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歴史のもしも (2)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

[2015-12-12の記事]の続き。

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歴史について、いくらか理屈っぽく考えてみる。

「歴史」ということばは、いくつか違った意味をもっていると思う。次のように分けてみることができるだろうか。

  • 1. 世界のものごとの連鎖(人間に認識されるとは限らない)
  • 2. 人による記述
  • 3. 記述を批判的に検討して得られる1についての知識

この1の意味の歴史についての、おそらく多くの現代人の感覚は、「過去の歴史は確定しているが、未来の歴史は不確定だ」というものだと思う。(ここでは、量子物理が有効な原子の規模や、宇宙全体は別として、人間個体から地球までの規模のものごとを考えている。) そして、「それは、人の自由意志によって、自由自在ではないが、ある範囲内では変えられる」と考えられているのではないかと思う。[きのうの記事]で論じたような、政策の選択肢を考えるときの背景に、そういう考えがあると思う。

まだ不確定な歴史(1の意味)は、不確定なところからさき[注]が分岐していると考えることができる。ただし、その歴史の中で生きていく存在が体験できるのは一つの枝だけだ(その存在にとって、それが確定した歴史になる)。他の枝が実在するかどうかはわからない。

  • [注] 日本語表現上、意味があいまいになる可能性に気がついた。この「さき」は未来側をさす。しかし「あと・さき」の場合の「さき」は過去側をさす。おそらく同じ語源で、時間軸上の方向を空間的方向のメタファーで表現するときの対応のさせかたが複数あってどちらも生き残ったのだろう。

不確定なことは非常にたくさんあり、したがって、枝分かれは非常にたくさんあるはずだ。枝はすべてそれぞれ違い、1の意味では同類はないのかもしれない。しかし、少なくとも歴史を論じる3の立場では、何かの尺度で似た性質をもつ枝を同類としてまとめたくなる。たとえば、ほとんど同じ初期状態からの歴史の流れに「大部分は似ているが、少数例が大きく違う」というような状況があると思う。定量的指標があるかどうかは不明だが、統計学用語のモード(mode)を借りるとすれば、モードに近い多数の枝をひとまとめに認識し、それからはずれた少数の枝を別に認識するようなことができる、と期待したくなるのだ。(歴史自体がそういう構造を持っているかどうかはわからないが。)

- 2 -
「歴史のもしも」を考えたくなる状況はどんなものだろうか。わたしの内省をことばにしてみる。

歴史(1の意味)のある時点で、現実には a だったが、それと少し違う b という事態も考えられるのではないか。(aとbとの違いはわりあい小さい。摂動(perturbation)と言える。その違いが時間が進むにつれて広がっていくだろう。)

その1。現実の歴史は、a からつながる時系列群のモードに近いだろうと考える。そして、b からつながる歴史のモードを推測したい。歴史が比較的単純な要因に支配されているならば、推測できるだろうと期待する。

その2。現実の歴史には、(今の自分の価値判断によれば) 不満なところがある。もし a のところが b だったら、もっとうまく(不満が少なく)進んだのではないか、と考える。それがどんな経過をたどるか知りたい。(ある時点でよくても、その後に悪くなる可能性もある。いわゆる歴史の皮肉だ。そうすると、b のほうがよかったとは簡単には言えなくなる。) この場合は、必ずしもモードを知りたいわけではない。しかし、可能性(蓋然性)が非常に低い枝は採用したくない。

その3。人物について考える。明らかな悪者について、その人が早く死んでいたら、とか、(わたしの)思い入れが向かう人物について、その人がもっとしあわせになる歴史、もっと活躍する歴史があってほしい、など。この場合は、1節で述べた歴史の1の意味で考えはじめても、2の意味の記述のほうにずれてしまう。そして、筋書きを考える思考が、蓋然性よりも、おもしろさを追求することになりがちだ。ここで考える人物としては、人が記述する歴史に名まえが残るような人物のこともあれば、そうでない、いわゆる「無名の」人物のこともありうる。

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わたしは、どんな「歴史のもしも」を考えたくなるか。

[2015-12-12の記事]で述べたように、言語が今とだいぶ違うものになっていた可能性を考えたい、という動機もある。

[きのうの記事]で述べたように、現在から未来の問題として、人間社会を化石燃料消費に頼らないように変えていく必要が生じている。もし、19世紀に、化石燃料の利用拡大つまりいわゆる「産業革命」が世界に広がらなかったらどうなっていたか、を考えてみたくなる。

そして、わりあい大きい問題としては、現実には15世紀の、いわゆる「地理上の発見」から19世紀にかけて、ヨーロッパ諸国がしだいに世界の多くの地域を支配するようになったのだが、歴史がそうでない枝に進む可能性もあったのではないか、ということがある。

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ヨーロッパ諸国による世界支配のうちで、とくに日本について考えることがある。実際の歴史の流れとしては、日本は(第二次大戦後の占領を数に入れなければ)植民地化されずにすんだのだが、そのために、(いわゆる)鎖国政策は必要だったのか、という疑問がある。

わたしは、子どものころ、江戸時代の鎖国政策について、おそらく当時読んだ本(少年少女歴史ものがたりのたぐい)の著者の論調の影響を受けたのだと思うが、国民の移動の自由を奪う悪い政策であり、それをとらないほうがもっとよい歴史(の枝)だっただろう、と感じていた。しかし、たぶん中学の授業で、鎖国は日本がヨーロッパ諸国に征服されないために必要だったのだ、という考えを(も)知った。では、17世紀当時、日本の政権が鎖国に近い政策をとらなかった歴史の枝は、日本がヨーロッパ諸国に征服されたというものになる(蓋然性が高い)のだろうか?

ややこしいことに、幕末(19世紀後半)の段階では、むしろ、鎖国政策を続けることが、ヨーロッパやアメリカ(以下「欧米」と書く)に征服されるリスクが高い、と判断する人がいた。明治以後のいわば定説からは、その判断は正しいとされ、早くからそういう判断をした人をすぐれた先覚者とみなすことが多くなっているが、それは正当だろうか。また、17世紀からのおもな事情の変化としては、欧米が産業革命を経験し工業生産力と軍事力を高めたことが考えられるが、それだけだろうか。

フィクションの記事「天下分け目」は、「17世紀に開国した日本が、イスパニア[注]・ポルトガル同君連合に征服される」という筋書きの変種として、「関が原を空間的『天下分け目』として、西日本は征服されるが独立をとりもどし、鎖国した東日本とは違う体制となる」というものを考えてみたのだった。(そのさきを考えてみたいという意欲はわく。しかし、考えを進めると、その枝についての2の意味の歴史記述を試みることになり、それは歴史記述というよりもむしろ小説かドラマのようなものになってしまう。小説や脚本を書きたいわけではないので、断片を書いて自分で見るだけにとどめている。)

  • [注] わたしは現代のこの国については「スペイン」と書くのだが、15-17世紀の話だと「イスパニア」と書きたくなってしまう。子どものころに読んだ本の表現が印象に残ったせいだ。とくにこだわっているわけではなく、統一を求められれば合わせることはできる。

「攘夷原理主義の爆縮」(implosion)」のほうは、幕末の歴史から分岐して、日本が排外的な政策をとって欧米と戦い負けて征服される、という筋書きを考えようとしたのだった。(しかし、そのさきを考える元気が出なくなってしまった。)