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海進、海退、海水位変化 (「縄文海進」に関するシンポジウムをきっかけとして)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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日本第四紀学会の「縄文海進」のシンポジウムに出席した。予告を[2018-01-30の記事]でお伝えしたものだ。

話題はもりだくさんだったが、詳しいことは1年ぐらいのうちに学会出版物で発表されるのを待とうと思う。大まかな認識としては、わたしが[2013-04-30の記事]に書いたことを書きなおす必要はないと思った。

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講演を聞いていて、「縄文海進」にかぎらず、「海進・海退」ということばが、人によってちがう意味に使われていることに気がついた。このことは2013-04-30の記事にも書いたのだが、そのときの表現ではわかりにくかったかと思うので、あらためて書き出しておく。人びとのあいだのこの用語の意味のくいちがいには、次の3つの軸のくいちがいが組み合わさっている。

  • 1. 水平分布を見て海の領域が広がるか狭まるか なのか、鉛直に見て(陸に相対的に)海水位が上がるのか下がるのか なのか。
  • 2. ローカルかグローバルか。
  • 3. 「海進期」とは海が広がりつつある(または海水位が上がりつつある)時期なのか、海の広がり(または海水位)が極大になった時期なのか。

いずれの軸についても、どちらかに統一するのはたぶん不可能なので、それぞれの場で、いまはどういう意味で使っているかを確認して使う必要があると思う。

わたしが討論の時間にこのことを発言したのに続いて、齋藤 文紀さんから、わたしの「1」の件の答えは前者に決まっている、つまり「海進・海退」という用語は水平方向の広がりの変化をさすのであって上下の水位変動をさすのではない、という指摘があった。齋藤さんは現在の日本第四紀学会会長ではあるが、これは学会としての見解ではなく、齋藤さんが属する地質学(あるいはそのうちの分科)のdisciplineの約束を述べたのだと思う。しかし、第四紀学会に「海進」ということばを「海水位上昇」の意味で使うべきでないと考える人がいることは明確になったから、わたしは、第四紀学会の出版物に書くときはそれに従おうと思う。ほかのときまでその方針を通せるかどうかはまだわからない。

「2」は上には単純化した表現をしたが、「ローカル」の規模は1つではない。1つの調査地点(数mから数百mの規模)に注目する場合と、たとえば日本列島くらいの規模で考える場合とのちがいもある。区別が必要なときは後者を「地域規模」ということにする。

「3」について、「縄文海進」に即していえば、変化過程に注目すれば「縄文海進は最終氷期の氷床極大期(約2万年前)から始まり約7千年前に終わった」となり、状態に注目すれば「縄文海進期は約8千年前から約5千年前である」となるかもしれない (ここに示した年代の数値はおおざっぱである)。海のひろがりの変化の時系列についての事実認識が同じでも「海進」という用語がその時系列のどの部分をさすかはちがうことがありうるのだ。どちらかの用語を変えたほうがよいと思うが、すぐにはむずかしいだろう。

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上には「海水位」が変動(上昇、下降)するという表現をした。これと「海水準変動」「海面変動」などの用語の意味が同じなのか、ちがうのか、という問題もある。区別するとすれば、海水位つまり海面の高さのうち、潮汐をならし、さらに海洋内部あるいはその上の気象が原因となった変動をならしたものが「海水準」なのだろう。(海洋の運動がないとしたときの仮想的な海面の高さと、定常的な流れに力学的につりあった海面の高さとでもちがいはあるが、どちらなのだろう?)

なお、近代のはじめからの現場で測定される海水位は「潮位」と呼ばれており、その関連の用語も使われているが、観測記録の名まえをそのまま伝えるときのほかは、「海水位」のたぐいにまとめたほうがよいと思う。

「変動」と「変化」とは同じかちがうかについては、「気候」の場合について[2016-09-27の記事]に書いたのと同じ事情がある。

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今回書きたかったことの中心ではないが、「縄文海進」について考えたことも述べておく。

「縄文海進」と呼ばれることがある現象は、世界規模の、大陸氷床の融解に伴う一連の地表の変化の一環ではある。しかし、海進(海の拡大)も海水位上昇も、世界の多くのところでいっせいに起こっているわけではない。むしろ、氷期の氷床があったところに近いヨーロッパや北アメリカでは、逆に、陸に対して相対的に海水位が下がったところが多い。「縄文海進」は世界規模の現象の表現としてはあきらかに不適切だ。だいたい日本列島くらいの地域規模の現象をさす用語だろう(世界のうちでここだけで起こっている現象でもないが)。

「海進」はおそらく地質学から始まった用語だが、「縄文海進」は地質学者がつくった用語ではないだろう。シンポジウムの討論中のある人の発言をもとに考えると(その発言のとおりではなく一般化したもので自信はないが)、地質学者が地域規模の現象に名まえをつけるとしたら、模式地を決めてその地名をつけるだろう。「縄文」は考古学の用語で、土器の形式にちなんだ、人びとの文化様式をさすものだ。「縄文」と「海進」を結びつけた表現は、学術のどれかのdisciplineの立場でよく考えてつけられた用語ではなく、気軽な連想でつくられたのだろうと思う。それは、縄文時代の遺跡が多い時期が、日本付近の海水位が高い時期に対応しているという連想だっただろう。しかし、考古学の知見がふえて、縄文時代の始まりは、むかし考えられていたよりも古い年代に置かれるようになった。いまの学術用語での縄文時代は、むしろ海水位が上がりつつある時期のほうによく対応しているようだ。同じ用語を使うと、かえって、おたがいにちがう時期をさしていることに気づかないで話を進めてしまうおそれがある。

こう考えてみると、「縄文海進」という表現はもはや使わないほうがよいという考えに傾いてきた。くどくても、たとえば「縄文早期にあたる日本列島の高海水位期」などと、それぞれの場面でさすものを明確にしたほうがよさそうだ。