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政策への助言者としての学者、とくに学術会議の役割

2013年8月7日、学術会議で開かれた「学術フォーラム『社会の中の、社会のための科学技術イノベーションの推進』」に出席した。総合科学技術会議、学術会議、科学技術振興機構の研究開発戦略センター(CRDS)の共催であり、会議の情報はこのウェブサイトにある。http://www.d-wks.net/crds130807/ http://www.jst.go.jp/crds/sympo/20130807/index.html 【2015-03-21 リンク先変更】

そういう設定だから当然と思われる内容ではあったが、「学術会議のシンポジウム」として考えるととても不満を感じる問題設定だった。会議には討論の時間があったが、こういう行事ではいつものことながら、主催者側で想定した発言者以外の人からの発言にあてられる時間は、発言したい人の合計よりもだいぶ少ない。だからわたしはその場で発言できなかったことにはとくに不満ではないが、考えたことを世に出しておきたいと思った。翌朝にTwitterに書いたことを、ばらばらな小段落があるだけで筋のとおった文章になっていないが、ここにも出しておく。

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科学技術政策に関して、学術会議が総合科学技術会議と「車の両輪」のように働くべき局面はあると思う。しかし、いつもそれではいけないのだと思う。

総合科学技術会議は現在ならば安倍総理大臣がその政策を推進するための諮問機関だ。学術会議は、組織上は内閣府の下にある国の機関だけれども、政権が交代しても変わらないような学術的考察に基づいて、政権への助言を行なうことが任務だ。

20世紀後半ずっとそうなのだが、とくに現政権は、「経済成長」を政策目標として重視する。他方、経済成長に関する学術的考察からは、エネルギー資源消費量の増加なしの経済成長は非常に困難である。学術会議としては、経済成長を必須としない政策シナリオももつべきだ。

また、学術会議は、科学技術政策にとどまらず、国の政策全般に対して、学術的知見に基づいた助言をする役割があるはずだ。産業政策、環境政策出入国管理政策などは、もちろん科学技術政策との関係もあるけれども、その側面にとらわれずに正面から考察して提言するべきだ。

国の機関である学術会議のできる仕事の規模は限られている。その外に自主的組織が必要だ。科学技術推進を主題としたアメリカのAAASのようなものもあってよいと思うが、むしろ、政策のための科学(科学技術政策のための科学ではない!)を考えるフォーラムがほしいと思う。

ここでいう科学は自然科学に限らない。むしろ「学術」と書いたほうがよかったかもしれない。社会科学・人文学が扱ってきた主題群のほうが多い。ただし自然科学的発想をも持ちこむ必要があると思う。たとえばJ, kg, bitなどの単位で考える経済学。