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入学試験問題について思うむずかしさ (3) 音波をめぐって

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2018年1月に、およそ「約1年前の大学入学試験での物理の問題のひとつで、まちがいとされた解答が、再検討の結果、正しいことがわかったので、そのような解答をしたために不合格になった人を、追加で合格とする」というようなニュースがあった。(このかぎかっこ内の表現は引用ではなくわたしの記憶からの再構成。)

【2月末ごろには、この件では、不利益をこうむった人への補償の費用をだれが出すかということが話題になっていた。その大学の組織としての動きに、わたしは納得できないところがある。しかし、この記事では、そちらの話題には立ち入らないことにする。】

その試験問題は、音波に関するものだった。

採点で失敗しただけなのか、問題のつくりが不適切だったのか? 出題者が正解とした解答は、実はまちがっていたのか? わたしはそういう疑問を感じたものの、自分でその試験問題をよく読んで検討することはまだできていない。もし時間をかけて検討したとしても、論じられるところまでは行けないかもしれない。

しかし、間接情報によって考えたことではあるが、わたしは、この事件に、現代日本社会の中にある大学の入学試験の出題という仕事にかかわるむずかしさが現われていると思う。[一連の記事の(1) (2018-02-20)]のうちの4節で述べた

「出題する組織はどういう特徴をもった問題を望ましいとするか」と「出題担当者はどういう内容の問題ならば正確な出題ができるか」がくいちがっている

という状況の一例だと思うのだ。もう少しだけ具体的に書くと[これは引用ではない]、

基礎知識の問題を、すこし具体的に表現しようとして、出題者の知識が不確かなことがらについての問題をつくってしまった。複数人で点検したのだが、点検者も出題者と同様な状況だった。

ということなのだと思う。

出題担当者が出題に専念する職員ではなく大学教員の かたてま仕事である現状のもとでは、問題の多様性をいくらかあきらめて、出題担当者が正確な出題ができる題材にしぼったほうがよいだろうと、わたしは思う。

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話題になったキーワードを見て、音波という学術領域では出題の失敗が起きやすいだろうと思いあたった。そのことを書く。(失敗とされた試験問題に深入りしない議論であることをおことわりしておく。)

波(波動)は物理の基本概念だ。

【蛇足だが、これは、「水からの伝言」の(故)江本 勝 氏が使っているような意味での「波動」の話ではない。】

高校の物理は大学で「物理学」とされていることだけに対応するものではない(むしろ工学の基礎の内容のほうが近いかもしれない)という保留は必要だが、大学の物理学専攻の研究内容を見れば、素粒子・原子核はもちろん、物性でもほとんど、量子論を使う。量子論では、ミクロの時空間規模で、物質も光も、波と粒子の両方の性質をもつものなのだ。物理学専攻にあって量子論をあまり使わない分野としては、流体力学があるが、そこでも波はいつも使う概念だ。

だから、入学試験の物理でも、波を扱う問題を出そうとするのは当然のことだ。実際の出題では、抽象的な波でなく、やや具体的なものを出したい。専門家が扱う題材をそのまま出したら、たいてい、高校生にはわからない。高校生にわかりそうな波の題材は、水面の波、音波、光ぐらいだろう。(ただし、光は電磁波であるということは教えるけれども、光の電場や磁場をそれぞれ論じるような問題は高校の範囲をこえると考えられるだろう。)

音は、かつては物理学者の研究課題だった。たとえば、寺田寅彦は1908年に理学博士になったが、その博士論文の題目は「尺八の音響学的研究」だった。

【その論文について、論旨がまちがっているという指摘を見つけた。「ザ・ランス」という個人ウェブサイトの「寺田寅彦の学位論文の誤りについて」http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Torahiko/#correct1 という記事だ。著者名はないが、そのサイトにあるメールアドレスから見て「ishihara」さんらしい。記事の日付は2002年10月4日となっている。わたしには、この記事の指摘が正しいかどうかの判断ができない。もし指摘が正しいとすると、寺田寅彦は不注意でまちがった式をたててしまい、審査員はそのまちがいを見落とした、ということになるだろう。生活に身近な音についての物理学的検討は、すでに大多数の物理学者の学術的関心からはずれていたので、審査員も出版後の読者もあまり注意して読まなかった、ということなのだろうか?】

その後、物理学者が音を扱うことは減った(流体力学の課題にはときどきなるが)。音波を専門とする人は、工学のいくつかの分野にいるはずだ。わたしが思いあたるのは、環境騒音、建築物内の音響、音響機器、航空 などだ。理学でも、地球物理専攻では、(量子論でなく古典物理の) 波動は、むしろ物理学専攻よりもよく出てくる。地震波のうち「P波」は音波の同類だ。

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地球物理の一分野である気象学では、大気中の音波は対象となりうるし手段ともなりうる。しかし、いまの気象学者で音波について詳しい知識をもつ人は多くない。

大気の運動は、気象学の主要な対象であり、そのうちに、本来は、音波も含まれる。大気の運動を支配する方程式系(運動方程式、質量保存、エネルギー保存、状態方程式などの組)をすなおにたてれば、音波も表現できる。しかし、音波は、気象学者の関心の対象となる大部分の現象に比べて、速い現象なので、省略することが多い。運動方程式系を近似して、「音波が伝わり終わった状態」だけを表現できるものを使うのだ。

かつては音波も気象学での重要な研究対象だった。それは、人や観測機器が簡単に行けない上空の状態を知る手段だったからだ。

たとえば、のちに中央気象台長(気象庁長官に相当)になった藤原 咲平[さくへい]は1915年に理学博士になっているが、博士論文の題目は「音の異常伝播の研究」だ。(なお、これは当時の大学の学問体系では物理学に含まれるものだった。)

気体中の音速は、媒体の密度と圧力で決まる。状態方程式で温度・圧力・密度が結びついているので、音速は温度と圧力で決まるといってもよい。そして、気圧は近似的には高さで決まるので(音波の理屈を考えるうえではそれからのずれが重要ではあるが)、音速はおもに気温を反映している。空間的な音速のちがいによって、音波の屈折が起こる。そこで、音波の伝わりかたを知れば、上空の気温についての情報が得られるのだ(複雑な連立方程式に誤差がくわわった推定問題になるが)。

気象学で、音波の伝搬を考える人の多くは、音波の伝わりかたを、光線と同様な波線(ray)としてとらえる。波線は波面に垂直な線でもある。波としての位相や振幅がそれぞれの場所でどうなっているか、詳しく考えない。

音波を発信して受信することで大気の情報を得る機器を設計する人や、それで観測する (機器が得たなまの観測値を処理して大気の物理量に変換する) 人は別だ。発信と受信の時間差だけを使うならば、ray として扱えばよいかもしれないが、位相差や振幅比から情報をとろうとすれば、反射が起こる際に、対象物の表面のそれぞれの場所で、音波の位相や振幅がどうなるか、詳しく考える必要がある。ただし、そこまで考える人の、気象の専門家のうちでの割合は、大きくない。

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わたし自身、音波の ray としての扱いは、すぐにはできないものの、ならったことのある知識を思い出せばできるが、位相や振幅の扱いは、あらたに勉強しないと、できない。まず、大学専門課程の教科書ぐらいの適切な本をさがす必要があるが、それの選択が簡単ではないと思う。

わたしが高校に入学したのは1973年、物理の授業を受けたのは1974-75年だった。1973年入学者から使われはじめた教科書は、その前年までのものが項目の数が多くて「暗記もの」と評されたのと態度を変えて、理屈を重視したものだった。

そこには、振動という話題で、単振動の理屈、典型例としての ばねふりこ と、条件つきで単振動で近似できる 単ふりこ があげられ、応用的な例として、弦や膜(太鼓のかわのようなもの)の固有振動が出てきた、と記憶している。管の空気の固有振動は教科書にはなかったと思う。教科書とは別の読みものの本か学習参考書で見た覚えがある。波については、ドップラー効果とか、反射・屈折などの概念をならったが、水面の波にも音波にもあてはまる一般論としてであり、音波特有のことはならわなかったと思う。空気中の音速が温度と圧力のどんな関数になっているかが教科書にのっていたかどうかは記憶が不確かだが、覚えるべきものとはされていなかったと思う。(「物理 II」の、いわば到達点のような位置に、理想気体の状態方程式と、断熱変化での温度・圧力・体積の関係は出てきていた。その関係で音速が論じられていたかもしれないが、よく覚えていない。音速がどのように決まるかの理屈の説明はなかったと思う。そして、わたしの高校で使った教科書に関する限り、理屈をとばして「公式」だけ述べることはなかっただろうと思う。教科書は捨てていないので家をさがせば見つかるはずだが、ひとまずここではわたしの身についた知識について述べるまでにしておく。)

教科書ではなく、高校カリキュラムの範囲にあまりこだわらない参考書だったと思うが、管楽器を想定したらしい、管のなかで音波による固有振動が形成される話があって、その際に、音波に対する、管の奥と入り口の両端でどのような条件がつくか論じられていた。そこで固有振動に関して「腹」と「節[ふし]」という用語が使われていた。節は振幅が極小(ゼロがありうるならばゼロ)になるところ、腹は振幅が極大になるところ、と理解した。

ただし、いま考えてみると、なんの変数の極小・極大なのかが、自明ではない。初歩の図解は、変位 (長さの次元をもつ、基本状態からの位置のずれ)に注目しているかのように かかれていることがおおい。弦や膜の振動ならば変位は主要な変数のひとつだ。音波については、音波で動かされる物体の変位自体を知りたい場合や、境界条件が変位で指定されている場合など、変位に注目することもあるだろうが、多くの場合は、注目する変数は変位ではないと思う。気象学で音波を扱うならば、変位よりも速度(変位の時間による微分)を扱う。運動する流体の各部分は、(比喩的な表現をしてしまうと) もといた位置を忘れてしまい、速度だけを記憶しているからだ。

音波は、圧力、密度、速度の振動の伝搬が、一定の関係で組み合わさっている。固有振動について「腹」「節」という用語を使うとすれば、どの変数に注目してその振幅の極大・極小を言うのかを決めておかないといけない。

確認していないのだが、話題になった試験問題では、「固定端」「自由端」という用語あるいは概念が使われていたらしい。わたしはこの用語を学校で習った覚えはなく、広く通用する定義があるかどうか知らない。音波の反射という話題に出てくるならば、音波の媒体が別の物体と接するところでの境界条件について述べているのだろうという想像はつく。ただし、それが、変位、速度、密度、圧力などの変数のうち、どれについての条件なのか、また、その変数について、入射波と反射波の位相が、同じなのか、反対になるのか、直角(90度、(π/2)ラジアン)だけずれるのか、といったことは、説明してもらわないとわからない。ふだん音波の反射を論じる人のあいだでの慣習はあるのだろう。しかし、ふだん音波を扱っていない人は、ちがった意味にとってしまうことが、ありがちだと思う。