年6月26日にRealclimateというブログの記事[A Saturated Gassy Argument]で、次のことを紹介している。

Arrhenius [アレニウス]が1896年の論文で、二酸化炭素濃度が高いと地表温度が高くなると述べた。それに対して、Knut Ångström [クヌート オングストローム][注: 8節参照]という物理学者が1900年の論文で、そうはならないと述べた。Ångströmの議論の根拠は室内実験で、二酸化炭素に赤外線をあてて透過する割合をはかったのだ。二酸化炭素の量が地表から大気上端までの大気柱にある量よりも1桁少ないくらいで、すでに吸収は事実上飽和していた。それから1940年ごろまでは、Arrheniusの理屈よりもÅngströmの理屈のほうを信頼する人が多かったようだ。

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2節で分類した論点の(1)、吸収・射出をくりかえすことによって温室効果が強まることについては、いわゆる「ガラス板モデル」による説明がよく使われる。わたしの教材ウェブサイトでは、[温室効果の基本]の中の「大気の温室効果 (簡単化した放射平衡の場合)」の「簡単なモデル」のところに示した。

空間的不均一性をもたない0次元モデルで、定常状態を考える。エネルギー保存の法則は、太陽放射と地球放射の出入りがつりあっているという形になる。大気を理想化して、「太陽放射の波長帯では完全に透明だが、地球放射の波長帯では黒体と同様に不透明」であるような、厚みが無限小の理想化された「ガラス板」で表現する。地球放射は地表面または大気(板)が温度に応じて出す黒体放射だとする。大気がない場合、地表温度は地球の有効放射温度に等しい。「ガラス板」n 枚の大気があった場合、地表温度は有効放射温度の「(n+1)の4乗根」倍になる。

この「ガラス板」1枚で、すでに「赤外線の吸収は飽和している」ことに相当するのだが、その枚数がふえていけば、地表温度は高くなる。つまり、大気中の吸収・射出物質がふえていけば、温室効果が強まるのだ。

このモデルでガラス板の枚数をふやすと温度を際限なく上げることができることになるが、それは現実的でない。地表温度が高くなってくると、太陽放射と地球放射の波長域のかさなりが無視できなくなり、理想化された「ガラス板」が実現不可能になるからだ。

しかし、金星の地表温度 (約 740 K)ぐらいはこのしくみで無理なく達成できる。

大気中の放射吸収物質(射出物質でもある)がふえることを「ガラス板」の枚数がふえる形で表現するアナロジーを認める人に対しては、ここまでの説明で、温室効果は飽和しないことを伝えられると思う。このアナロジーに納得しない人もいるだろう。「放射は吸収物質分子にぶつかって吸収され、放射のエネルギーはいったん気体の内部エネルギーとなり、あらためて吸収物質分子から射出される。放射が通る経路の長さが同じでも、吸収物質の濃度が高いと、吸収・射出のくりかえし回数が多くなる。その結果として、温室効果が強まる。」というような説明で、納得してもらえるだろうか? (この説明は、教材ページ[放射吸収が飽和しても温室効果は飽和しない]に書いたものを少し改訂したものである。)

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4節のモデルは、エネルギー収支が放射だけでなりたち、対流の効果がはいっていない。このモデルには鉛直方向の長さ(高さ)の尺度がはいっていないので、そのままでは対流を考慮しようがない。

鉛直次元をもつ「放射平衡モデル」と「放射対流平衡モデル」の結果の比較 (4節にあげた「温室効果の基本」のリンク先の「大気の鉛直温度分布の理論計算」のところを参照)によれば、対流がはいった場合のほうが、地表温度は低く、対流圏界面(対流圏と成層圏の境)付近の気温は高くなる。

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3節で述べた Weart のブログ記事に続いて、同じ日に、大気物理学者の Raymond Pierrehumbert [ピエールハンバート] による記事 [Part II: What Angstrom didn't know]が出ている。Pierrehumbert (2011)の解説文もそれと基本的に同じである。

Pierrehumbertのおもな論点は、2節でいう(2)だ。15μm 吸収帯の中心部はたしかに飽和しているが、周辺部は飽和していない。二酸化炭素がさらにふえれば、スペクトルの吸収帯は「深く」はならなくても、「横に広がる」ので、吸収がふえるのだ。(ただし、濃度に比例するよりは にぶく、濃度の対数に比例するのに近いふえかたになる。)

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2節で述べた(3)は、1955年ごろにPlass [プラス]という人の研究で明らかになったことで、その話はWeart 「温暖化の発見とは何か」の第2章に出てくる。【そこでは、吸収スペクトルの形の比喩として "picket fence" というものが出てきて、どう訳すか迷ったのだった。】 3節にあげた Weartによるブログ記事も、この件にもふれている。

分子の振動による放射の吸収・射出は、もともと非常に強い波長選択性をもっている。横軸に波長、縦軸に吸収率をとった吸収スペクトルのグラフを見ると、吸収の強いところは細い縦棒のような吸収線で、吸収線のあいだの区間ではほとんど吸収しないのだ。しかし、実際の気体では、分子運動があり、放射の吸収・射出と分子間の衝突が組み合わさって起こることがあるので、波長選択性がゆるみ、吸収線が幅をもつ。気圧が高いほど、分子間の衝突が多いので、吸収線の幅がひろがり、隣の吸収線とつながって連続的な吸収帯になることがふえてくる。

成層圏の気圧は、地表の気圧よりも1桁から2桁低い。したがって、成層圏での吸収線は、地表での吸収線よりも細い。地表の気圧のもとで計測された吸収率では「飽和している」ように見えても、地表から成層圏にわたる大気柱による吸収は、まだ飽和していないこともあるのだ。精密な計算には、大気柱のうちで高さによって気圧がちがうことを考慮した、大気放射学で「不均質大気」と呼ばれている扱い(たとえば浅野, 2010の本を参照)が必要になる。

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地球温暖化のしくみをデモンストレーションする室内実験として、二酸化炭素を含む空気に(透明容器の外から)赤外線をあてて、温度上昇をみることが、たびたびおこなわれる。

NHK教育テレビで2014年5月30日に放送された Richard Muller [ムラー]さんの講義にも、そのような実験が出てきた。わたしは別のブログに2014年6月2日に[Muller (ムラー)さんの講義についてのコメント]という記事を書いた。

そこでも述べたが、これは、二酸化炭素が赤外線を吸収してエネルギーを得るところまでを見る実験だ。それは温室効果を構成する過程のひとつではある。しかし、二酸化炭素からの射出を見ておらず、温室効果を室内で再現する実験にはなっていない。

そして、容器中の二酸化炭素の濃度がわりあい低いうちは、濃度がふえるほど吸収が大きくなる結果が得られるけれども、もし高い濃度で実験すると、吸収が飽和してしまい、「温室効果が飽和する」というまちがった印象を与えてしまうかもしれない。

しかし、残念ながら、気体による吸収・射出のくりかえしを見る室内デモンストレーション実験は、実現困難だ。(ガラス板モデルを近似する固体による実験ならばできるかもしれない。ただし、現実の物質は「太陽放射には透明」「地球放射には不透明」という理想どおりではないことに注意が必要だ。)

- 8 (余談) -
3節に出てくる Knut Ångström (1857-1910) は、名まえが長さの単位(SI単位ではないので今は使われなくなったが)に採用された Anders Ångström (1814-1874) の息子だ。Anders は、物理学者とされるが、太陽を含む星の光のスペクトルの研究で知られ、地磁気やオーロラの研究もした。Knut も物理学者とされるが、太陽放射や大気放射を研究した。(この節のここまでの情報はおもにWikipedia英語版によった。)

そして、Knutの息子 Anders Ångström (1888-1981) は、気象学者とされることが多く、とくに大気放射の研究で知られる。【北ヨーロッパでは孫に祖父母と同じ名まえをつけることはよくあることらしい。Middle nameとして「Knutの息子」を意味する Knutsson を入れていることもあるが、入れていないことも多く、祖父との区別に注意が必要だ。】 エーロゾルによる太陽放射の消散(散乱と吸収)に関する「オングストローム指数」(Angstrom exponent)という用語が今も使われるが、これはこの人の研究に由来するものだ。わたしがこの人について最初に知ったのは、福井 (1938)に参照されている、陸や水体の熱収支にもとづいて温度の日変化や年変化を論じた1920年代の研究論文だった。なお、1982年のWMO Bulletinに回顧的インタビューがのっているそうだ。

文献

  • Knut Ångström, 1900: Ueber die Bedeutung des Wasserdampfes und der Kohlensäure bei der Absorption der Erdatmosphäre. Annalen der Physik, 3: 720-732. [Pierrehumbert (2011)で参照。わたしは読んでいない。]
  • David Archer & Raymond Pierrehumbert 編, 2011: The Warming Papers: The Scientific Foundation for the Climate Change Forecast. Chichester, West Sussex UK: Wiley-Blackwell, 419 pp. ISBN 978-1-4051-9616-1 (pbk.) [読書メモ]
  • Svante Arrhenius, 1896: On the influence of carbonic acid in the air upon the temperature of the ground. The London, Edinburgh and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, Ser. 5, Vol. 41: 237-276. (http://nsdl.library.cornell.edu/websites/wiki/index.php/PALE_ClassicArticles/GlobalWarming/Article4.html に簡単な解説と原論文PDFへのリンク.) (Archer & Pierrehumbert 2011に収録, 56-71ページ.)
  • 浅野 正二, 2010: 大気放射学の基礎。朝倉書店。[読書ノート]
  • 福井 英一郎, 1938: 気候学。古今書院。[読書メモ]
  • Raymond Pierrehumbert, 2011: The saturation fallacy. Archer & Pierrehumbert (2011), 53-55.
  • S. R. Weart (ワート), 2003, 日本語版2005: 温暖化の〈発見〉とは何か。みすず書房。[読書ノート]