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「安全・安心」論に関する覚え書き

国の政策目標という文脈で「安全・安心」をひとまとめに論じるのを聞いたのはいつごろからだったかよく覚えていないが、2000年以後だったと思う。わたしにとってこれは気持ちが悪い。自分では安全と安心とは区別するようにしてきた(というよりも実際は「安心」を論じてこなかった)。

この問題に関するわたしの暫定的な考えを書いておく。

安全と安心とは関係はあるが、安全は客観的に扱うことが可能なことがら、安心は主観的な状態であって、一方をめざす方策と他方をめざす方策とはときには対立するものだと思う。完全な安全を約束することはできないが、事故が起こる確率をできるだけ減らすことや、もし事故が起きた場合に被害が小さくなる策をとっておくことは、客観的な安全対策と言えると思う。他方、政府は市民に安心を与えることはできない。しかし、市民にとって、政府その他の行為者が「信頼できる」ことが安心を高める要因であるとは言えると思う。しかし、安心にかかわる政策は信頼確保だけでもないと思う。安心には心理的要素も確かにある。政府が市民の心理を操作することとの境目が厳密につけられないのでたいへんむずかしいのだが、世間に(実体のある安全への心配よりも大きな)不安感が広がっているとき、その不安感をしずめるような社会心理的策をとることを、政府の立場で進めるべき場合もあるのだろうと思う。

この問題はもっとよく考える必要があると思うが、ひとまず背景として日本政府によるこの用語の使いかたをおさえておくための覚え書きを残しておく。

===== 最近のTwitterより =====
8月11日、Togetterでkaritoshi2011さんがまとめた「安全・安心」に関する平川秀幸氏と島薗進氏の対話を見た。島薗さんの発言は、同じkaritoshiさんによる加藤尚武『災害論―安全性工学への疑問』第4章「「安全」と「安心」の底にあるもの」(1)から続いている。

この中で平川さんは、現代日本の体制にある「安全・安心」論の特徴を次のようにまとめている。

科学的・工学的処理に還元できないリスク問題の次元(所謂トランスサイエンス)をデモクラシーの回路に付すのではなく、リスコミに関する心理学や技法、リテラシー啓蒙による「人心操作」というテクノクラティックな操作主義で置き換えてしまう発想

わたしは「安全・安心」論を全部この観点で見ることには賛成しないが、この観点があてはまる場合が多いことは認める。

また平川さんによれば、日本政府の政策文書で「安全・安心」論が出てきたのは、1992年の国民生活審議会答申『ゆとり,安心,多様性のある国民生活を実現するための基本的な方策について』からだという。ただしこの文書にはまだ操作主義的意図は見られない。

島薗さんによれば、高木仁三郎原発事故はなぜくりかえすのか』が、1996年の『原子力安全白書』がこの種の議論の始まりと言っているそうだ。平川さんも、1995年に、イギリスのBSE問題などを受けて科学技術の役割の見なおしがあったとき、イギリスとはまた違った日本の対応形態として出てきたと考えている。

Togetterにまとめられたあとの8月11日19:29のtweetで島薗さんは、木下冨雄氏の2011年10月のプレゼンテーション「リスク学から見た安全と安心」を参照している。その「安全と安心がなぜブームになったか」のページには、「学問的には1998年の科学技術技術会議の提言」とある。これに答えて22:25に平川さんは、1998年の文書そのものはわからないが、1998年から議論が始まって2000年3月に答申された諮問第26号答申「科学技術基本計画について」に「安心・安全で快適な生活ができる国」があることを指摘している。この答申は第2期科学技術基本計画の材料になったものだ。

===== 科学技術基本計画にみる「安心」=====
そこで、科学技術基本計画の本文での「安心」という用語の出現をひととおり見てみた。
(内閣府の科学技術基本計画のページ http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/index4.html の中に本文へのリンクがある。)
第1期科学技術基本計画 (1996)
「安心」は「安全」と結びつかず独立して現われる。

  • はじめに
    • 安心して暮らせる潤いのある社会の構築が強く求められている。
  • 第1章 研究開発の推進に関する総合的方針
    • 1. 研究開発推進の基本的方向
      • さらに、生活者のニーズに対応し、安心して暮らせる潤いのある社会を構築するため...

第2期科学技術基本計画 (2001)
http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/honbun.html
「安心・安全」という形である。

  • 2.我が国が目指すべき国の姿と科学技術政策の理念
    • (3) 安心・安全で質の高い生活のできる国の実現に向けて −知による豊かな社会の創生−

第3期科学技術基本計画 (2006)
「理念」のところでは「安心・安全」が一度あるほかは単に「安全」。科学技術を必要とする政策課題のところで「安全・安心」。科学が社会から支持される必要性のところで「安心」が現われる。

  • 第1章 基本理念
    • 3.科学技術政策の理念と政策目標
      • (1)第3期基本計画の理念と政策目標
        • 理念3 健康と安全を守る 〜安心・安全で質の高い生活のできる国の実現に向けて〜
          • 目標6 安全が誇りとなる国 − 世界一安全な国・日本を実現
            • (11) 国土と社会の安全確保
            • (12) 暮らしの安全確保
  • 第2章 科学技術の戦略的重点化
    • 2.政策課題対応型研究開発における重点化
      • (3)「戦略重点科学技術」の選定
        • ○1 近年急速に強まっている社会・国民のニーズ(安全・安心面への不安等)に対し、....
    • 3.分野別推進戦略の策定及び実施に当たり考慮すべき事項
      • (3)戦略重点科学技術に係る横断的な配慮事項
        • ○1 社会的課題を早急に解決するために選定されるもの
          • 本章2.(3)○1 に該当する科学技術は、近年世界的に安全と安心を脅かしている国際テロ、大量破壊兵器の拡散、地震・台風等による大規模自然災害・事故、情報セキュリティに対する脅威、SARS・鳥インフルエンザ等の新興・再興感染症などの社会的な重要課題に対して迅速・的確に解決策を提供するものである。
  • 第4章 社会・国民に支持される科学技術
    • 1.科学技術が及ぼす倫理的・法的・社会的課題への責任ある取組
      • また、国民の安心を得るためには、科学的なリスク評価結果に基づいた社会合意形成活動が重要である。

第4期科学技術基本計画 (2011)
わたしが見つけた限りでは、「安心」が出てくるのは次のところだけで、「安全」と関係して現われるところはない。

  • IV. 基礎研究及び人材育成の強化
    • 3.科学技術を担う人材の育成
      • (1)多様な場で活躍できる人材の育成
        • ○2 「博士課程における進学支援及びキャリアパスの多様化」「優秀な学生が安心して大学院を目指すことができるよう」