気象学の話題で「暖かい雨(英語ではwarm rain)」「冷たい雨(cold rain)」という表現が使われることがある。
これは、雨ができるしくみに関する分類だ。雲粒は水滴または氷の結晶で、雨粒も水滴だが、大きさが違う。雨粒ができるためには、たくさんの雲粒が集まらなければならない。この過程で、いったん氷の結晶が成長して雪となりそれがとけて雨となって降る場合を「冷たい雨」、氷を経ないで水滴の併合だけで雨になる場合を「暖かい雨」として区別することがあるのだ。
現代の専門家による認識は、「気象ハンドブック」(新田ほか 2005, この部分の執筆者は村上正隆氏) の39ページにあるように、 「この2つの過程は、まったく別々に起こるのではなく、同一の雲のなかで同時に はたらき、相互に作用していることが多い。 熱帯の背の低い雲からの降水を除いて、世界中の降水の大部分には「冷たい雨」の メカニズムが関与しているといってよい。」というものである。
この意味は、日常用語の感覚で考えた「暖かい雨」「冷たい雨」の延長では出てこない。雨の温度が高いか低いかでもないし、気候が暖かいところで降る雨と寒いところで降る雨でもないのだ。(暖かい雨が降るのはたいてい暖かい気候のところだが、暖かい気候のところで冷たい雨が降ることもある。)
しかし、気象に関する専門知識を提供する立場の人でさえ、雲・降水過程をよく勉強した人でないと、日常用語の意味と混ざって覚えていることがあるようだ。
2005年に、観測技法に関しては教材に使えると思った「気象観測マニア」という本[読書ノート]で、熱帯の激しい雨を「暖かい雨」としているのを見つけた。しかし熱帯でも激しい(時間あたりの雨量の多い)雨は、おそらく背の高い積雲・積乱雲から降るものであり、雲の上のほうではじゅうぶん温度が低いので、 そのような雲から雨が降る場合は「冷たい雨」のしくみが働く。「暖かい雨」のしくみだけで降る雨は、背の低い雲から降るもので、雨粒の大きさが比較的小さいことが多く、したがってあまり激しい降水にはならないのだ。
また2006年に、「新しい高校地学の教科書」という本[読書ノート]で、まったく同じではないかもしれないが同様な誤解を見つけた。
また、荒木(2014)の本では、天気予報の報道では気温の高いときの雨のことを暖かい雨と言っていることがあると指摘している(著者自身は気象学者の慣用を正しく使っている)。
この用語は学術用語というよりも専門家間で話を早くするための符丁のようなもの(jargon)だと思う。日本気象学会で作成中の基本用語集にも含まれない予定になっている (気象用語検討委員会, 2006)。そこでわたしは2013年に雲と降水に関する短い教材ページを書いた際にはこの表現を避けてみた。雨ができるしくみの分類としては、たとえば「衝突併合過程」「氷晶過程」(前者が動作に、後者は中間産物に注目した表現であるのが不統一ではあるが)などの表現を使うこともできる。しかし、最終産物としての雨に注目してその分類として語りたい場合には「暖かい雨」に代わるよい表現がないかもしれない。使う場合は専門家の慣用に合わせ、また、読者がそれを知らない可能性が高い場合には説明を補うようにするべきだろう。
文献