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朝鮮人民に連帯し、すべての核兵器の廃絶をめざす

これは明らかに政治的な主張である。科学者という職種からの発言ではない。もちろん勤務先とは関係ない個人としての発言である。

わたしは「8月は戦争を思い起こす季節」という第2次大戦後日本の文化現象の中で踊らされているにちがいない。ただしわたしはこのように踊る。

戦争を知らないわたしが思い出せる範囲の「昔」の話だが、表題のような主張があったのを思い出した。この主張は今こそ重要だろう。ただし、申しわけないが、わたしはどのように行動してよいのかわからず、このままではこのブログ上で発言するだけで終わる。

わたしが学生だった1970年代後半、大学のキャンパスには「日朝連帯」をかかげる集団がいた。おもな活動は朝鮮大学校との学生どうしの交流だったようだが、アメリカ・日本・「南朝鮮」の軍事同盟に伴うさまざまな活動に抗議していた。とくに当時の韓国の政権は、のちに大統領となったキム・デジュン氏を日本から拉致したほど無法なところがあったから、それを事実上支持している日本の政治を変えなければいけないのではないかという彼らの批判には、わたしから見てももっともだと思われるところがあった。

また、核兵器に反対する活動もあった。不幸なことにそれは分裂していたが、そのひとつは、いわゆる原子力の平和利用に関しても反対するものだった。わたしは核反応の利用を原理的に否定するつもりはないが、ウラン235プルトニウムの利用技術は核兵器技術と切り離せないのでその拡大は阻止するべきだと思う。したがって、核兵器反対運動のうちでもそう主張する集団に賛同した。

さらに、明確な政治的主張をもった集団もあった。そのうちには、マルクス・レーニン主義を学んでそれに基づく政治の実践をしようとするものがあった。わたしは、マルクス・レーニン主義がよい政策をもたらすとは思わないが、資本主義にも未来はないのであり、なんらかの社会主義をめざさなければならないと思う、という立場から、話題によっては彼らに賛同したこともある。

ここに述べた3つの集団は別々のものであり、同一視してはいけないだろう。そのうちひとつには参加するが他のものにはかかわらなかった人も多かったにちがいないのだ。しかし、同じ青インキの謄写版を使っていたところから見て、共通のメンバーもいたにちがいない。

彼らは、北朝鮮核兵器を持ってしまったことをどう思っているだろうか。もし今も核兵器に反対であり、しかも北朝鮮と話ができる立場にあるならば、北朝鮮にも世界から核兵器をなくす動きに加わるように働きかけてくださるとありがたいと思う。