潜熱ということばは、エネルギーの概念ができる前の熱素説のなごりなのだが、今も広い意味の物理科学(おもに化学)で使われていることばだと思う。
現代流にいうと、物質の内部エネルギーは、温度によって変化するほかに、同じ物質で、同じ温度でも、固体・液体・気体の「相」による違いがある。厳密ではないが近似としては、温度による部分と相による部分のたしざんとみなすことができる。温度に比例する部分が「顕熱」で、相による部分が「潜熱」だ。(ただし温度にほぼ比例する部分の比例定数つまり「熱容量」は相によって違う。)
もう少し詳しく言うと、現実には体積も変わるので、圧力一定を仮定して体積変化に伴う仕事を考慮に入れた「エンタルピー」で論じたほうがよい。エンタルピーの温度に比例する部分が「顕熱」で、相による部分が「潜熱」だ。
気象学でよく出てくる相変化は水の3相の間の変化だ。水の質量あたりの蒸発の潜熱と呼ばれるのは、水の気相と液相との質量あたりのエンタルピーの差だ。厳密にいうと温度による変化があるが、定数とみなしてしまうことが多い。約2.5×106 J/kgだ。式ではわたしは L と書いているが、小文字のエルを(数字の1と区別できる字体を選んで)使う人もいるし、ギリシャ文字のラムダ(λ)あるいはイオタ(ι)を使う人もいる。水の質量あたりの融解の潜熱も多くの場合定数とみなされる量だが、式での記号は一定しないようだ。ここまでは、気象学の用語も、物理科学共通語に従っていると言ってよいと思う。
ここから方言の話。気象で「顕熱・潜熱」ということばを使う場合の多くは、実は「顕熱フラックス・潜熱フラックス」をさしている。そしてこの「フラックス」は、数量が示される場合はほとんど、「フラックス密度」つまり単位面積・単位時間あたりのエネルギーの流量をさす[別記事参照]。そのうち多くの場合は、地表面付近での大気の細かい運動によるエネルギーの鉛直輸送をさしている。これは熱伝達論でいう「対流」なのだが、気象用語では「対流」ではなく「乱流輸送」(turbulent transport)というのがふつうだ。広い領域で平均した鉛直流はなくても、細かく見れば上昇流・下降流がある。上昇流のほうが下降流よりも高温ならば、顕熱フラックスが正味で上向きになる。上昇流のほうが下降流よりも多くの水蒸気を含んでいれば(比湿[別記事参照]が大きければ)、潜熱フラックスが正味で上向きになる。
【「潜熱・顕熱」をフラックスではなく状態量をさす用語として使う人もいるらしい。空気のもつエンタルピーのうち温度に比例する部分が「顕熱」で相による部分が「潜熱」という意味なのだと思う。わたしはこのような使いかたをどこかで読んだ記憶があるのだがどこだったか思い出せないでいる。】
【[2021-07-02 補足] 大気による南北方向のエネルギー輸送の数量をしめした図にも、「顕熱輸送」と「潜熱輸送」にわけたものがあった。この「潜熱輸送」は、水蒸気の質量の南北方向の移流に、水の質量あたりの蒸発の潜熱 (気相と液相のエンタルピーの差) をかけたものだ。「顕熱輸送」はそれ以外のエネルギー輸送をさすのだが、この用語はうまくない。ほかの用例から類推すると、「顕熱輸送」は空気のエンタルピーのうち温度に比例する部分の移流と思われる。しかし、大気によるエネルギー輸送にはこのほかに位置エネルギーの移流がある。図の「顕熱輸送」が位置エネルギーの移流もふくんでいることは、内容を知っている人にはわかるのだが、用語からはあきらかでない。この量をどうよぶべきか、しろうとにもわかる表現がすぐに出てこないのだが、専門用語としては「乾燥静的エネルギー (dry static energy) の移流」が適切だろう。】