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縄文海進

【これまで、古気候の話題を便宜上「気象むらの方言」のカテゴリーで扱ってきた。[2012-04-24の記事「氷河時代、氷期、小氷期」][2013-04-22の記事「最終氷期、『ウルム氷期』(?)」] 今回の話題もそれと関係あるのだが、古気候よりも広い古環境の話題なのと、古環境の専門家が使う意味をひとつ説明するだけではすまず、意味の多様性を説明する必要があるので、「バベルの塔の職人長屋」のカテゴリーに入れることにする。】

「縄文海進」というものがときどき話題になる。地球温暖化の話題で比較対象とされるようだ。それに関する専門家による説明は、日本第四紀学会のウェブサイトhttp://quaternary.jp の「Q & A」の中の「縄文海進の原因について」http://quaternary.jp/QA/answer/ans010.html というページにある。(前にはwwwsoc.nii.ac.jpの下にあったが、国立情報学研究所が学会のウェブサイト提供をやめたので移動した。) しかし、もう少し問題を分解して説明しないとわかりにくいかもしれない。

海進・海退という表現は、次のような複数の意味づけができる。

  • (1) 地図のような水平分布で海陸分布を見たときに、海の領域が広がるか狭まるか。
  • (2) 各地でローカルに陸に対して海水面が上がるか下がるか。(陸のほうが動くと考えれば「沈降・隆起」と表現される。)
  • (3) 全地球平均で陸に対して海水面が上がるか下がるか。

また、「海進」の時期とは海の領域が広い状態にある時期なのか、広がるという動きのある時期なのかという問題もある。ここでは、必要なときには前者を「海進の状態にある」、後者を「海進が進行している」のように区別することにする。

7千年前ごろの日本列島の多くの地域で、(1)あるいは(2)の意味で、現在と比べて「海進」の状態にあったことは事実と言ってよい。

しかし、(3)の意味では、1980年代以後の研究によって、当時の全地球平均の海水面は現在よりもやや低く、南極氷床の氷の量が現在よりもやや多かったと考えられている。約2万年前から現在までの時期全体を(速さは一定ではないが)海水面が上がり続けているという意味で「海進が進行した時期」と言うことはできるし、約1万年前から現在を大まかに「海進の状態の時期」と言うこともできるが、そのうちの今から7千年前は現在に比べて「海進の状態の時期」ではない。

海水面変動の原因を、(3)のほうから考えていく。(ここで「変動」と「変化」という用語は意味を区別しないで使っている。)

  • (3) 全地球平均の海水面変動は、海水の総体積の変動に対応すると考えられる。(海底のほうが変形して海水全体が押し上げられたり下がったりすることも考えられ、数千万年以上の時間スケールを考える場合には無視できないだろうが、数十万年ぐらいまでの全地球平均では相対的に無視できると思う。)
    • 海水の体積の変化の一部は、海水の温度と塩分の変化による密度の変化である。基本的には熱膨張と考えてよい。(淡水と違って、海水程度に塩分を含んだ水では、氷点付近の温度での密度と温度の関係の逆転はない。) 温度が高いほど体積が大きいので海水面を上げることになる。
    • 海水の体積の変化の一部は、海水の質量の変化である。数十万年ぐらいまでの時間スケールでは地球表層のH2Oの総質量は一定とみなすことができ、雪氷が多いときにそのぶんだけ海水が少ない。ここで問題になる雪氷の主要な部分は陸上の氷河(大陸氷床と山岳氷河を含む)である。大まかに見ればこの要因も温度が高いほど海水面が高いことになるが、温度と氷河の質量との関係は単純でない。
  • (2) ローカルな海水面変動には、(3)に加えて、次の要因がある。
    • 地殻変動 (隆起・沈降)。その大部分は、気候変動とは無関係に、地球内部の原因によって起こる。空間スケール数十kmのうちでも変動の向きや大きさが異なることが多い。
    • (広い意味では地殻変動に含むこともあるが) 海水と雪氷の間の質量の移動に伴ってその重みがかかる地殻の下のマントル上部が変形することによる上下動。雪氷の重みによるものを氷河性アイソスタシー glacial isostacy、海水の重みによるものをハイドロアイソスタシー hydro-isostacyと呼ぶことが多い。(アイソスタシー isostacy という用語は本来は重みにつりあって安定した状態をさすのだが、それに向かう変化をもさすように意味が拡張されている。) これには遅れがある。たとえば、約1万年前まで氷床に覆われていたスカンジナビアは今も隆起(陸を基準としてみれば海退)が続いている。
    • 地盤沈下地殻変動と区別した意味では、地層の圧密によって地面が下がること(陸を基準としてみれば海進)をさす。人間による地下水のくみ上げによって進行した。それより遅いプロセスだが自然にもある。
    • 海洋循環の変動に伴う海水面変動。海水面の高さと流れとは、数日以上の時間スケールで、ほぼ地衡流の関係(大気の場合の地衡風と同様、[2012-06-12の記事参照])にある。たとえば、北半球で上から見て時計まわりの循環が強まればその中央付近の水面が高く、周辺が低くなる。
  • (1) 水平的に見て海の領域が広がるか狭まるかには、(2)に加えて、次の要因がある。
    • 川による土砂の侵食・運搬・堆積。この活動が活発ならば、河口付近では陸の領域が広がる(海退となる)。
    • 海水の運動(沿岸流)による土砂の侵食・運搬・堆積。とくにこのうち侵食が活発なところでは、海の領域が広がる(海進となる)。

縄文海進では、(2)のうちのハイドロアイソスタシーの効果が重要だと考えられている。1万年前ごろには北アメリカとヨーロッパの氷床はすでに大部分とけていたが、その質量の移動に対してマントル上部はまだ充分応答していなかった。そこで、氷床から遠いところのうち日本付近では、海底があまり上昇下降しないのに海水の量がふえて、海面が上昇したと考えられる。

それに加えて、当時と今の海岸線の位置の違いには、(1)で述べた侵食・堆積、とくに(縄文海進と呼ばれる時期よりもあとに)川が運んだ土砂によって平野が拡大した((1)の観点での海退の進行に寄与した)ことが効いている。

なお、縄文海進の時期は気候が温暖な時期でもあったと言われる。これも場所によって一様ではないが、日本列島のスケールで大局的に見て温暖期だったとは言えると思う(ただしわたしは証拠を直接確認していない)。地球全体で総合するのは、証拠が残っていない地域もあるのでむずかしいが、理屈のほうから北半球規模で温暖だったと期待され、証拠もそれとつじつまが合うようだ。南半球まで含めた全地球では、たぶん、北半球の特徴が薄められながらも効いて、やや温暖だったと考えられる。(ただし、推定される平均温度の現在との差は、二酸化炭素濃度倍増の結果として予想される規模よりも小さい。)

理屈というのは、地球の公転と自転の関係による、緯度別・季節別の地球に達する太陽放射エネルギーの変化による説明だ。約1万年前には、地球の公転軌道の近日点が北半球の夏にあったので、北半球の夏の日射量が現在よりも多かった。北半球の冬の日射量は逆に少なかったのだが、雪氷を含む気候システムが夏の日射量に敏感だとすれば、年間を通じた平均気温を上げる要因になりうる。なお、温度の極大が夏の日射量の極大よりも数千年遅れたことについては、1万年前にはまだ氷床が一部残っていたので地球全体で見ても太陽光反射率(アルベド)がやや高かったことで説明できる。

さらに、ローカルな気候の変化には、全地球規模の気候の変化以外の要因もある。たとえば、上でふれた日本第四紀学会のウェブ記事では、日本で約7千年前に温暖だった要因として、黒潮の流路の変化をあげている。海流がエネルギー(熱)を運ぶのでその下流の海面水温が高くなり、それが大気にエネルギーを与えるので気温が高くなるということだと思う。(海面変動の要因として(2)のうちにあげた海流の件とは別の因果関係である。)

まとめると、縄文海進期は、日本列島スケールでは海進期とも温暖期とも言えるし、北半球スケールで温暖期とも言えるが、北半球あるいは全地球スケールの海進期ではない。この時期の日本についての知見を単純に使って温度と海水位を関係づけて将来を予想することはできない。