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気候変動 (地球温暖化) の科学の学説の構造 -- 「すでにおきた温暖化は人為起源」はわきすじ

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

- 1. きっかけ -
松王 政浩 (2020) 『科学哲学からのメッセージ[読書メモ] の合評会がオンライン開催されたので参加した。わたしはこの本が出版されてすぐ、気候変動 (地球温暖化) に関する科学と社会とのかかわりの話題について拾い読みして、読書メモのブログ記事を書いた。それで合評会におさそいいただいたのだった。しかし、わたしはブログ記事を書いたあと合評会当日まで、その本に目をとおす時間がとれなかった。また、合評会で気候変動の科学が出てくる文脈は「実在論論争」とのかかわりなのだが、わたしは、うかつなことに、その本で実在論が論じられていることさえ気づいていなかった。だから、合評会では、わたしは聞き手に徹して、発言しなかった。

【わたしは科学哲学での実在論論争についてほとんど知らないので、それに関する議論はしたくない。もし問われれば、わたしのとらえかたは「実在物は不可知、モデルが可知」である。そのような考えにいたった背景としてはひとまず[Magee 『哲学人』の読書ノート] をリンクしておく。】

- 2. 気候変動の科学をとらえなおしてほしい -
しかし、松王さんは、気候変動の科学の中核を、「人為起源説」という「理論」だとしている (5.1.1節)。 IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の最近の報告書をおもな情報源とする人がそう思ってしまうのは無理もない。松王さんにかぎらず多くの人がそう考えているようだ。しかし、IPCCがはじまるまえ、世界平均地表温度が上昇しているという観測事実が知られるまえから、地球温暖化という現象を (将来ありうることとして) 知っていたわたしとしては、それは中核ではなくわきすじにすぎない、と言いたい。

まず基礎科学としての気候システム論 (この用語はわたしがえらんだ表現だが) が発達したのだ。その成果として、大気中の二酸化炭素濃度が高い気候のほうが地上気温が高いという、不確かさはあるが定量的な知見が得られた。

その分野の専門科学者の集団が、21世紀の気候変化は二酸化炭素濃度の人為起源増大を原因とする温暖化になる可能性がかなりあるというおおまかな見通しを持ち、政治家たちがそれに応じて、IPCCが発足した。

IPCCが発足してから、社会の要請にこたえて、気候システム論のひとつの応用である、将来約百年間の気候変化の予測型シミュレーションがおこなわれるようになった。また、「温度上昇はすでにおきているか。そのおもな原因は何か。」という問いが出され、それにこたえること (Detection & Attribution、「検出と原因特定」、「D & A」と略す) が、気候システム論のもうひとつの応用となった。

- 3. 基本的気候システム論 -
では、気候システム論の基本的理論はなにか。

大気・海洋・雪氷・陸面をふくむ気候システムのなかではいろいろな変動がおこるから、そのどれを重視するかによってこたえはちがってくるだろう。ここでは、地球温暖化を知っているたちばからふりかえって、つぎのように定式化してみる。

  • 全地球規模の気候を変化させる原因は、気候システムのもつエネルギー総量を変化させる原因である。【これは厳密には正しくない。気候システム内でエネルギーが移動することによる全地球規模の気候の変化もありうる。しかし、全地球規模の気候の変化をおこしながら気候システムのもつエネルギー総量を変化させないことのほうがむしろめずらしいだろうと思うのだ。】
  • 物理の基本法則であるエネルギー保存則から、気候システムのもつエネルギー総量の変化は、気候システムにとってのエネルギーの収入と支出の差である。
  • したがって、全地球規模の気候を変化させる原因は、気候システムにとってのエネルギーの収入である太陽放射の吸収か、エネルギーの支出である地球放射の射出かのいずれかを変化させる要因にしぼられる。

収入をかえる要因としては、太陽からくる放射(光)のエネルギー量の変化と、それを地球が吸収するわりあいの変化が考えられる。支出をかえる要因として、大気成分のうちで赤外線を吸収し射出する能力をもつもの (「温室効果物質」) の変化がある。温室効果物質のうち最大の効果をもつ水蒸気は、温度とともに変化するので、フィードバック要因ではあるが外因ではない。エネルギー収支の観点でみた気候システムにとって外因としてきく温室効果物質としては、二酸化炭素がいちばん重要になる。

人間社会が化石燃料を消費しているという事実がある。そして、大気中の二酸化炭素濃度の継続された観測が1958年からはじまり、5年後ぐらいには増加傾向があきらかになっていた。

大気中の二酸化炭素が標準値 (1960年代には 300 ppm が代表とされた) の2倍のばあいの世界平均地上気温は、標準値のばあいの世界平均地上気温よりもどのくらい高いか、という (基礎科学的な) 問題がたてられた。これをわたしは「二酸化炭素倍増に対する定常応答」とよぶ。

緯度・経度・高さのいずれの方向の空間的不均質も考えない「0次元モデル」によるいろいろな研究がされたが、定常応答の値はさだまらなかった。Manabe & Wetherald (1967) の鉛直1次元モデルによる数値実験で、定常応答の値は 2.3 ℃ 、Manabe & Wetherald (1975) の3次元モデル (海陸分布は理想化されたものだった) では 2.9 ℃となった。1979 年のアメリカ科学アカデミー報告書では、複数の研究をまとめて、定常応答の値を 1.5~4.5℃とした。

いまも定常応答の推定値の幅はあまりせばまっていないが、幅ができるおもな理由はわかっている。雲が、太陽光を反射する効果と温室効果の両方をもち、しかも、温度が上がったとき地球上で雲に覆われた面積がふえるか減るかがまだしぼりきれないことだ。

実際の温度変化は、二酸化炭素濃度への定常応答をつなげたものよりは遅れておこる。海が熱容量をもつので、あたたまるまでに時間がかかるのだ。1980年代のあいだに、遅れの時定数は数十年であることがわかってきた。

気候にかかわる自然科学者の多くが地球温暖化の見通しに確信をもっているというのは、ここにのべたような理屈に確信をもっているということだ。ここまでにのべたようなことが、頑健な学術的知識となっているのだ。(ここでの「頑健な」は robust で、そのつかいかたはちかごろの科学哲学者の用語にあわせたつもりである。IPCC用語の「確信度が高い」は、ほぼそれにあたる。)

気候システムの感度 (外因に対する敏感さ) についての不確かさは残っている。二酸化炭素倍増に対する定常応答が 1.5℃よりも 0 に近いという説はときどき出されるし、それが完全に否定されるとはかぎらない。しかし、議論をかさねていくうちに そういう説は plausible でない、という評価を得てきた。

そして、もし定常応答が 1.5 ℃であっても近未来の気候変化が人間社会にとって対策を必要とするならば、定常応答がそれより大きかったばあいも対策を必要とすることはあきらかだ。(適切な対策の具体的内容はちがってくるかもしれないが。) そういう意味では、残っている不確かさによって、定性的な「地球温暖化が起こるだろう」という見通しについての確信は、ゆるがない。(ただしここでなにを「地球温暖化」と認定するかは、科学内の基準ではなく、人間社会への影響についての大まかな認識によっていると思う。)

- 4. 予測型シミュレーション -
将来の気候の予測とよばれるものは、厳密にいうと予測ではない。二酸化炭素排出量の予測には将来の人間社会についての予測も必要になるが、それには信頼できるモデルがないからだ。基本的な構成としては、まず将来の人間社会についてのシナリオを複数つくり、それにもとづいて排出量シナリオをつくり、さらに濃度シナリオをつくり、それをあたえて気候のシミュレーションをする。

予測型シミュレーションで得られた将来の世界平均地上気温の時系列は、ばらついている。その約半分は、排出量シナリオ間のちがいであり、将来の人間社会についての見通しの不確かさ (政策によってちがいが出る余地をふくむ) を反映している。のこりの約半分は、気候モデル間のちがいであり、さきほどのべた定常応答の見積もりのちがい、つまり、おもに雲のふるまいについての科学的知見の不確かさを反映している。気候モデルの不確かさはあるけれども、シナリオ間の差もたしかにある。

- 5. D & A 問題 -
D & A 問題にこたえる研究の代表的なものは、観測記録のある過去約百年の気候のシミュレーションにもとづくものだ。標準的構成はつぎのようになる。

自然起源・人為起源をふくめて、気候システムのエネルギー収支を変える原因となるものごとの数量の時系列データを用意する。つぎのものがある。太陽放射の強さ、火山起源のエーロゾル (液体・固体の微粒子)、人間活動起源のエーロゾル、温室効果気体。(温室効果気体濃度についてはじゅうぶんな精度があるが、他の要因の推定にはかなりの定量的不確かさがある。)

すべての原因をあたえて、気候シミュレーションをおこない、結果の気温などを観測にもとづくデータと比較する。シミュレーションが現実の気候の変遷をかなりよく再現していることを確認する。(そのような性能のモデルが必要である。)

人為起源の原因をはずし、自然起源の原因だけをあたえて、気候シミュレーションをおこない、結果の気温などを観測にもとづくデータと比較する。結果をみると、すべての原因をあたえたばあいにくらべて、現実の気候の変遷とのくいちがいが大きい。このくいちがいの差が、人為起源の原因の効果を反映していると考えられる。

D & A の結果を得るまでの理屈は複雑だ。予測型シミュレーションと同様な (ただし近未来ではなく近過去についての) ことを2組実行し、その相互の比較および観測データとの比較をして統計学的に評価する必要がある。あたえた原因の数量の不確かさもある。数量をあたえることができなかった原因が現実にはきいている可能性も残っている。観測データあるいはそれを集計する方法の不確かさもある。

したがって、D & A の知見は、基本的気候システム論の知見や、予測型シミュレーションからえられた (予測としてでなく、あたえた条件と帰結との関係としての) 知見とくらべると、頑健さが おとる。しかし、気候変動への対策を考えるうえで、D & A の知見は必須ではない。気候変動に関する科学の不確かさを論じ、それにもとづいて科学と社会のかかわりかたの規範をしめしたいのならば、D & A ではなく、まず基本的気候システム論、つぎに予測型シミュレーションについて、知識の頑健さを評価してほしい。

- 6. 気候変動自然科学と気候変動政策科学 -
松王 (2020) の本にもみられたが、それにかぎらず、気候変動に関する科学の専門外の人によるあつかわれかたについて、もうひとつ言いたいことがある。

気候変化の政策科学 (おもに、地球温暖化の被害と対策費用をふくめて評価すること。IPCCが全体としてこたえようとしている問題だがとくにその第3作業部会の課題である) と、その材料としてつかわれる 気候変化の自然科学 (地球温暖化自体の見通し。IPCCの第1作業部会の課題) とを区別してほしい。自然科学のほうは定量的不確かさはあるが構造的不確かさは小さくなった。政策科学のほうは、何を政策判断にふくめるかというレベルでの構造的不確かさがまだ大きいと思う。自然科学の不確かさはあることはあるが、科学と社会のかかわりを考えるうえで重要になるのは政策科学の不確かさだと思う。