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地球環境問題解決に向けて期待される、専門知識をもつ人の役割 (序論)

科学技術社会論(STS)学会の2013年大会は11月16-17日に東京工業大学大岡山キャンパスで開かれる。その講演しめきりは8月9日だった。そこでは400字以内の要旨を出し、9月2日までに2ページの予稿を出すことになっている。

わたしは「地球環境問題解決に向けて期待される、専門知識をもつ人の役割」という表題の一般講演を申しこんだ。

これまで2回出席した経験によれば、一般講演セッションは学術研究発表が期待されていると思うのだが、わたしのはどちらかというと意見を述べる演説のようなものになってしまう。学部の授業の教材に含めてはずかしくない程度の学術的調べものはできているつもりだが、社会科学や人文学のオリジナル論文になる質の仕事はわたしにはできないかもしれない。それでも、(自然科学者として働いているという自信がなくなっているが、ともかく)自然科学の現場に身を置いている者がその知見をSTSに提供する意義はあると思っている。

今回話そうと思っていることは実は2つある。地球環境問題を考慮に入れた政策決定に向けて科学者はどのような役割をしたらよいだろうか、ということと、専門家養成の考えかたを変えるべきではないか、ということだ。しかし、この学会には1回の一般講演はひとつという制限があるし、わたしにとって2つの主張にはつながりがあるので、どちらか一方にしないで、両方を書きこんだ要旨を出してしまった。短い中にたくさんの論点があるのでわかりにくいが、予稿ではもう少し整理したうえでそれぞれを展開しようと思う。

地球環境問題は環境政策だけでなく国の政策全体の変革をせまる。とくにエネルギー政策は、再生可能エネルギーへの転換が急には進まないので、原子力、地球温暖化、経済縮小のリスクの競合状況で考える必要がある。
気候変化に関して、科学者は、科学的知識の生産、科学的知見を総合するアセスメント報告の作成、政策決定者への直接の助言、の3つの違った役割をしてきた。
今後はそれに加えて、国民的議論への知見の提供と、社会が科学に期待することと科学ができることのマッチングが必要である。
この状況で、各専門の知識を専門外の人に提供できる能力をもつが、専門家集団の利害をともにしない人が、ますます必要である。
専門教育や専門職の業績評価にあたっては、ひとつの専門内で知識を生産する能力よりもむしろ、複数の専門の用語体系を理解し相互の翻訳ができる能力を重視すべきだと考える。

キーワード: 政策と科学の界面、研究の協働設計、相互作用的専門性

キーワードには要旨の文中にない表現を含めてしまった。「協働設計」は「co-design」で、別に紹介しようと思っている地球環境研究の国際的枠組みづくりのキーワードのひとつになっている。要旨では「マッチング」としたところに対応する。「相互作用的専門性」はCollins and Evans {読書ノート]のいう「interactional expertise」だ。この概念は短く表現したいので、わたしは「通門性」とするとよいと思っているのだが、ひとまずひとが使っていることばを使うしかない。

これから少しずつ議論を深めていきたいと思う。

きょうは、ここでいう地球環境問題とは何か。なぜわたしは森羅万象のうちでそれを課題として切り出すのか、を述べる。

環境問題はローカルからグローバルまでいろいろなものがある。分類できるというよりは、連続分布すると考えたほうがよさそうだ。わたしのいう「地球環境問題」はそのうちのグローバル側の半分ぐらいをさしているつもりだ。地球温暖化問題はそのひとつの代表ではあるが、全部ではない。

ローカルな環境問題は、科学の出番はあると思うのだが、極論すれば、その地域社会の意志決定の問題ととらえることができる。(その中に、人権も、利害対立も、伝統的価値観と近代的価値観の問題も含める必要があると思うが。)

ところが、グローバルな環境問題のうちには、ローカルな環境問題の合計としては認識できないものがある。空間的または時間的に個人が直接経験できないスケールについて、科学があったから認識できた問題があるのだ。社会的意志決定に対する科学の役割を無視すれば、それはない問題とされてしまう。科学的知識を持った人は、それでは納得できず、科学が社会的意志決定のなかでなんらかの役割を果たすことを要求する。しかし、科学が社会の期待どおりの形の知識(たとえば予測)を提供できるわけではない。不確かな科学的知識のもとでの社会的意志決定という課題になる。

人間社会は、ローカルな問題にもグローバルな問題にも取り組む必要があると思う。しかしとくにグローバルな問題の場合に、科学と社会的意志決定とのかかわりが必要になる。そして、わたしはたまたま、そこで起きる問題を整理するのに役だつ知識の断片をもっており、ほかの人のもつ断片とうまく組み合わせることによって、社会がよりよい対応をすることに貢献できると思うのだ。