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インフラとinfra

「インフラ」あるいは「社会インフラ」という表現を見聞きすることが多くなった。これのもとは英語のinfrastructureあるいはそれと同じ起源の西洋語にちがいない。ラテン語の前置詞に由来する英語の接頭語を名詞として使うのは、わたしにはどうにも気持ちが悪い。かといって「インフラストラクチャ」は(工学者流に長音を省略したのだが、それでも)毎回使うには長すぎる。Infrastructureの直訳としては「下部構造」が考えられるがこの日本語はマルクス主義との連想が強すぎる(わたしはマルクス主義に賛成しないものの、生産力と生産様式が重要であるという考えは今も大事だと思うのだが)。「基盤」は「インフラ」の意図するのと同じ対象をさすこともできると思うが、さらに意味の広いことばなので、識別の役にたたないことがある。もうあきらめて、2010年代の日本語には「インフラ」という単語があると認めて使うしかないかもしれない。

「インフラ」ということばの使われる文脈はいろいろあるが、ここでは、工業化以後の現代社会を支える、個人に比べてかなり大きなしくみをさしている。物体(ハードウェア)とそれを運用する方法(ソフトウェア)が組み合わさったものだ。たとえば、電力供給網、(コンピュータ通信の)インターネットは、(運営する会社別に分けないで)それぞれひとまとまりの「インフラ」として認識することができる。

このような言いかたはいつごろからあるのだろうか。すぐには確認できないでいる。

  • 1995年の阪神大震災直後ごろに話題になった用語は「ライフライン」であったという記憶がある。これは今の「インフラ」と同じではないがかなり重なる。
  • 1990年代から日本の多くの大学の土木工学のコースが「社会基盤工学」あるいは「社会基盤学」に名まえを変えている。ただし英語ではcivil engineeringのままである。したがってこれは「インフラ」という用語には直結しない。なお、この改称は、「土木」を否定したわけではなく、「土木」あるいはcivil engineeringの概念を現代日本社会の中で伝えるのに適した用語を選んだという趣旨らしい。
  • アメリカ合衆国で、インターネットが研究者だけのものから社会全体のものに変わったことには、Al Gore Jr.上院議員(のち副大統領)が提案し1991年に成立したHigh Performance Computing Actに基づいてNational Information Infrastructureの名のもとに行なわれた政策の働きが大きかった。(今の日本でNIIというと国立情報学研究所だが、このIはどちらもinfrastructureではないので、そこまで話を広げないことにしたい。)
  • 社会科学者や歴史家の間で、社会のinfrastructureという概念が発達してきた。わたしが知ったのは、Edwards (2010)の本の、世界各国の気象庁などが気象観測データを交換・共有するしくみを国際的なinfrastructureとして論じている議論だった。この本の参考文献の議論をさかのぼれば、この概念の発達の過程をたどれそうだが、わたしは今のところEdwards氏の講演[2012年12月17日の記事]で参照されていたEdwardsほか(2007)の報告をざっと見たところまでだ。

日本での「インフラ」の議論は、土木関係者が使っている場合は、道路や鉄道などの交通施設、上下水道、河川や海岸の堤防などの設備に限られている場合が多いと思う。電力やガスの供給網、放送や通信ネットワークをさす場合もある。さらに、医療や学校教育などに関する公的なしくみなども含める場合もあるのだが、それは広げすぎと考える人もいるだろう。科学研究に関しては、多くの研究者が使う共同利用の設備やデータベースなどがインフラとして扱われることがある。

文献

  • Paul N. Edwards, 2010: A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming. Cambridge MA USA: MIT Press, 517 pp. ISBN 978-0-262-01392-5. [読書ノート]
  • Paul N. Edwards, Steven J. Jackson, Geoffrey C. Bowker, and Cory P. Knobel, 2007: Understanding Infrastructure: Dynamics, Tensions, and Design (Report of a Workshop on “History & Theory of Infrastructure: Lessons for New Scientific Cyberinfrastructures”). NSF Grant 0630263. (Edwardsの論文などの著作一覧のページhttp://pne.people.si.umich.edu/articles.html からリンクされてPDFファイルがある。)

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ところで、この「インフラ」に出会うまで、わたしが使っていたinfraということばは「赤外(線)」を意味するinfra-redだけだった。どちらかといえばinfraredと続けて書かれることが多いのだが、それではわたしはいつも一瞬infrareという動詞の過去分詞かと思ってしまう。(しかし、ハイフンを入れることには、検索で見つからなくなるかもしれないという欠点がある。) 気象学の専門文献でそれが主題になる場合は最初以外はIRと略されることが多い。日本語では「赤外」と「紫外」は同じ「外」を使うが、英語では「infra-red」「ultra-violet」で「赤よりも下」「紫よりも上」と区別されている。語源が何の上下だったのかは知らないが、振動数(周波数)が低い・高いということなのかもしれない。

同様に音波についても、耳に聞こえるよりも振動数の低い「低周波音」はinfrasound (形容詞infrasonic)で、振動数の高い「超音波」ultrasound, ultrasonicと対比される。(ただしultrasonicとsupersonic「超音速」との使い分けの根拠は論理的にはよくわからない。なりゆきなのだろう。)