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歴史のもしも (4)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

この記事は、わたしの個人的な覚え書きです。広く知識を提供するものでも、広く意見を主張するものでもありません。ただし、おそらく少人数ながら、読者のうちの、わたしの考えていることに関心をもち、議論がかみあうようなかたがおられるのではないかと、期待している面はあります。

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「歴史のもしも」という主題では、このブログに、[(1) 2015-12-12][(2) 2016-04-16][(3) 2016-05-07]と記事を書いてきた。今度のもそれに関連する話題ではある。ただし、わたしが同じ題目の(1)(2)...として書くときには、議論が積み上げになっていて、読者には続けて読んでいただきたいと思いながら書いていることが多いが、今のはそうではなく、毎回、新規まきなおしで書いている。今度の記事では、前の記事とちがう話題にとぶこともあるし、前の記事で述べたのと似たことを、どこが同じでどこがちがうのかを明確にしないまま書くこともある。

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Tetlock, Lebow & Parker 編 (2007)の本を読んだ。歴史学者や社会科学者が「歴史のもしも」をまじめに論じている。その議論は、大きく2種類に分かれると思った。

The Great Divergence (『大分岐』)で知られる(わたしはその本をまだ読んでいないのだが)経済史家 Pomeranz の議論は、人間社会の歴史がとりえた可能性を、自然要因や大局的な社会要因から考えたものだ。科学技術史の理論家であるらしい Mokyr の議論も、話題を人間社会が共有する知識という要因にしぼっているが、それに近い性格のものだと思う。

Pomeranzは、「中国でヨーロッパよりも早く産業革命(化石燃料による動力の利用)が始まった」という可能性が現実的にありえたのかという問いを出す。答えは、ありえないわけではないがむずかしかった、というようなものになった。まず地下資源としての石炭が必要だが、江南地方には炭田があったもののすでに燃料として使われ枯渇しかけていたし、西北の辺境に未開発の炭田があったが蒸気機関普及前の技術では輸送はむずかしかった。次に、人口をささえる食料の生産力は、高まってはいたものの、農村地域内での消費も多かったので、工場地帯を含む都市に供給する余力があったかは疑問だ。多くの人(Mokyrを含む)が、中国では儒教が政権とむすびつき学問が権威主義的だったので科学技術をつくることができなかっただろうと考える。Pomeranzは、18世紀に関する限り、中国でも批判を含む学術活動は見られるとして、その要因をあまり重く見ていない。

わたしは、このような議論が、(歴史学と呼ぶか社会科学と呼ぶかはともかく) 学問になりうる「歴史のもしも」の議論の本道だと思う。しかし、多くの要因に関する証拠を集めるのはひとつの専門分野の手にあまるから、仮説提唱者とは別の専門をもった人が賛否を保留して証拠を集め、それを見て提唱者が仮説を修正する、といった共同作業が必要だろう。

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Tetlockほかの本の大部分の議論は、特定の戦闘などの事件の帰結がちがっていたら...とか、特定の人物がいなかった・早く死んだ・逆に長生きしたら...というような話だった。こういう議論は、それぞれの提唱者が自分の思いつきにこだわりがちで、物語として聞いているぶんにはおもしろいのだが、議論が妥当かどうかを評価するのはむずかしい。

ただ、Tetlockほかの本では、同じ事例について対立する意見をもつ人に書かせているところがあり、わたしはそれを参考に考えることがあった。

わたしは歴史を次のような模式でとらえることがある。自然科学的なシステムを考えた、Edward Lorenzのカオス論([2016-05-23の記事]参照)、さかのぼれば、Henri Poincaré の力学系の理論の影響を受けている。ある時点の世界の状態を、「状態空間」の1点とし、歴史の経過を、「状態空間」の中でその点が動く軌跡(曲線)のようにとらえるのだ。

「状態空間」のある1点を通る歴史の軌跡は、ひとつではないかもしれない。(あるいは、1点を厳密にとおる軌跡はひとつだが、それとほとんど見分けがつかない点をとおる軌跡をいっしょに考えるのが現実的かもしれない。Lorenzの理屈はこちらに近い。)

歴史の中には、そこでのわずかなちがいが、そこから未来の大きなちがいをもたらす、重要な分岐点があるのだろうか? どの時点も同程度に重要なのだろうか? 気象に関する研究の成果を見ると、初めのわずかな差が、大きく増幅するときと、それほど増幅しないときがある。ただしそれは定量的なちがいであり、定性的には大同小異と言えるかもしれない。

Tetlockほかの本で、Hansonは、アテナイを中心とするギリシャの軍がペルシャ帝国の軍に勝ったサラミスの海戦を歴史の分岐点とみなす。もしこれで負けていたら、近代社会(資本主義・民主主義などの要素を含む)や近代科学はできず、産業革命も起こらなかっただろう、とまで言う。Straussはそれに反対する。アテナイがだめでもギリシャ文化圏のどこか(シチリアあたり)で、あるいはペルシャ帝国内で、学術が発達し、近代科学のようなものに向かっただろうと考えるのだ。

わたしは、Hansonの考えも、Straussの考えも、ありえた歴史を、分岐点から多数の軌跡が流れているようなイメージで解釈した(著者たち自身がそのようにとらえたかはよくわからないが)。 Hansonの考えにしたがえば、実際の(近代社会や近代科学ができた)歴史は、確率の低い特殊な軌跡だ。ちょっと経過がちがっていれば、おそらく、確率の高いグループに属する(専制帝国が続く)軌跡が実現するだろう。Straussの考えにしたがえば、実際の歴史は確率の高いグループに属する軌跡だ。ちょっと経過がちがっていても、やはりそのグループの軌跡が実現するだろう。どちらが正しいか根拠をもって判断することは、もしかするとPomeranzのような大局的要因の評価でできることもあるかもしれないが、多くの場合にはできないだろう。「歴史のもしも」の議論は各人かってな主張の言いっぱなしになりがちだと思う。そうならないためには、作業の到達点がみたすべき条件について合意したうえでの共同作業が必要なのだろう。

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歴史の分岐点があるとすれば、そこにいる個人の行動が歴史に大きな影響をおよぼすかもしれない。Hansonはアテナイのテミストクレスがそのような重要な個人だと考えた。

歴史と個人の行動とのかかわりについては、哲学者 市井 三郎 (いちい さぶろう、1922-1989)の key person論[注1][注2]がある。

  • [注1] 市井はこれを「キー・パースン論」と表記している。わたしは英語の person を日本語中では「パーソン」と書く習慣がある(あえて理屈をつければ、発音に忠実よりもつづり字からの規則性を重視したのだ)。その表記のちがいから逃げるため、ここでは日本語の中に英語つづりをまぜて書くことにした。
  • [注2] この用語と概念は1963年に出版された『哲学的分析』に現われ、この本は論文集なので初出はさらに古い。そのときのおもな事例は明治維新で、のちの『明治維新の哲学』などでさらに展開されている。Key person論を主題とした評論集としては1978年に出版された『歴史を創るもの』がある。なお1981年の「われわれにとって科学とは何か」ではカオス論との関連を示唆している。

わたしは市井(1971)『歴史の進歩とはなにか』の「不条理な苦痛を減らす」という理念にはおおいに感銘を受け、自分の理念としても主張するようになった。他方、key person論については、重要な議論だとは思うものの、議論をあまり深く追いかけていないし、「自分もそう思う」とは必ずしも言いきれない。

わたしなりに考えてみると、哲学的問題としては、歴史の必然と人の自由意志との関係がある。すべては必然だという理屈はなりたちうるが、それでは、人を説得して行動をあらためさせる意義が感じられにくい (必然論にしたがえばこちらが説得という行動を起こすかどうかも必然として決まっているのではあるが)。社会の欠点を認識してそれをなおそうという意志をもつことも起こりにくくなりそうだ (必然論にしたがえばそういう意志をもつかどうかもすでに決まっているのだが)。他方、どんな人も世界を自分の意志のままに動かせないことはあきらかだ。それにしても、多くの人は、自分の意志によって世界をある程度は変えられると感じて行動しているだろう。そして、場合によっては、「だれだれの意志による行動によって、世界がこのように変わった」と見るのが順当なことも起こるだろう。

しかし、世界にはたくさんの行動者がいるし、世界はシステム論的に言えばあきらかに非線形(結果が原因に比例するとはかぎらない)だから、結果が意図とちがうことはよくある。意図と反対のことが起こることもあるだろう。いわゆる「歴史の皮肉」だが、現実には、その人の行動から因果関係を追った帰結が意図と反対になったのか、他の原因によって偶然にそうなったのか、を判断することもむずかしいだろう。

ともかく、少なくともあとづけでは、ある人が特定の行動をとったことが原因となって、歴史がこのように進んだ (もしその行動をとっていなかったら、歴史のなりゆきはちがっただろう) という議論が妥当なことがありそうだ。

そして、なんらかの(社会がこのようになったらよいというような)価値理念にもとづいて、社会を変えようとするならば、どう行動するのがよいか、といった、規範的議論もできるかもしれない。

市井のkey person論あるいは数理科学のカオス論の立場からは、一連の連鎖の最初のきっかけをつくった人に注目したくなる。それは、為政者や軍の指揮者よりもむしろ、市民運動家や、仲介者(フィクサー)や、指南役や、文書の著者かもしれない。しかし、多くの場合は、たくさんの行動者のうちからだれがkey personだったのかを判断するのはとてもむずかしいと思う。

わたしは結果に近い側に注目することにしたい。ある人の行動が大きな影響を与えたことを同定できることはあると思う。Key person とは区別したほうがよいと思うので「かなめ(要、pivot)人物」と呼ぶことにしよう。たとえば、Tetlockほかの本でのHansonは、テミストクレスを かなめ人物と考えていた、と言えると思う。

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かなめ人物としての同定はまちがいなくても、その人が直後の歴史に与えた影響さえ、他の人が与えた影響と区別して認識することはむずかしい。まして、それ以後の長期にわたる因果連鎖をたどることはむずかしい。この人物の行動が歴史にどのような帰結をもたらしたという物語をかたることはできるが、そういう物語の現実みを評価することはむずかしい。

Tetlockたちも、歴史のもしもの物語には自由度がありすぎることを認識している。そして、議論ができる条件として、「改変を最小にすること」を提唱している。わたしが思うに、この改変最小というのは、理屈のうえでは、現実の歴史とのちがいを最小にすることではなく、分岐点でいくらかの改変をしたあとは細工せずにその世界の因果連鎖をすなおにたどることを意味するのだと思う。しかし、実際に物語をつくったり評価したりする際には、世界の因果法則は(物理法則は別として人間社会に関するものは)よくわかっていないから、何がすなおな因果連鎖なのかを決めきれない。不満足ではあるが、意識的に入れた改変以外は、現実の歴史に近いものを想定するしかないのかもしれない。

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この主題の記事の(2)や(3)で述べたように、わたしは、具体的問題としては、「もし日本がいわゆる鎖国[注]をしていなかったらどうなったか」を考えたかった。

  • [注] 「鎖国」という表現が問題を含んでいること([2017-03-22の記事]参照)を承知で、「いわゆる」つきで表現した。

そこからさかのぼって「徳川幕府ができなかったら」という想定を考えた。それがなりたちうる前段として「関が原の合戦の結果が西軍の勝ちだったら」と想定してみた。しかし、そのような想定からさきの因果連鎖には自由度がありすぎて、わたしはそこからのすじがきの案をつくれなかった。

別に、「天下分け目」という表現のことばあそびのつもりで、関が原が空間的な東西の境になることを思いついた。そして、東日本には徳川幕府ができて「鎖国」するが、西日本は西洋勢力が自由に出入りする、という想定をしてみた。そして、東日本の歴史は、その想定で許されるかぎり、現実の世界の日本の歴史と同様に進むと想定してみた。そのように条件をしぼると、物語をつくれる。これは「改変を最小にすること」によって話をつくれる例になっていると思う。

ただし、これは、物語をつくるのにつごうがよいだけのことだ。わたしは、「歴史のもしも」を学術的に考える目的に、この東西分裂の筋書きを勧めるわけではない。

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「天下分け目」の東西分裂の筋書きで、かなめ人物(複数)を想定して、物語を考えはじめた。かなめ人物のうちには、実在の人物の伝記的事項の多くを共有しているが実在の人物とちがうふるまいをする人物が含まれる。その人物がどうふるまうだろうかと考えたくなる。それは、わたしにとってゲームのような楽しみはあるのだが、「歴史のもしも」を学術的に考えることからは、はずれてくる。

むしろ、フィクションの創作に近いと思う。しかし、フィクションの作品として完成させることをめざしていない。また、わたしは武力闘争もお家騒動その他の悪意による争いも見たくないので(したがってそういったものを記述するのは苦手なので)、争いがないユートピア的な物語しか書けそうもない。いわゆる小説投稿サイトをちょっと見てみたのだが、わたしの物語をそこに置いたのでは場ちがいな気がした。

それでも、興味をもってくださるかたには見ていただきたいと思うこともある。しかし、広く公開するのは気がひけるところもある。(実在の人物の伝記的事項の多くを共有する人物を出すことは、まったく架空の人物よりも、反発をまねきやすいだろうと思うのだ。) どのような形にするか迷っている。

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「歴史のもしも」に関する学術的議論の本道は、やはり、Pomeranzのように、大局的条件を考えることだろうと思う。

文献

  • 市井 三郎, 1963: 哲学的分析。岩波書店。[読書メモ]
  • 市井 三郎, 1967: 「明治維新」の哲学 (講談社現代新書 121) 講談社。
    • [同、文庫版] 2004: 思想からみた明治維新 (講談社学術文庫 1637), 講談社。
  • 市井 三郎, 1971: 歴史の進歩とはなにか (岩波新書)。岩波書店。[読書メモ (2020-08-12 追加)]
  • 市井 三郎, 1978: 歴史を創るもの (レグルス文庫 92)。第三文明社。
  • 市井 三郎, 1980: われわれにとって科学とは何か。思想の科学, No. 124 (1980年11月), 2 - 5.
  • Philip E. Tetlock, Richard Ned Lebow & Geoffrey Parker, eds., 2006: Unmaking the West -- "What-If?" Scenarios That Rewrite World History. Ann Arbor MI USA: University of Michigan Press, 415 pp. ISBN 978-0-472-03143-6 (pbk.) [読書メモ]