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持続可能性を考えた産業社会の見なおし (3) 情報・通信

今の情報処理先進国では、莫大な情報が通信され処理されている。そのうちには確かに人々の生活に役立っているものもあると思う。しかしその情報処理のために電力や半導体をはじめとして多くの資源を消費している。情報量あたりで必要な資源量が少なくなるような技術革新は進んでいるが、それにも限界はあるだろう。世界じゅうの社会が、先進国に追いついて、さらにふえ続ける情報量を処理するようになることは、持続可能性と両立するだろうか。

最近の日本の災害のとき、インターネットやその他の情報通信は、問題を起こす側になったこともあったが、役にたったことも確かだ。世界じゅうの社会が災害に強くなるために情報処理技術を普及させるのが望ましいだろう。しかし、利用可能なエネルギー資源の制約もあり、お金の制約もあるところで、情報処理先進国にあるものをまるごと取り入れるのは現実的ではないだろう。選択が必要なのだ。災害のときだけでなく、平時の知識の共有・蓄積にも役立つ技術であるべきだ。

通信機能としては文字による携帯メールのようなもの(多くの国ではSMSと呼ばれている)が最優先、次が電話だろう。その次になるが、画像表示もほしい。地図の情報は文字や電話ではとても伝えにくい。数量もグラフで伝えたいことがある。また、携帯通信機での文章を書く機能は短いメールに限ったものになるかもしれないが、もう少し大きなノートパソコン程度で本格的な文章を書けるものも普及してほしい。これまでの情報処理先進国では必ずしも進まなかったことだが、これからは情報量が増加しても紙の消費がふえないように、一般の人々が電子文書を読み書きすることがふつうになるべきなのだ。

考えてみれば日本ではこういった基本的な機能は1985年ごろには実現していたのだ。ただし当時の画像表示は640×400(または480)画素、8色か16色といったものだった。動画は困難だったが、かろうじてコマ送りや紙しばいのようなものはできた。まずはこのレベルの情報量を世界のだれでも扱えることをめざしたらどうだろうか。

もちろん通信技術は当時のアナログモデムでは電話回線や電波のむだつかいになってしまうので、その後のディジタル技術をうまく使うことが必要だ。情報処理装置も、新しい技術を使って情報量あたりのエネルギー消費を少なくするべきだ。しかし、情報の量をふやすことには禁欲的な態度をとって、エネルギー消費の総量も少なくするのだ。とくに、動きがなめらかな動画や、精細な画像は、広く普及する装置で扱うことはあきらめ、必要なときはおおぜいの人が集まる施設に置かれる特別な装置で読み書きすることを考えたほうがよいと思う。

これを遅れて発達する国への差別にはしたくない。日本のような国でも、情報量が巨大にならないようにくふうしたネットワークを整備して、世界と交換できる知識をたくわえるようにしたらよいと思う。WWW (world-wide web)の部分集合として、LWW (light-weight web)を作るようなことを考えたい。

小さな電力をどう得るか

情報処理には電力が必要だ。しかし、パソコンや携帯通信機を動かすのに必要な電力は、自動車などに比べればだいぶ小さくてすむだろう。

2008年初めに、アメリカのNPOが、貧しい国の教育の改善のために子どもに持たせるノートパソコンの開発をしているニュースと解説(阿部, 2008)を見た。このパソコンは、機能を限って電力消費が少ない設計になっていたにちがいないのだが、手回し発電でも充電できるようになっていた。言われてみれば、人力発電はオプションとしてまじめに考えたほうがよいのではないだろうか。わたしは手回し発電をする気は起きないが足踏みならばしてもよいと思う(子どものころ足踏みリードオルガンにふれたことを思い出す)。貧しい国には歩き疲れている人も多いだろうから足踏みがいつもよいとは限らないだろう。もちろん、太陽電池などが使えるときには、人力は単純労働ではなくもっと賢い作業に使ったほうがよい。

圧電素子や熱電素子の技術開発を進めている人たちもいる。環境中にありふれた振動や温度差(自然起源にせよ人為起源にせよ)から電力を取り出せるのはありがたいことだ。ただしこれは、エネルギー資源問題の本体である工業や輸送のエネルギー源としてはまるで役にたたない。大量データを扱う情報サーバーの運転もできないだろう。しかし、ここで考えているような節約型のパソコンや携帯通信機のためにはちょうどよいだろう。そういう意味で、エネルギー技術開発の主流ではないのだが、ぜひ発達させてほしい技術だ。ただし、普及には、材料物質の資源が希少でなく、環境に出して無害または完全リサイクル可能であることも条件となる。

文献

  • Jeffrey JAMES, 2003: Bridging the Global Digital Divide. Cheltenham UK: Edward Elgar. [読書ノート]
  • 阿部 和広, 2008: 100ドルノートPC「XO」徹底解剖。 Software Design, 2008年3月号, 80 -- 89. (わたしは上のJamesの本の読書ノートでついでにふれた。)