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これまでの非常が常となるとき、電気と輸送サービスへの要求水準は?

3月11日の地震によるその後数日間の影響は、東北地方と茨城県では直接の被害が重要だが、関東地方の東京から西側ではそれよりも発電所が止まったことによって電気の供給が制限されたことによる影響のほうが大きいだろう。

電力会社が地域を分けた輪番停電の計画を述べた。それに対して鉄道会社が事前警戒的に対応し、多くの路線が一日あるいは数時間にわたって運休してしまった。広い範囲からの通勤者で成り立っている職場でも、職員の確保がむずかしくなり、業務を止めたところもある。そういったことが電力需要を減らしたので、結果として、停電は予定したところのうち小さな部分だけですんだ。社会全体として、電力供給量の制限に適応できたことにはなる。しかし、適応の形としてはどうもうまくないように思う。

停電するとサービス不可能になるところでは(電車自体の電源が確保できても駅の機能が止まる場合を含む)、旅客を受け入れたあとで動きがとれなくなるような迷惑をかけないためには、不確実であっても停電の計画があれば事前警戒的に電車運行を止めるしかないのだろう。しかし、輸送サービスが止まることは社会のいろいろなサービスが止まることに波及する。電力需要を減らすという目的には波及効果の大きい電車を止めることこそすぐれた手段なのかもしれない。しかし、輸送需要が自動車に移ったぶんはエネルギー資源消費は減らず、たぶんふえる。緊急対応としては総エネルギー資源消費がふえても電力消費を減らす必要があるのかもしれないが、次の段階では原子力化石燃料を合わせたエネルギー資源消費の節約こそ課題になるはずだ。

首都圏の鉄道の多くは11日中は止まっていたが、12・13日には大部分が回復し、急行運転をやめて全部を各駅停車にするなどの形で、土・日曜なので通勤ピークを含まないものの、かなり多くの人の移動をまかなっていた。14・15日にはそのサービスが低下してしまった。たとえば、西武鉄道は東京都内の大部分は動いているが埼玉県内は運休だ。京王電鉄は調布から西で午後5時半から夜10時まで運休するという。JRではたとえば横浜線が運休する。このようなやりかたは、中心部(東京都区部)ばかりを優遇し、周辺部を冷遇するものになっていないだろうか。[2011-03-17追記: 16日、17日と、しだいにだいぶよくなった。]

地震でこわれた原子力発電所の発電能力は回復しないし、こわれなかったものの回復も年単位の時間がかかるだろう。今の電力供給量の制約は、緊急の非常事態だけですむものではない。これが通常のレベルになることを想定して、社会基盤としてどのサービスをどのくらい確保するべきか、優先順位づけをするべきだと思う。緊急対応では、供給者である電力会社、そして鉄道会社が一方的に決めるしかなかったかもしれないが、今後の平常のサービスの優先項目を決めるのは住民の代表者を含む政治プロセスであるべきだろう。その際に、電力ばかりでなく石油の資源節約も考慮して、鉄道と自動車の役割分担を路線別に考えるべきだろう。また、これまでよりも通勤が不便になることを考慮する必要があるだろう。そうすると顔を合わせる代わりに電子通信技術を使いたいという需要は高まるので、通信への電力供給をどれだけ確実にできるかという課題もからんでくる。特急電車や高品位テレビ電話はぜいたくとし、各駅停車や静止画像通信は「健康で文化的な生活」の権利の一部とするといった、しわけが必要かもしれない。

[2011-03-15追記] 「Chikirinの日記」2011-03-15 首都大混乱 by 「計画停電http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110315 に賛同する。(蛇足ながら、ちきりんさんの他のことに関する意見に賛成するとは限らない。)