macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

地球環境問題解決に向けて期待される、専門知識をもつ人の役割 (STS学会予稿)

【科学技術社会論(STS)学会2013年大会(11月16-17日)の講演予稿。(学会に提出した予稿に含まれないリンクを追加する。)】

人間社会は自律性をもったシステムだが、物質・エネルギーの流れに関する限り地球環境システムの内にある。人間社会は各地の環境を制約条件としそれに適応して発達してきた。人間活動が環境を改変し、それによる制約条件の変化が人間社会にとっての困難をもたらすことがある。これが環境問題である。環境問題はさまざまな空間スケールで起こるが、「地球環境問題」はそのうち全地球規模のものである。原因がどこにあっても影響が地球全体に及び、逃げ場がないのが特徴である。

地球環境問題のうちで最初に明確になったオゾン層破壊は、特定の産業が生産物を変更することによって原因を抑制できた。次に現われた地球温暖化は同様な形での解決が困難な課題だ。原因物質の排出は社会のすべての部門でのエネルギー利用にかかわる。そしてエネルギー利用量の増加なしの経済成長は不可能ではないとしても困難である。地球温暖化問題への対処は、環境政策にとどまらず、エネルギー政策、さらには産業・経済政策にかかわる課題である。

環境問題にはさまざまな因果関係がからんでおり、その理解には科学的探究が有用だが、科学によって解明しつくせる見通しはない。また環境問題への対処に関する社会的意志決定には科学的知見だけでなく価値判断が必要になる。Weinbergのいうtrans-scienceあるいはRavetzのいうpost-normal scienceのようなとらえかたが必要な状況である。

ローカルな環境問題の場合は、社会的意志決定の基本的枠組みは地域住民による民主主義であり、科学はその枠の中で役割を割り当てられる、というように単純化して考えることができるかもしれない(将来世代の立場をどう反映するかという問題は残るが)。
ところが、化石燃料の利用が気候を変化させ人間活動に困難をもたらすという見通しは、ローカルな環境問題の合計ではなく、物理・化学の理論的知見をグローバルな地球環境に適用することによって得られたものだ。この課題を理解し解決策を考えるうえで科学は不可欠な役割を持っている。

他方、地球環境問題の原因の抑制には世界規模の協調行動が必要であり、現在の世界秩序のもとでは多国間国際交渉による意志決定が必要である。そのためには国家の政治権力を動かさなければならない。政治権力に科学的合理性に反しない政策をとらせることは、科学者として発言することあるいは反体制的立場で運動することだけではおそらく不可能であり、科学的知見を持った人が政治権力に接近する必要がある。ここには科学が持つべき不偏不党性をそこなう危険がある。

IPCC (気候変動に関する政府間パネル)は科学と政策の界面を構成する巧妙なしくみである(Miller, 2004)。IPCCは気候変動枠組み条約締約国会議の政治的意志決定に直接関与せず、政策に関連する意義をもつが政策を拘束しない助言を行なう。IPCCの評価報告書(assessment reports)は、各専門分野の科学者から選ばれた執筆者が既に公開された文献を評価して原稿を作成し、査読を受けたあと、各国政府代表の承認を受けて完成される。

この制度のもとで、関連分野の科学者の役割は次の3つに分けられる。

  • a. 科学的知識の生産 (多数の科学者。自主的な研究と政策的に推進された研究事業とを含む)
  • b. 科学的知識のアセスメント・総合 (IPCCや国内の評価報告書の執筆者)
  • c. 政策決定者への直接の助言 (たとえば枠組み条約締約国会議政府代表団に加わる専門家)

現在、地球温暖化に対処する政策(原因の抑制と避けられない変化への適応を含む)の必要性は、日本を含む多くの国の為政者に抽象的には認められていると思われる。しかし具体的政策の進展は遅い。科学と政策のかかわりという側面からは、次のような面で改善の可能性があると思われる。

第1に、少なくとも福島第一原子力発電所事故以後の日本では、エネルギー政策の国民的議論の必要性は認識されているが、それは放射性物質のリスクと電力供給不足のリスクの対立としてとらえられがちであった。地球温暖化のリスクをもあわせて考えるように変えていく必要がある。そのためには、熟議を行なう市民の問いに答えて気候に関する専門的知見を説明できる人が必要である。

第2に、IPCCを含む体制に批判的な人々によるブログなどに、IPCC報告書の結論を支える個別の研究論文の批判をする活動が見られる。Ravetzは「拡大されたpeer review」の例として意義を認めるが、専門家・批判者それぞれの同僚コミュニティの間に分断がある。批判者コミュニティの知識は、Collins and Evans (2007)のいう「専門的暗黙知(specialist tacit knowledge)を欠いた一次情報による知識(primary source knowledge)」であり、専門家が使う用語の意味をとりちがえていることがある。

第3に、社会が科学に研究の資源を提供する際には知識生産への期待がある。とくに、気候変化に対する適応策を考えるためには、ローカルな気候が将来どうなるかの見通しがほしい。しかしそれは科学にとってはむずかしい問いである。具体的な研究活動の課題をたてる段階で、社会が科学に期待することと科学ができることのマッチングが必要である。これは、ICSU (世界科学会議)が推進しようとしている国際共同研究プログラム「Future Earth」の初期設計報告書で強調されているのと同じ、研究者とステークホルダーによる研究の協働設計(co-design)の課題とも言える。
第4に、地球環境問題の研究者のうちには学術の専門分科間の学際性を持った人は多く育っているが、学術界とその外の社会との相互作用のために働ける人がまだ少ない。いったん地球環境問題を離れて専門分科のひとつである気象学に話題を転じるが、福島原子力事故の放射性物質の大気による輸送の問題について日本の気象のコミュニティが消極的対応しかできなかったこと(佐藤 2013 参照)は構成員として痛恨事である。気象予報士という一種の科学コミュニケーターのしくみをもっていたにもかかわらず、それが対応できる対象は気象庁の業務に限られていた。行政の縦割りと科学の専門分化とが重なって「村」構造をつくっていたと言えるだろう。気象の専門知識をもちながら「気象村」の利害や慣習にとらわれないコミュニケーターがいるべきだったのだ。

このような状況では、各専門の知識について専門外の人とコミュニケートできる能力(Collins and Evansのいう相互作用的専門性 = interactional expertise)をもつが、専門家集団の利害をともにしない人が必要である。これからの専門教育や専門職の業績評価にあたっては、ひとつの専門内で知識を生産する能力よりもむしろ、複数の専門の用語体系を理解し運用できる能力を重視すべきだと考える。各専門分科は、その用語体系を理解するための例題(本来の意味のparadigm)をもっと明確に提供するとともに、修士レベルの教育に他の専門をもつ人をもっと積極的に迎えるべきであろう。

文献

  • H. Collins and R. Evans, 2007: Rethinking Expertise. University of Chicago Press. [読書ノート]
  • C.A. Miller, 2004: Climate science and the making of a global political order. States of Knowledge: the co-production of science and social order (S. Jasanoff ed., Routledge), 46-66.
  • 佐藤 康雄, 2013: 放射能拡散予測システムSPEEDI なぜ活かされなかったか。東洋書店。[読書メモ]

キーワード: 政策と科学の界面、研究の協働設計、相互作用的専門性