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学校教育で使われる用語の「精選」の動きとそれをめぐる考え (3) 歴史教育に向けた意見

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[一連の記事の(2) (2018-02-20)]で予告したように、「高大連携歴史教育協議会」ほかによる「用語精選案(第一次)」のうち、気候に関する用語について、意見を書いて送った。その内容をここにも出しておく。ただし、文書の形を少し変えたところがある。(とくに「- 1 -」「- 2 -」のような節番号はこのブログのために入れた。) 論旨は(2)と基本的に同じである。

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地理と地学にまたがる気候を主題としている者です。現在は常勤ではありませんが大学に所属しております。地理・地学の学校教育の内容に関心をもっております。その関連という観点で、「歴史系用語精選の提案(第一次)」を拝見しました。

「用語の精選」というお考えの大筋に賛同いたします。細部については、正直なところよくわかりません。アンケートのほうも拝見しましたが、歴史に関する教育の現状や問題点をおさえていないとわからないことが多いので、回答しないことにいたしました。

「歴史系用語精選の提案(第一次)」のほうを見たところ、気候に関する用語がいくつか含まれていることに気づきました。人間社会の歴史を考えるうえで、気候を含む自然環境の要因に注目することは、わたしとしても勧めたいことなのですが、それに関する用語には、いろいろと注意を要すると思いました。

意見をウェブフォームから入力しようとも思いましたが、そちらは、氏名を入れて進むまで、意見を書くフォームの個数や容量がわからず、準備がしにくかったので、メールでお送りいたします。

気候以外の、歴史自体の用語が適切かは、正直なところよくわかりませんが、以下に述べますような、気候の用語について考えたことから類推すると、事項としては教えるべきであっても、用語として明示しないほうがよい場合もある、という観点で見なおしたほうがよいところもあるのではないかと思います。

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高大連携歴史教育研究会 「...歴史系用語精選の提案(第一次)」(2017年10月)にあげられているうちの、次の用語について、次のように考えます。

事項としては教えてほしいが、固有名詞的な用語としてあげてほしくないもの

  • 縄文海進 (日本史 第1章 日本文化のあけぼの)
  • 中世温暖期 (世界史 第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展)

表現を変更してほしいもの

  • 氷河期 (世界史 序章 先史の世界) ... 「氷期」としてほしい。

用語としてあげるべきか、あげるならばどのような意味か、要検討なもの

  • 小氷期 (世界史 第8章 近世ヨーロッパ世界の展開)

用語としてあげるのは妥当だと思うが、意味に注意が必要なもの

  • 気候変動 (歴史の基礎概念 b 歴史の主なテーマ)
  • 温暖化、寒冷化 (歴史の基礎概念 c 時代・地域を越えた歴史のキーワード)
  • 地球温暖化 (世界史 第16章 現代の世界; 日本史 第13章 激動する世界と日本)

以下、それぞれの項目について補足説明いたします。

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世界史の序章の「氷河期」という用語は「氷期」とするのが妥当と思います。「氷河期」という表現は20世紀なかばにはよく使われましたが、今では、地学の専門家は、「氷期」と「氷河時代」を使いわけます。最近約百万年の時代には約10万年周期で「氷期」と「間氷期」がくりかえしています。今から見ていちばん新しい氷期(「最終氷期」、この用語も要注意ですが)は1万数千年前に終わり、その後の完新世はひとつの間氷期です。「氷河時代」のほうは、必ずしも意味をしぼらずに使われていますが、氷期と間氷期のくりかえしを含む時代全体をさすのが代表的な用法のひとつです。その意味では、今も氷河時代です。「氷河期」という表現では、両者の意味がまぎれてしまうおそれがあります。

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「縄文海進」は、大気の状態をさす狭い意味での気候のできごとではありませんが、海洋・雪氷を含めた広い意味の気候のできごととは言えるので、含めました。

約7千年前から5千年前に、日本の平野部に、海域が大きく広がっていたことをとりあげるのはよいのですが、用語としての「縄文海進」は避けるべきだと思います。

日本列島とその付近では、陸に相対的に海水位が高く、海が広がったのですが、世界平均全体の海水の量が今より多かったわけではないことが、1980年代以来の地球物理学的研究によって、確かになってきています。固有名詞的に「...海進」と表現すると、世界全体で海が広がった時代であるという誤解を招きやすいので、避けたほうがよいと思うのです。

また、「海進」ということばは、海が広がった極大の状態をさすのか、広がりつつある状態をさすのかが、あいまいですし、「縄文時代」と呼ばれる年代範囲も、約50年前の文献とは変わってきているので、固有名詞的に使っても、対象時期が専門家間で一致しないおそれがあります。

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「中世温暖期」と「小氷期」という表現は、ヨーロッパの気候をさすことが明示された文脈では、悪くはないでしょう。しかし、世界全体の寒暖を代表するものとしては、必ずしも正しくありません。世界史という科目で教えられると、たとえヨーロッパに関する章であっても、世界全体の寒暖であると思われるおそれがあるので、注意が必要です。

最近2千年の世界の気候の変遷については、近ごろ熱心に研究が進められていますが、専門家による時代観は必ずしも統一されていません。

今の段階で比較的よいまとめと思われるものは、IPCC (気候変動に関する政府間パネル)が、2013年に出した、第5次評価報告書の第1作業部会の巻 http://www.ipcc.ch/report/ar5/wg1/ の第5章 5.3.5節「Temperature variations during the last 2000 years」(409-415ページ)です。そこでは「中世温暖期」にあたるものは「Medieval Climate Anomaly」と書いてあります。世界のあちこちで長期平均に対しての偏差が見られたが、それは必ずしも「温暖」ではないという認識です。「小氷期」のほうはLittle Ice Ageと書かれています。ヨーロッパをはじめ北半球中高緯度の多くのところで寒く氷河が前進したという認識であって、必ずしも世界じゅうで寒かったということではありません。

なお、IPCC報告書のその節では、Medieval Climate Anomalyの時期は西暦950-1250年ごろ、Little Ice Ageは1450-1850年ごろ、とされてはいますが、その年代範囲は、代表例ではあるものの、専門家間の合意ではないと思います。ほかの文献では、小氷期を、太陽活動のMaunder極小期の始まりである1615年ごろからとするものや、大きな火山噴火が見られた1250年代からとするものも見かけます。

わたしの意見としては、ヨーロッパの温暖・寒冷は述べたほうがよいが、そこで「中世温暖期」という用語を使うのは避け、「小氷期」という用語は、使ってもよいが、専門家間でも必ずしも認識が一致していないことも伝えてほしいと思います。

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「気候変動」「温暖化」「寒冷化」を、固有名詞でなく普通名詞として使い、歴史を考えるうえでの基礎概念としてとりあげることは、よいと思います。

現代以外の文脈では、人間活動を主原因とするものでないことは明らかでしょう。

ただし、グローバルか地域限定かに注意が必要です。氷期の終わりと、いま起ころうとしている人間活動起源の地球温暖化は、グローバルな気候変動だといえますが、そのほかの、歴史教育に出てくるものは、対象とする地域(たとえば、北ヨーロッパ)の気候の変動であり、そういうものとしてとりあげるべきだと思います。

なお、温暖化・寒冷化よりも乾燥化・湿潤化のほうが重要な場合もあると思います。(「砂漠化」も関連しえますが、その用語はおもに生態系の変化をさすものでしょう。気候の変化をさす表現としては「乾燥化」が適切と思います。)

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「地球温暖化」は、すでに起きた気候変化ではなく、政策課題をさすと理解しました。その内容は将来(数十年後)に現実になるであろう気候変化に対処することですが。その政策課題が広く知られた時期の始まりとしては、1988年のIPCC発足や、1992年の気候変動枠組み条約の締結があげられるでしょう。

歴史教育の「地球温暖化」の話題で、すでに温度が上昇したことをとりあげるのは、発展的学習にはなりえますが、必須の教材にするのは無理があると思います。

世界平均地上気温が明確に上昇していることが認識されたのは1990年前後であり、政策課題として取り上げられはじめたほうが早かったのです。気候専門家は、1970年代の段階で、二酸化炭素濃度の増加の事実と、理論的考察から、将来に気温の上昇が起きるという見通しを得たのでした。(その事情は、次の論文で説明しました。

  • 増田 耕一, 2016: 地球温暖化に関する認識は原因から結果に向かう思考によって発達した。科学史研究 (日本科学史学会), 54, 327 -- 339. )