macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

自治体ごと・行政区画ごとの数量を 見ること・地図上に表示することについて

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

- 1 -
[2022-01-15 関東地方の市区町村別のCOVID陽性患者数 (不定期 2) 全域で増加、人口密度依存性やや弱まる] の記事を書きながら、市区町村別 (ここでの「区」は東京都の特別区をさし、市のなかの行政区はささない) あるいは都道府県別の数量を、地図をぬりわける形で表示したり、論じたりするとき、問題に感じていることと、それに対して、(かならずしも満足な対策ではないが) わたしはどのようにしているかを、あらためて文章にしておきたいと思った。

- 2 -
現代日本では市区町村や都道府県は地方自治体なので、自治体ごとに行政の施策がちがうことがある。(なお、もし地方自治でなくても、いくらかの地方分権があれば、行政単位ごとにいくらかの施策のちがいがあるかもしれない。) それによってちがいが出る可能性のある問題ならば、自治体ごとに見ることに積極的な意味がある。

- 2A -
わたしが (たまたま) 思いあたる例としては、高校で地学を (選択科目として) 開講しているかどうかが、県によってだいぶちがう、ということがらがある。【もし実際にこの話題を論じるならば、注意してほしいことがある。現在 (次期も同様) の高校の学習指導要領では、理科のうちの地学の分野を「地学基礎」と「地学」の 2科目としている。開講している学校のわりあいを論じたいならば、どちらかを明確にしてほしい。できれば、両科目についてそれぞれしらべて、あわせてのべてほしい。】

県立高校ならば、県 (おそらく教育委員会の下の部署) の行政が開講科目を直接指示するばあいもあるだろうし、そうでなくても教員採用の専門別人数をきめることによって強い影響をおよぼすだろう。私立学校は自由にきめられるはずだが、同じ地域の他の学校とちがうことをやるのは特別な理由があるばあいにかぎられそうだ。県の行政による選択は、県という地域ごとの人びとの価値観のちがい (わたしがつかいたいことばではないが、いわゆる「県民性」) を反映したものだろうか? そういうことは、職業科や家庭科などならばあるかもしれないが、理科のうちわけについては、あまりありそうもないとわたしは思う。むしろ、県の教育行政をになうのがその県で教育をうけた人である確率が高いので、いったん決めたらそれが当然のことと思われて持続しやすいのだろうと思う。

- 2B -
感染症の患者数については、もし自治体の境界をこえた人の往来が制限されることがあれば、自治体の境界が意味をもつかもしれない。しかし、日本では、往来の制限は、可能性として話題にはなったが、実際にはおこなわれていない。公衆衛生行政の態度のちがいはいくらかあるので、それが重要な影響をおよぼすのであれば、自治体ごとに見ることが意味をもつかもしれない。

- 3 -
自治体の行政が重要なちがいをもたらさない対象について、自治体というまとまりで見ることに意味はあるだろうか。

自治体が、地方自治の制度をはなれても、住民の生活にとって重要なまとまりであるならば、そのまとまりごとに見る意味はありそうだ。地方自治が自発的に発達してそのまとまりがいまも生き残っている国ならば、そういうこともあるかもしれない。

しかし、現代日本では、国の政策として、いわゆる「平成の大合併」が推進された。その結果、日常生活で往来する範囲よりも大きな規模の市もできてしまった。ところが、都道府県ごとに「大合併」への熱心さはちがっていた。だから、いまの市町村の規模は、都道府県ごとにかなりちがう。地方行政が直接かかわるものごとのほかは、自治体の境界は便宜的なものにすぎないだろうと、わたしは思う。

わたしは、現代日本の国内の地理現象については、原則として、2次元空間に連続分布する変数のように考えたほうがよいと考えている。ただし、データをまとめる単位が自治体だから、おおくのばあい、自治体ごとの集計値しかわからない。自治体ごとの値の分布を見るのだが、それは連続空間での分布の近似だと思っている。

- 4 -
自治体ごとの なにかの数値を、地図上に表示することを考える。

- 4A -
数量を記号の個数であらわして、地図上の自治体の領域に記号をならべていく方法ならば、記号をかぞえても、瞬間的な視覚で画面上の記号の密度をとらえても、情報はわりあい正確につたわる。ただし、同じ種類の数量が自治体ごとにけたちがいにちがうばあいは、値の大きいばあいに地図の領域が記号でうめつくされてしまうか、値の小さいばあいに まっ白になるかになり、うまく表現できない。

- 4B -
地図上を自治体の領域ごとにぬりわけるばあいには注意が必要だ。

たとえば、埼玉県のウェブサイトの 「新型コロナウイルス感染症の県内の発生状況」のページ https://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/covid19/jokyo.html には、2022年1月15日午前の時点で、「市町村別の発生状況図(直近1週間)(令和4年1月8日~令和4年1月14日)」と「人口10万人当たりの新規陽性者数(令和4年1月8日~令和4年1月14日)」の図がある。どちらも埼玉県の地図を市町村別に色でぬりわけたものだ。前者は、市町村ごとの人数の大小を階級わけして色に反映させている。後者は、その人数を市町村ごとの人口でわったものの大小を階級わけして色に反映させている。

前者のような図から読みとれる情報は、だいたい市町村ごとの人口の大小と同じだ。しかしそれがつたえたいものではない。わたしは、後者のように人口あたりの数量を表示するほうがよいと思い、自分ではそのようにしてきた。

- 4C -
対象が空間分布する数量で、データが自治体ごとであたえられるのは便宜上のことにすぎないばあいに、情報伝達の方法として地図をぬりわけることを、もうすこし考えてみる。

そこでのぞましい表現は、4A でのべたように記号を配置して、空間領域の面積あたりの記号の個数が、面積あたりの対象の数量に対応するようにすることだろう。領域を合併すれば、記号の個数も合計される。

数量がけたちがいになりうるばあいは、記号よりも塗りわけがよいだろう。その場合も、単位面積あたりの対象の数量を階級わけして、階級と濃淡や色を関係づけるのがよいだろう。濃淡で、黒いところほど値が大きいように表示したとすれば、人は直観的に (厳密ではないが)、黒さに面積をかけたような量を感じるから、表示する量は面積あたりにしておいたほうがよいのだ。

感染症の患者数のばあいも、患者が地理的にどのように分布しているかをすなおに見るのならば、各自治体の患者数をその自治体の面積でわったものを見るべきだ、という理屈も、それなりにもっともだ。

しかし実際にやってみると、面積あたりの患者数の分布のパタンは、面積あたりの人口、つまり人口密度の分布のパタンとだいたい同じだ。人口密度よりもさらに地域間の大小のコントラストが大きくなっているのだが、そのことは数値をよく見てはじめてわかる。人口密度の図にくわえてこの図を出す意義はうすいと感じる。

- 4D -
わたしはおもに、自治体ごとの人口あたりの患者数で塗りわけた図をつくっている。

人口あたりの患者数は、「もし状況が調査時点と変わらないとしたとき、その自治体にいる人が感染する確率の推定値」に比例する量だということができる。人がそこにいる (行く) ことのリスクの指標として有用なのだ。

しかし、この図から直観的に患者の総数を読みとってはいけない。直観的に読み取られるものは人口あたりの患者数に面積をかけたものに近いものなので、面積の大きい自治体に大きな重みがかかってしまう。このことは、この種類の図を見るときは、毎度、注意する必要がある。