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汚染物質あるいは放射能の輸送シミュレーションによる情報提供のむずかしさ

[2011-04-04追記: これまで「3月21日」を複数回「3月12日」と書きまちがえておりました。まことにすみません。地震の翌日の12日にすでに情報を得ていたわけではありません。本日訂正しました。]

まず、3月21日に菊池誠さんの「Kikulog」の「地震・津波・原発事故に関する信頼できそうな科学情報」の記事へのコメント、現在18番の一部として書いたことを再録します。[2011-03-28補足: これはSPEEDIシステムに限った話ではありません。3月21日の時点ではわたしはSPEEDIの存在を知りませんでした。]

[ここから3月21日に書いた内容] 放射性物質の流れの予測について、シミュレーション計算をする能力のある研究者たちは結果の公開に慎重です。陰謀論者にかかると気象学者が情報を隠していると言われそうですが、そう簡単ではありません。
気象学会 http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/ が学会として何か言うことになるかもしれません。[注(2011-03-31) 学会内の文書という位置づけですが、東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ(PDF)が3月21日に学会のウェブサイトに置かれました。 ]
以下はわたしなりに考えてみた論点です。

  • 一般的な意味で、研究者には情報を利用した先で起こったことに責任をとれない。
  • 今の発生量[2011-03-28補足: これは3月21日現在得られていた発生源に関する情報をさしています]を与えてもあまり社会的意味はなく、将来の発生量はあまりにも不確かなので、発生源を仮想的に与えた計算しかできない。ところが、今の世の中では情報が短縮されて伝わるにちがいなく、その過程で実際の量の予測であるという誤解が起こるにちがいないので、それは避けたい。
  • 物質輸送は移流(流れにともなった移動)と拡散を合わせた形で表現される。シミュレーションで直接表現可能な空間・時間の細かさに限りがあるので、小規模な運動による移流を拡散型に表現することが多い(渦拡散という)。本物の拡散ならば濃度が薄まる(空間的に平均化される)。渦拡散では、仮に同じことが何度もくりかえしたとした場合の平均の濃度は薄まるが、実際に動く小規模な空気塊中の濃度は薄まらない。人のいるところに汚染物質の濃い空気塊が到達する確率が必要ならば、大規模の移流拡散型シミュレーションだけでなく、そこで渦拡散とみなした小規模過程の確率的評価も必要。
  • 移流拡散のシミュレーションは、科学的には、多くの試行を合わせて解釈される。しかし、画像として見て印象がわかりやすいのは個別の試行の中での汚染物質の流れである。特定の試行で特定の場所の濃度が高くなることには科学的意味がないのだが受け手の印象がそれに偏るおそれがある。

これまでによく話題になっている輸送シミュレーションとして、オーストリア気象庁によるもの http://www.zamg.ac.at/aktuell/ (ドイツ語)があり、世界気象機関のページ http://www.wmo.int/pages/mediacentre/news_members/newsfromMembers_en.html (英語)でも紹介されています。これは、CTBT (包括的核実験禁止条約)のための国際的放射線モニター網の参考として常時やっている仕事の一環だそうです。核実験による放射性物質を検出するためには福島から来ているものを区別できる必要があります。それで、福島から仮に一定量の物質が出たらどこでどのくらいの量が検出されるはずであるかを、実際の風のデータ【[2011-04-08補足]とそれを初期値として数値予報(気象シミュレーション)によって得られた風の予測値】を使って計算して示しています。わたしの理解が正確でないかもしれませんが、大筋はこれでよいと思います。(同じページに放射能の観測値の話もあって、まぎらわしいのですが。)

[ここから3月26日に書いた内容] ここで「輸送」あるいは「移流・拡散」のシミュレーションと書いてしまいましたが、放射性同位体の場合、放射性崩壊によって他の同位体に変わっていくので、注目している同位体の量自体が(その場で)減っていく過程が、輸送と重なって進行するわけです。また、物質としては存在していても、地面に接触したり、雨粒に取りこまれたりして、大気から失われるぶんも、大気とともに動く物質のシミュレーションの立場では、その物質の消滅のように扱われます。[2011-03-30補足: しかし、影響評価の立場でも、放射線の観測値を見る立場でも、地上(土壌中など)にある放射性物質も考慮する必要があります。] モデルがそのような過程を表現しているかどうか、またどのような形で表現しているかによって、一見似たシミュレーション結果でも、その意味は大きく変わってきます。

また、上記のオーストリア気象庁CTBTのためにしているシミュレーションは、たとえば日本から出たものが太平洋を横断してアメリカで検出されるかといった、空間スケール1万キロメートルくらいを扱うものなので、空間分解能(表現できる最小空間スケール)は数百キロメートル程度のはずで、それより細かい空間分布は平均化された形で扱われています。他方、このところ話題になっているSPEEDIというシステムによるシミュレーション(日本の文部科学省の委託により原子力安全技術センターが担当しているもの)は、空間スケール百キロメートルくらいのところを空間分解能1キロメートルくらいで扱うものですから、同じ種類の変数を扱っていても、数量の性質はかなり違うものです。

SPEEDIは、本来、原子力発電所の事故のとき周辺の住民が緊急対策をとるためのシミュレーションのシステムでした。ところが今回は、だいぶたってから少しだけ情報が出されたので、国の事業が責任を果たしていないではないかという不満の声が出るのはそれ自体はもっともです。わたしのまわりでも議論がとびかっていますが、わたしにはまだ事情がよく理解できていません。暫定的に、「『温暖化の気持ち』を書く気持ち」のonkimoさんの3月25日の記事を信頼して述べますと、今回の事故では地震津波のために発生源付近での放射線モニター観測機器の故障が多く、大気に放出された放射性物質量の値を観測に基づいて与えることができないので、放射能量の予測として意味のあるシミュレーションができなかった、ということです。発生量を仮想的に与えたシミュレーションならばでき、その仮定をよく理解できる人にとっては有意義ですが、その結果が現実の予測であるかのように伝わってしまうと、いわばデマのもとになってしまいます。

[ここから3月27日(コメント1件いただいたあと)加筆] そして残念ながら、最近数年間に情報伝達技術が発達しましたが、それは、複雑な情報はとても単純化された形で速く広まり、単純化される際にまちがいがあってもその訂正はなかなか伝わらない、という欠点が強化される形で進んでしまいました。科学情報を隠すべきでないというのはもっともなのですが、デマの源になる可能性が高いと予想されしかもそれを防ぐ能力がないときには、発信しないことこそ責任ある態度であることもあると思うのです。

SPEEDIに関しては、1枚の図が出てしまいましたので、その図と同様な図をたくさん示して、報道された図から読み取れる情報のうちどのようなものはノイズにすぎないかを説明することはするべきだと思います。