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大気のエネルギー、エネルギー収支、「熱収支」(1)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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気象学のうちで、わたしが大学院生のとき以来、研究者としてやってきたおもな作業は、「エネルギー収支」または「熱収支」(および、それと関連する「水収支」または「水蒸気収支」)に関する「データ解析」だ。【「データ解析」という用語については[2015-04-30の記事]参照。】

実際に計算した数量について、同業の後輩からたずねられて答えようとしたら、かなり長い説明が必要であることに気づいた。そのうちには、同業研究者のあいだでも複数の流儀があって、どちらが適切なのか判断がつかないまま、一方を採用してしまっている点もある。そういったことも書き出しておくべきだろうと思うようになった。

複数の記事に分けて、まず一般の物理科学の概念の気象学への適用、それから気象学研究者が習慣的にしている表現、気象学のうちでも狭い専門集団で通用する表現、そしてわたし自身にも判断がついていないこと、という順序で述べていきたいと思う。(気象学の専門文献を読まないかたに有用なのは途中までになるだろう。いくつめの記事までになるかは書いてみないとわからない。)

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エネルギー保存の法則(熱力学第一法則)は、物理の基本法則であり、気象学ではこれが成り立っていることを前提とする。慣用として「保存」ということばが使われるが、「エネルギーは不生不滅だ」のほうが適切な表現だと思う。

エネルギー保存則の初歩的な説明では、「孤立した系」、つまり、壁をとおして物質の出入りもエネルギーのやりとり(熱および仕事)もないような壁でかこまれた箱のようなものを考えて、この系の内にあるエネルギーは時間とともに変化しない、と述べることが多い。

しかし、気象学への応用では、外とのエネルギーのやりとりのある系を考えることが必要だ。【「開いた系」「閉じた系」という表現は人によってちがう意味で使われるので、ここでは避けておく。[2012-06-07の記事]参照。】

まず、大気・海洋・雪氷・陸面をあわせた気候システム全体を考えると、物質の質量の出入りは(よい近似として)無視できるが、放射(電磁波)の形でのエネルギーの出入りは無視できない。

さらに、そのうちの大気という箱を考えると、海洋・陸面・雪氷との間の水(H2O)という物質の質量のやりとりも無視できない。

注目する「系」として、仮想的に壁でかこまれている箱だが、壁を通じてエネルギーのやりとりがあるものを考えよう。箱の中のエネルギー量は時間とともに変化しうる。ただし、エネルギーが不生不滅であるとすれば、ある時間区間の前後の箱の中のエネルギーの変化量は、その時間区間のあいだに起きた壁を通じたエネルギーの正味の出入り(はいるほうを正として集計したもの)に等しい。わたしなどは、エネルギー保存則といえば、すぐにそういう枠組みを思う習慣ができている。

ただし、実際にエネルギーの数量を計算しようとするとき、われわれは注目するエネルギーの種類を限定している。大気のエネルギーを考えるとき、大気に含まれる原子核核子うしの結合に伴うエネルギーも、分子を構成する原子どうしの化学結合に伴うエネルギーも、数に入れないのがふつうだ。そうすると、「注目しているエネルギー」は不生不滅ではない。注目していないエネルギーから注目しているエネルギーへの変換が起きれば、注目しているエネルギーにとってはsource (わき出し)になる。注目しているエネルギーから注目していないエネルギーへの変換が起きれば、注目しているエネルギーにとっては負のsourceつまりsink (吸いこみ)になる。【この「負のsource」の日本語表現ではいつも困る([別記事]参照)。】 Sourceとsinkを区別する立場もありうるが、ここでは、sinkを負のsourceとして合算した「正味のsource」を「source」(源)として扱うことにする。また、正味のsourceの正負の符号を変えたものを、「(正味の) sink」として扱うこともある。

大気を扱うとき、大気を透過している電磁波(光や赤外線)のエネルギーは、大気のもつエネルギーに含めない。電磁波が大気に吸収されると、そこに大気にとってのエネルギーの(正の) sourceが生じる。大気が電磁波を射出すると、そこに大気にとってのエネルギーのsink (負のsource)が生じる。電磁波が大気によって散乱されることは、(直接には)大気のもつエネルギーを変えない (その後の吸収の可能性を変えることによって、間接的に影響をおよぼすのだが)。

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大気全体をひとつの箱として考えるだけではあまり理解が進まない。場所によって温度などの物理量の値がちがうことを考える必要がある。

大気は流体なので、その部分を粒子のように追いかける「ラグランジュ型」の扱いと、場所に固定して見る「オイラー型」の扱いがある([2012-04-17の記事]参照)。ただし、ここで「場所」を指定する座標系は地球(の固体部分)とともに自転しているものである。

ここではオイラー型で考える。大気を3次元の升目に分けて、それぞれの箱の中のエネルギーの時間に伴う変化が、箱の仮想的な壁を通じたエネルギーの正味の出入り(および箱の中の正味のエネルギーのsource)によって起こる、と考えるのだ。

数式の形でかくときには、箱の大きさを小さくした極限をとって、微分方程式の形にすることが多い。時間と空間座標による微分ですなおに式をたてれば、「『単位体積あたりのエネルギー』の時間変化についての式」になる。ところが、気象では、「『単位質量あたりのエネルギー』の時間変化についての式」をたてる習慣がある。それは(ほかの理由もあるかもしれないが、ひとつには)、鉛直座標として気圧をとった「p座標」([2012-04-09の記事]参照)を使う習慣があり、質量あたりは「(x,y,p)空間の体積あたり」でもあるからだ。ただし、p座標は静水圧のつりあいを前提としているが、p座標の適用範囲外でも、単位質量あたりの量についての式が使われることが多い。

われわれは大気が分子からなっていることを知っている。それにもかかわらず、式をたてるときは、大気のもつ物理量が空間的・時間的に微分できると考えている。大気を連続体で近似しているのだ。そして、大気の物理量のうちには、温度などの熱力学的な量がある。大気の温度は地球上の場所によってちがうので、大気全体は明らかに熱平衡にはない。しかし、空間座標と時刻を決めればその場所の大気はひとつの温度をもち、その場所の温度・圧力・密度の関係は熱力学的平衡の場合と同じ状態方程式に従う、という、「局所熱力学平衡」を仮定して議論を進める。地球大気のうち対流圏・成層圏ではこの仮定をしてさしつかえない(浅野, 2010)。【中間圏の上のほうや熱圏を扱うときは、これが成り立たず、中性分子とイオンと電子が別々の温度をもつと考える必要がある場合もある。】 局所熱力学平衡のもとで、空間座標と時刻との関数である物理量は、分子レベルの量を、じゅうぶん多くの分子が含まれる体積、じゅうぶん多くの回数の分子間衝突がある時間で、平均したものに対応するはずだ。しかしこの体積は、地球よりはじゅうぶん小さいものを想定しているのだ。

大気の単位質量あたりのエネルギーを仮に E [注]と書くと、エネルギー保存の式は、単位質量あたりのエネルギーの時間変化の式として、だいたい次のような形に書ける。

∂E/∂t + div3(Eの流れ) = (Eの源) ... (1)
【式の番号は今後つけなおすかもしれません】

  • [注] ここで E という文字を使ったのは気象学の習慣というわけではなく、仮にenergyの頭文字をとったにすぎない。総量に大文字、単位質量あたりの量に小文字を使うという流儀もあるが、e の小文字は、数学定数(自然対数の底)のほか、気象学では水蒸気圧にも使われるので、ここでは避けたかった。

ここで、divはベクトル解析の「発散」演算子([2016-08-23の記事参照])で、とくに3次元の発散であることを示したかったので添え字「3」をつけた。ここでの「Eの流れ」は3次元ベクトルであり、もしEが流体の流れで運ばれているだけならば、3次元の流速をv3として、「E v3」と書けるのだが、それだけでない(具体的には次の記事で述べる予定)。「Eの源」はEの正味のsource (もし分ければ、source ひく sink)をさしている。

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空間の3次元のうち、鉛直方向だけ、大気全層について、つまり、地表面(海面または地面)から「大気上端」(これよりも上の大気の質量が無視できる高さ)まで合計して考えることがよくある。大気の質量あたりのエネルギーの時間変化をあらわす(1)式を、z座標ならば密度をかけてzで積分する。p座標ならば、pで積分して重力加速度gで割る。すると、次のような「気柱」の単位面積あたりのエネルギーの時間変化の式が得られる。鉛直に大気全層の合計をとる操作を「< ... >」で表現しておく。

∂< E >/∂t + divH< Eの流れ > = < Eの源 > + 地表面での正味上向きF - 大気上端での正味上向きF ... (2)

「Eの流れ」を鉛直に合計したものは水平2次元のベクトルとなるので、それにかかる発散演算子も水平2次元のものである(添え字「H」で示した)。(1)式を示したときには境界条件を明示しなかったが、上下の境界でエネルギーの出入りがある。これを、単位面積あたり・単位時間あたりのエネルギーの流れ、つまりエネルギーフラックス密度として、Fと書いておくことにする。出入りは上向きも下向きもあるが、正味上向きでまとめておく。

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大気がもつエネルギーの内わけを考える。ここでは、質量をエネルギーに含めることはせず、核力のエネルギーや化学結合のエネルギーも除外する。

すると、大気がもつエネルギー E は、運動エネルギー K、地球の重力場位置エネルギー P、内部エネルギー Iからなる。(次の式に出てくるいずれの記号も、空気の単位質量あたりのエネルギーをさすことにする。)

E = K + P + I

運動エネルギー K は、速度(風速)を v3 = (u, v, w)とすれば

K = (1/2) |v3|2 = (1/2) (u2 + v2 + w2)

のように書ける。ただし、風速の鉛直成分は値が小さいことが多いので、大気の水平規模の大きい(およそ100km以上の)現象を考えるときには、水平2成分で近似される。

K ≒ (1/2) |vH|2 = (1/2) (u2 + v2)

位置エネルギー P は、重力加速度 g を定数とみなせば、高さを z として

P = g z

のように書ける。 z の原点は約束で決めてやる必要がある。気象学では、平均海面(陸上でもそれを重力の方向に垂直に延長した「ジオイド面」)を 0 とする。

内部エネルギーは、温度と水蒸気の混合とによって変わるが、近似的に、温度 T (いわゆる絶対温度)に比例する部分と、比湿 (大気の質量のうち水蒸気の質量の割合) q に比例する部分の和として、次のように書かれる。

I = Idry + Ilatent = cv T + L q

ここで cvは空気の体積一定での比熱容量(質量あたりの熱容量)である。(モルあたりではない。したがって c を小文字にしている。) L は水の質量あたりの「蒸発の潜熱」つまり気相と液相のエンタルピーの差である。詳しく言うと、cvは比湿によって変わるし、Lは温度によって変わる。しかし気象データを使って数値を求める計算ではcvもLも定数とみなしてよいことが多い。
物質の出入りがあるとき、エネルギーをどう比較するかには不定性があり、約束で決めてやる必要がある。気象の習慣では、水に伴うエネルギーについては、液体の水を原点にとる。大気に水蒸気が加わるときに、水蒸気と液体の水との差のぶんのエネルギーが加わると考える。しかし、大気から液体の水が出ていくときには、おおざっぱに言えば、エネルギーのやりとりは生じないのだ (詳しい計算では、水の温度による水の内部エネルギーのちがいも考慮する必要があることもあるが)。また、固体の水つまり氷とのあいだの相変化を考えることもあるが、ここではひとまず省略しておく。

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数値を入れてみると、運動エネルギーは、内部エネルギーや位置エネルギーよりも、桁が落ちる。

そこで、大気のエネルギー収支に関する議論は、大きく2つに分かれる。

ひとつは、運動エネルギー、つまり、風に注目して、それがどのようにつくられているかという議論だ。大気の運動つまり風は、大気の外からの力でつくられているわけではない。地表面の境界では力が働いているものの、それは摩擦力であり、大気の運動エネルギーを消費する(内部エネルギーへ変換する)ように働く。風の運動エネルギーは、不均一な加熱・冷却から、内部エネルギー、位置エネルギーを経た変換によってつくられる。それは熱から仕事をつくる熱機関のようなものだ。

もうひとつは、エネルギー全体に注目した議論だ。この場合、運動エネルギーのしめる割合は小さいので、それを無視してしまう場合もある。そして、運動エネルギー以外のエネルギーを、「熱」という状態量であるかのようにみなして、「熱収支」「熱輸送」のような用語を使うことも多い。【現代の熱力学では、「熱」はエネルギーのやりとりの形であって状態量ではないので、わたしはなるべくそれに合わせた用語を使おうと思っている。しかし、既存の気象学の文献の用語を理解することも必要だ。】

「熱」のうちで、水蒸気による部分(上記の Ilatent)を別にして扱うことも多い。同じ場所をしめている大気の成分なのだが、「水蒸気」と「乾燥大気」の2つの箱に分かれているかのように考えて、それぞれの箱についてエネルギー保存則を考えるのだ。(ただし、実際に水蒸気の分子群とそれ以外の分子群がそれぞれ持つエネルギーを見積もるのではなく、5節の式でのIlatentと、Idry+P とを分けて計算するのがふつうになっている。) 大気中で水の相変化が起きると、2つの箱のあいだのエネルギーのやりとりがある。水蒸気が凝結すると、Ilatentが減って、そのぶんだけIdry+Pがふえるのだ。

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3節の「Eの流れ」の内わけをまだ説明していないが、2つめの記事で説明する予定である。

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