【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
次の論文が出版されました。科学技術社会論の学術論文です。
- 朝山 慎一郎,江守 正多,増田 耕一, 2017: 気候論争における反省的アドボカシーに向けて -- 錯綜する科学と政策の境界。 社会技術研究論文集, 14: 21-37. [PDFファイル(無料) http://shakai-gijutsu.org/vol14/14_21.pdf ]
要旨は次のとおりです。
気候変動問題において科学と政治は不可分の関係にある.複雑で不確実性を含む政策決定には科学的な知識が不可欠である反面,問題のフレーミングや政策の選択には多様な価値観の対立が伴い,科学だけでは意見の合意を導けない.本稿では,政策における科学の役割を考察する上で,特に科学者のアドボカシーをめぐる問題に焦点を当てる.気候変動問題では,科学の名の下に客観性を装いながら特定の政策を擁護する隠れアドボカシーの罠が潜む一方で,問題の緊急性ゆえに科学者の沈黙は現状維持のアドボカシーに陥ってしまうジレンマがある.錯綜する科学と政策の関係において,科学者は,自らの価値観を明示するだけでなく,アドボカシーに伴う社会的な影響や副作用を自己批判的に省察する責任を負う.
ここでいうアドボカシー(advocacy)とは、およそ、政策に関する意見を主張することをさしています。それは科学者の本来の職務とはちがいます。しかし、科学者である各個人にとって、社会の一員であり科学的知識を持つ人がアドボカシーに踏みこむべきだと感じられることもあります。その場合にどのような注意が必要かを考えました。
この論文は基本的に朝山さんのお仕事で、わたしでは思いつかない論点もいろいろありますが、わたしも、Hansen氏の言動への評価やPielke (Jr.)氏の著作の論点の解釈などいくつもの論点について意見を述べ、わたしの考えと矛盾のないように文章をなおしてもらいましたので、共著者としての仕事はしたと思っています。
論文の謝辞にも書いてありますが、この論文のきっかけは、2014年9月に行なった、科学技術社会論(STS)学会のシンポジウムでした。このシンポジウムは、わたしが世話役として朝山さんを含む4人のかたに講演をしていただきました。(準備段階のお知らせなどはこのブログのカテゴリー「STS学会シンポジウム企画」の記事群に残っています。) シンポジウムのあと、報告を学会誌『科学技術社会論研究』に出す予定にしておりましたが、そのころからわたしの業務処理能力がおとろえてしまったため、果たせないままになっており、申しわけなく思います。朝山さんの講演のところだけ、しかもわたしの名まえを入れて、おおやけにするのは、心苦しいのですが、これが今のわたしの能力でできる最善の形と考えました。
今後、わたし自身によるアドボカシーに関する議論をする際に、この論文をも参照するようにしたいと思います。