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「鉄1 kgと綿1 kg ではどちらが重いか」

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わたしは毎年、大学の授業で、気象(や海洋)での対流について話すとき、「流体中に不均一ができ、軽い部分が上昇し、重い部分が下降する」と言いながら、「軽い、重い」ということばの意味に注意が必要だと思う。

そこで、「綿1 kg [キログラム]と鉄1 kgはどちらが重い?」という話をどこかで読んだのを思い出したのだが、どこで読んだか思い出せないまま、何年かが過ぎた。あるとき、これとは別の力学の話題の説明のしかたを求めて、『力学物語』(坪井, 1970)という本をめくったら、その「第6話」としてのっていた。ただし、わたしが覚えていたのは、まくらとして使われていたなぞなぞのほうで、坪井忠二先生がその章で述べたかったのはもう少しややこしい話だった。

この本の章を読みかえすと、学術用語と日常用語の関係にからむ、いろいろな論点に思いあたる。物理的概念の話とことばによる表現の話がからみあっていて、どの順番に述べてもわかりやすくならないが、ひとまず思いあたるままに書きだしておく。

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坪井忠二(1902-1982)は、物理学の教育を受け、地球物理学、とくに地球内部の構造についての研究をした人だ。寺田寅彦の指導を受けたことがあり、中谷宇吉郎とは同世代にあたる。わたしが地球物理に進学する前に退職されていたので、わたしは面識はなく数冊の著書を知っているだけだ。

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実は、『力学物語』第6話の表題は「鉄1貫目と綿1貫目」だった。「貫目[かんめ]」あるいは「貫」は、日本の伝統的な重さの単位だ。明治時代に「尺貫法」として再定義され、1貫は3.75 kgとされた。物理用語でいえば kg は「質量」の単位だから、たぶん貫も質量の単位というべきだろう。

著者は、おそらく少年時代に、「鉄1貫目と綿1貫目では、どちらが重いか」という形で、第6話のまくらとして出てくるなぞなぞ(本の表現では「ナゾ(?)」)を知ったのだろう。当時の日常生活では尺貫法が使われていたのだ。第2次大戦後ごろ(敗戦と直結した変化ではないらしいが)、「計量法」という法律が変わって、メートル法を使えということになった。わたしは、1960年代の子どもとして、kg を使い、貫は知ってはいたが使わなかった。

力学物語』第6話でも、本論では「鉄 1 kgと綿 1 kg」と変えて話を進めている。雑誌連載で発表された1968-69年当時の読者の多くにとって kg のほうがわかりやすいという判断にちがいない。

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まくらとして使われたなぞなぞ(ただし単位はメートル法に変えておく)の「正解」は、「kg」が重さの単位であることを前提として、「鉄1kg」と「綿1kg」の重さは同じ、というものだ。(そこからさきの坪井先生の話のすじは、それが正解であることを疑うものになるのだが、その話はあとにする。)

ひとまず「重さ」という日常用語を使っておいたが、物理を考えていくと「質量」と「重力」を区別する必要がある。

物理教育者のうちには、「重さは質量ではない」と力説する人もいるが、わたしは、「重さ」という未分化の概念が「質量」と「重力の大きさ」に分かれたと考えたい。

名詞では「重さ」と「質量」をはっきり区別する学術的な会話でも、形容詞「重い」が「質量が大きい」という意味に使われることは多い。

なぞなぞの「正解」に限れば、重さと質量はどちらでもよい。kgが質量の単位であることを前提として、質量を比較すれば、両者は同じにきまっている。また、重力を比較するとしても、同じ場所[注]では重力加速度は同じだから、質量どうしが同じならば、重力の値どうしも同じになる。

  • [注] 実際にものをならべるのならば、空間の中で厳密に同じ位置にはできない。重力加速度の空間的な違いに比べてじゅうぶん(=重力加速度が同じとみなせるほど)近い場所を「同じ場所」とみなしている。

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「第6話」の本文で、重力などの力の大きさを kg や g であらわしているところがある。重力加速度の標準値を仮定しているのだ。1970-80年代ごろには学術文献でも「kg重」、のちに「kg力」という形で使われたこともあるが、今では避けるべきとされている表現だ。

ただし、しろうと向けの解説で、たとえば「1kg(重)の力」とあるところを、そのまま N [ニュートン]に換算して「9.80665 Nの力」などとしても、話がわかりにくくなるだろう。「質量1 kgの物体に働く重力に等しい大きさの力」など、表現をくふうすることになる。

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この「なぞなぞ」がおかしいのは、深く考えないで答えると「鉄のほうが重い」となりやすいからだ。

問いが「鉄と綿はどちらが重い」ならば「鉄」が正解と言ってよいだろう。物理用語を使えば、これは、「物質」どうしの、「密度」 (=質量/体積)を比較しているのだ。

ところが「鉄1kgと綿1kg」だと、大きさをもつ「物体」どうしの、質量 (または重力の大きさ)の比較になる。問いの意味がだいぶ変わってしまうのだ。

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ここで、物理量には「示量変数と示強変数」がある、あるいは「外延量と内包量」がある、という話に思いあたる。いずれも、英語で言えば、extensive と intensive の対比だ。そういう議論をする人ごとに詳しい意味はちがうようだが、ここでは大まかに認識しておく。

大まかな説明の準備として、ふたつの物体が「同じ」であるとはどういう意味かが、必ずしも決まっていないことを指摘しておく。同一規格の製品、たとえば10円だまを2個ならべたとき、「同じ物が2個ある」と言ってよいか、いけないか。ここでは、「よい」とみなす立場で考えよう。

そうすると、同じ物を2個あわせたら2倍になる量は extensiveであり、同じ物を2個ならべても変わらない量は intensiveだ、と言える。質量あたりの量、体積あたりの量はどちらも intensive なのだろう。

しかし、すべての量を extensive か intensive かに分けようという議論は不毛だと思う。たとえば、面積あたりの量などはどちらにもうまくおさまらない。社会データでの、国ごとの総量とひとりあたりの量との区別も、似た構造を持っているが、同じ分類におしこめるのは無理があると思う。

この分類を使えば、「鉄と綿」の比較は、密度というintensiveな量の比較であり、「鉄1kgと綿1kg」の比較は、質量または重力というextensiveな量の比較なのだろう。

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坪井先生の本題は、空気中であることを前提に(しかし空気の密度は一定値だとして)、浮力を考慮に入れよう、ということだ。

わたしは、気象の話で、浮力を持ち出さず、「気圧傾度力の鉛直成分」あるいは「気圧の鉛直勾配」で説明することが多い。ただし、気象でも浮力を持ち出したほうがわかりやすいこともあることは知っている。浮力と「気圧傾度力の鉛直成分」の両方をかぞえるとおかしくなる。

学説史としては、「浮力」のほうが古くから認識されていた概念だろう。調べていないが、思いあたることを列挙しておく。流体中で物体が「軽くなる」ことはアルキメデスの時代から知られていた。いま「浮力」と訳される英語の buoyancy にあたる概念はそのころからあったと言ってもよいかもしれないが、それは「力」ではなかっただろう (「浮揚性」とでもいうべきか)。気圧の認識はトリチェリ以後だが、圧力の概念は水についてもっと古くからあったはずだ。「上側と下側の圧力の差」という考えかたはいつからあっただろうか? 今の「力」の概念はニュートン以後のものだ。気圧傾度が力であるという認識はそれ以後のはずだ。

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「気圧傾度力」の「傾度」はgradientで、空間座標による微分だ。「勾配」も同じことだ。当用漢字の時代に「勾」の字を避けて「傾度」を使う人がふえたのだろう。しかし、気象の人は「勾配」は使うが「傾度」はあまり使わない。「経度」との同音衝突を避けたいからだろう。しかし、気圧のgradientを力とみなすときは「気圧傾度力」という。「気圧勾配力」という学術用語は存在しないらしい。

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坪井先生がひとひねりしたなぞなぞの答えを、わたしの表現で書きなおしてみる。

「みかけの重力」ということばを導入する。ここでは、(重力の方向が鉛直下向きであることを前提として) 重力と気圧傾度力の鉛直成分との合力 (「重力と浮力の合力」と言ってもよい)を、みかけの重力とみなす。

(これは「みかけの重力」の一般的定義ではなく、ここでの仮の定義にすぎない。「みかけの重力」に何を含めるかは話題によってちがうので、そのときごとに明示する必要がある。)

すると、

  • kg単位の量が質量であり、「重い」がみかけの重力を比較しているならば、鉄1kgのほうが重い。

しかし

  • kg単位の量がみかけの重力であり、「重い」が質量を比較しているならば、綿1kgのほうが重い。

ということになる。もちろん、

  • 「重い」が kg単位の量と同じ量を比較しているならば、鉄1kgと綿1kgは同じだけ重い。(「重さ」という名詞を避けたら変な表現になってしまったが。)

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気象での対流の話をするときの「重い、軽い」は、同じ高さにあるものどうしの比較ならば密度の比較でよいのだが、ちがう高さのものを比較しようとすると、圧力の変化にともなう体積の変化を考慮する必要がある。そこで「断熱変化を仮定して圧力をそろえたときの密度」(「ポテンシャル密度」と呼ばれることがある)を比較する。実際には、状態方程式によってポテンシャル密度と結びついている「温位」(=ポテンシャル温度)を比較することが多い。【この説明は省略しすぎだと思うが、詳しくは気象学の教科書の「対流」あるいは「温位」の関連のところを見ていただきたい。】

文献