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原因は「過去のすべてのものごと」ではあるのだが

われわれ人間は、ものごとを因果関係でつながったものだとして理解しようとすることが多い。とくに科学という いとなみ は、その態度を明確にしたものだと言えるだろう。

しかし、科学が発達した結果わかってきた ものごと の因果関係は、必ずしも人間にとってわかりやすいものではない。(人間社会にとって意義があり科学にもかかわる話題について)人々が語る因果関係は、科学の中の作業で考慮された因果関係そのものではなく、そのうちから抜き出されて整理しなおされたものだと思う。

たとえば、気象学の分野では、数値天気予報という仕事がある。計算機内のプログラムとして気象モデルというものを構成し、それを使って原因から結果を求めるような計算をするのだ。

おおざっぱに言うと、地球の大気を緯度・経度・高さの3次元の升目[ますめ]に分ける。それぞれの升[ます]に気温・気圧・風速・水蒸気量などの気象変数が割り当てられている。たとえば、火曜日の世界時(グリニッジ時) 0時のすべての升の気象変数の値がわかったとする。すると、運動方程式、質量保存、エネルギー保存などの物理法則にしたがって、時間を少し進めた、たとえば0時10分のすべての升の気象変数の値を知ることができる。このような作業を、(この例では) 576回くりかえせば、4日後の土曜日0時のすべての気象変数の値を知ることができる。

ここで、たとえば土曜日0時の、北緯35度、東経140度、海抜0メートルの気温の数値が得られたとして、その原因は何だろうか。ひとまず、物理法則は原因と呼ばないことにする。答えかたはいろいろありうるが、ひとつのもっともな答えは「火曜日0時のすべての升の気象変数からなる全体」だというものだろう。

ほんとうに全体だろうか。物理に立ち入ってみると、因果関係が空間を伝わるのには時間がかかる。アインシュタイン以後の物理では、光の速さで情報が届く範囲だけを考えればよい。しかも気象の場合は、鉛直は別として水平方向には光によって伝わるエネルギーは無視できるので、音波が届く範囲に限ってよさそうだ。さらに、現在の全地球規模の数値天気予報に使われる気象モデルの基礎として使われる物理法則の近似表現のもとでは、音波も何もしていないはずだ。大気の運動(風)によって空気自体が動くことと、音波よりは遅い大気の力学的波動による影響の伝達とだけを考えればよさそうだ。このうち風速について見ると、速いところで100メートル毎秒程度なので、影響は10分で60km、1日で9千kmの距離におよぶ可能性がある。そこで(力学的波動の速さの評価はここでは省略するが)、因果関係を4日以上さかのぼるならば、地球大気全体の影響を考えなければならないと言えそうだ。

土曜日の(たとえば)横浜が、暑いとか、寒いとか感じた人が、その原因は何かと問うとき、火曜日からの数値予報結果が現実の横浜の気温をよく近似していたとすると、数値予報の側からは「火曜日の世界じゅうの何百万もの気象変数からなる全体」だと答えることができる。しかし、そう言っても、あるいはその変数群の数値を(数字では読みきれないので図化して)示しても、人は、それで答えになっていると思ってくれないだろう。

ある日の横浜の「暑さ」の原因が問われるとすれば、それは横浜の気温が特定の値(たとえば30℃)をとった原因ではなく、(その季節の)平常とみなされる範囲から上にはずれた原因だろう。

そこで、なんらかの約束に従って平常の範囲を決め、過去に(同じ季節に)横浜で異常に暑かった日の例を多数抜き出すことができたとしよう。そして、探索的研究によって(架空の話だが、たとえば)横浜で暑かった日の4日前には沖縄南方海上で水蒸気量(空気に対する水蒸気の比率、学術用語では「比湿」)が高いことが多い、ということがわかり、一貫した基準によって抜き出されたサンプルによる統計的研究によって裏づけられたとしよう。ここで得られた関係は時間のずれはあるが相関関係であって因果関係ではない。沖縄南方海上の水蒸気が多いことは、4日後の横浜の気温が高いことの「前兆」とは言えるかもしれない(経験的予報には役立つかもしれない)が、「原因」だと言うには根拠が薄弱すぎる。原因は別にあって、それが沖縄南方海上の水蒸気量と横浜の気温との両方に影響をおよぼしているかもしれないのだ。

現実に4日前にさかのぼって沖縄南方海上の水蒸気量を変えることはできないが、気象モデルの世界の中では変えることができる。現実に横浜が暑かった日の4日前の水蒸気量の分布を、沖縄南方海上だけ平常なみに変えて初期条件として与え、実験的な予報計算をして、横浜の気温が平常なみになれば、沖縄南方海上の水蒸気量が横浜の暑さの「原因」であるという仮説への確信度がいくらか高まる。多数例の実験的予報計算で共通の特徴が出てくれば、確信度はしだいに高まっていく。(しかし、わたしの主観的な考えだが、この「原因」は根本原因ではなさそうで、長い因果連鎖の中間項のひとつなのだろうと思う。)